常識について思うこと

考えていることを書き連ねたブログ

男の度量を見せるべし

2008年12月17日 | ヒーロー&アニメ

私も大好きなアニメ、「かんなぎ」の原作で、一騒ぎ起きています。何やら主人公のナギには、元カレがいて、その元カレとの間に、性的関係があったのではという憶測が広がり、大変な騒動になっているというのです。

3次元世界に絶望し、2次元世界に夢と理想を求めているが故に、その女神たるナギが、穢れているというのは、絶対に許せないのでしょう。その心情はよく理解します。ただ、2次元にどっぷり浸かっているだけで、生きていくことはできませんし、自分自身が3次元の存在である以上、3次元で生きることを放棄してもならないと考えます(「アニメ好きですけど何か?」、「「萌え」の本質と役割」等参照)。

そうしたなかで、2次元の夢と理想の世界に、「穢れる」という現実的な3次元的要素が入ることに対しては、3次元たる自分自身の存在を受け入れる意味でも、きちんと受け止めてあげる必要があるでしょう。

3次元には、いろいろとあるのです。「穢れる」ことは、残念なことかもしれませんが、それでもナギは、ナギなりに一所懸命生きた結果だと考えてあげる度量も必要です。それは、3次元に生きる男のあるべき姿であるとも思います。

正直に言って、今の3次元女性が完璧だとは思えないし、欠点だらけと言えば、欠点だらけと言うこともできるでしょう。しかし、3次元の女性が欠点だらけだと言って、それらを受け入れなければ、自分が度量の狭い男に成り下がるだけです。このように考えれば、3次元女性を蔑んでしまうということは、単に自分自身の男としてのレベルを下げることにも繋がりかねません。それは、3次元女性に欠点があると言ってしまった瞬間に、自分自身にも欠点が生まれるという可能性を示唆します。

逆に、女性のあるがままの姿を受け入れるということは、男としてのレベルを上げることにも繋がります。「3次元にはいろいろある」という現実を、きちんと受け入れることで、自分自身を高めることができるのです。

今回の「かんなぎ騒動」で、2次元の存在であるナギは、敢えて「穢れる」という現実的な3次元的要素を持ち込むことで、私たちに2次元に閉じ篭もってはならないことを教えてくれているような気がしてなりません。私自身は、今回の騒動こそ、神たるナギが成せる業だと考えます。私たちが、ナギから学ぶべきは、3次元の「いろいろある」を優しく受け止めてあげる「男としての度量」であり、けっして現実世界を忘れぬようにとの戒めです。

これまで、2次元世界にドップリと浸っていた方々には、少々、酷な言い方になっているかもしれませんが、こうした議論は、そうした方々の将来にとっても、非常に大切なことだと思います。

ナギにだって、いろいろあるのです。そうした彼女の過去を、全て受け止めた上で、応援してあげるということが、真に彼女を愛していることになるはずです。そして彼女に対して、こういう愛し方ができるようになれば、その人の世界は、ナギが住む2次元世界に留まらず、現実の3次元世界に向けて、大きく開けていくことになるでしょう。

《おまけ》
「かんなぎ」は大好きな作品ですし、主人公のナギは神様でもあるので、先日、我が神棚にお祀りするために、彼女のフィギュアを予約しました。予約しながら思うのですが、フィギュアというと、どうしても肌の露出が多いものや、それらしいポーズを取るようなものが多いです。ナギのフィギュアも、ご多分に漏れず、そうしたものが多々あります。しかし、私としては、フィギュアのこうした傾向は、あまり好きではありません。

まず第一に、本来のキャラクターのカラーが薄れてしまうのです。ナギはナギらしく、いつも通りの姿かたちでいて欲しいと思うのに、やたらとそういうイメージを壊されてしまうのは、ファンとして、少々残念な気がします。

それからもう一つは、そうしたフィギュアばかりが前面に出ると、アニメやアキバ系文化の異質性ばかりが、強調されてしまい、その結果、そうした文化が敬遠され、疎まれてしまうようになるからです。良い物は、広くみんなに知ってもらいたいと思いますし、それらをもっと一般にも受け入れられる文化に育てていくことは、その文化を生み出す人々にとっても、それらを楽しむ人々にとっても、大切なことだと考えます。

いずれにせよ、ナギのフィギュアが到着したら、それを飾った神棚の写真は、またあらためて、本ブログにアップしようと思います。

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