ゆみねこ日記

日常日記です。

春菊のサラダ

2020-10-11 06:10:57 | 料理
春菊、お鍋に入れたりゴマあえにして食べることが多いお野菜ですが、鮮度の良い柔らかな葉っぱの部分は生で食べても美味ですよ。

今が旬の梨とりんごも彩りにして、ピエトロのドレッシングで。
生で食べると、春菊独特の苦味はさほど気になりません。
鮮度の良いものが手に入ったら、お試しあれ。




ポテトサラダ、じゃが芋も芽が出始めたので、芽を取っておき、そのついでにサラダを。
具だくさんなのが我が家流。
キュウリ・キャベツ・茹でにんじん・炒め玉ねぎ・ゆで卵・ハム。
ボリューム満点です。



前日作ったクリームシチューは、グラタンにリメイク。
鉄スキレットで、魚焼きグリルへ。
こちらも美味しい。



こちらは90歳の母の得意料理、昆布巻き。
いつも大鍋でドッサリ作って、友人におすそ分け。
小さく作り、一口大なので結構手先を使います。
母は私と同居してから台所に立つことはなくなったのですが、これだけは自分で作り、それが張り合いになったいるようです。






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白菜・キャベツすくすく

2020-10-10 09:18:49 | 日記
すっかり秋らしくなりましたね。

畑の秋野菜も順調に大きくなってきました。
白菜もキャベツも結球し始めて、あと2〜3週で収穫出来そうな感じです。






弥彦山もキレイです!




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秋の可愛い野草

2020-10-05 22:42:39 | 日記
この時期野山に沢山咲く、可愛いビンクの花。
ミゾソバです。
近寄らないとよく見えない、小さな花ですが、可憐で大好きな花です。






この週末、前から気になっていた市内の飲食店へ。
韓国料理のお店で、感染対策もしっかりしていて美味しいと言う評判。
期待しながら入店!
サムギョプサル、牛タン、カルビを注文。
ドリンクを頼み、突き出しも出て、さあ焼き肉の準備は?
しかし…厨房からジュウジュウと音が聞こえてきて、やがて、「お待たせしました、牛タンとカルビです。」とお皿に焼いたお肉。。
そしてタレの小皿とサンチュが出てきて、「サムギョプサル、食べ方分かりますか?」と問われ、「はい」と言うとまた奥でジュウジュウ…

味は普通だと思うけど、焼くのは鉄板とか七輪だと思っていたのに、焼いたものを出されるとは。。

韓国風の海苔巻きも頼んでみたのですが、中途半端なお味でがっかりでした。

外食して外れだと切ないですよね。
まあ、二度と行かなければ良いのですがね。

ちょっと愚痴でした。
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菜っ葉たち、すくすく

2020-10-03 21:22:14 | 日記
カブと大根がかなり大きくなってきました。
カブはかなり密集して生えてきたので、間引きを。
抜いたカブ菜は、さっと茹でて味噌汁の具にしたり、煮菜にして食べます。




大根はこんな感じ。




春菊と小松菜も順調ですよ。






去年は虫食いだらけの悲惨な菜っ葉になりましたが、今年はまあまあの出来栄えです。

今日の弥彦山は、裾野に薄っすらともや。




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大人の社会科見学

2020-10-02 21:33:00 | 日記
この土地で生まれて育ち、ダンナの仕事の関係で25年間県外で暮らした私。
2年前にまた故郷に戻って暮らし始めたけれど、意外に地元のことを知らなかったということに気付きまして。

確かに学校で習った記憶はあれど、詳しくは知らないなどと言うものが沢山あります。

そこでせっかく地元に戻ったので、ちょっと地元をお勉強しようと出かけてみました。

「大河津分水」、日本一の大河・信濃川を洪水から守るために作られた大きな分水路です。

燕市にある「信濃川大河津資料館」は無料で歴史を学べる場所で、初めての訪問です。

かつての越後平野は信濃川がたびたび洪水を起し、江戸時代に分水路の計画が建てられ明治の初めに工事が始まりましたが、あまりの難工事に計画は頓挫。

しかし1896年7月22日、記録的豪雨で【横田切れ】と呼ばれる大洪水が起こり、越後平野は壊滅…。
3ヶ月あまりに渡って水が引かず、お米が全く収穫出来なかったのだとか。

これを機に分水路工事の機運が高まり、1907年に工事が着手。
延べ1000万人の人々が工事に携わり、1922年8月に分水路通水!

その後も1927年に堰が陥没するという危機を乗り越え、1931年に新しい堰が出来上がったのだと。

今の堰は2代目になるそうです。

先人たちの労苦があったから、今の米どころ新潟があることを学習させてもらいました。
これは、先代の洗堰。









信濃川に掛かる本川橋。
分水路の方が川幅が広く、信濃川本川は狭くなっています。





資料館で記念に頂いた栞です。
ダンナの分と合わせて2枚ゲット!




たまには社会科見学も良いですね!


コメント (2)
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