『もう、国には頼らない。 経営力が社会を変える!』 渡邉美樹・著、日経BP・発行、2007年6月。
この本を読むきっかけは、先にも述べたように日経ビジネスオンラインだ。確かに刺激的なことをズバズバ主張して小気味よい感じもしたが、ワタミの介護現場で大量退職者が出た記事があり、いったいどちらが真実なのか怪しくなってきた。国に頼るか、頼らないか、どこまで頼るか自由かもしれないが、『「公」の仕事を救うのは、「官」ではなく、“ありがとう”を大切にする「民」の力です。』と言い切るところに、どこか飛躍がありすぎる感も否めなかった。
他のブログや先のブログへのコメントを見ていると、本書にはというか、著者の主張には無理や矛盾があるという。果たして、読んで自分がそれを見つけることができるかどうか。
何ページのどこがそうなのか、正解はわからない。しかし、このくだりはヘンじゃないか、という部分は少なからずある。さらに違和感を感じる部分もある、というのが第一印象だった。
違和感を感じるのは、居酒屋も学校教育も、医療も介護も同じ理屈で成功あるいは再生できるとしている点だ。そのルールはいたってシンプルで、お客さまに喜んでもらいたい、ありがとうと言われる組織作りにあるという。そこだけとると、決しておかしなことを言っているようには思われないが、その一点だけで職員の志をひとつに、意思統一をはかり、ありとあらゆることに立ち向かっていけるのか、それだけで異なる業界にすべて通用するのか、というものだ。
無理や矛盾を感じるのは、経営と顧客満足の接点、バランスである。57~59ページ付近に、アールの介護の職員の大量退職に至った部分が載っているが、あまりにも理屈が単純である。利用者の喜ぶ顔を見てやりがいや満足感を感じる職員は多いだろうが、それだけで安定したサービスを継続して提供するのは困難なことに気がついていないようだ。それはそれ、それだけが職員満足のすべてではない。職員の生活において、仕事がすべてではない。職員のプライベートにも好影響がもたらされることは、けっしてCS改善と無関係ではなかろう。
お金は有限であり、経営的に成り立つことが前提であるといっておきながら、人的資源だって有限であることをここでは忘れているというか、無視しているようにも思われた(p.37)。しかし、一方では有限であると言っている(p.180)。経費が有限であるように人的資源も有限であり、経営が成り立つことが重要であるならば、人的資源に対しても継続して安定したサービスができるように配慮すべきであるにもかかわらず、質の高いサービスで喜ばれるためなら何でもするのが当然とばかり、マンパワーを越えた業務を“強要”している。これは価値観の問題ではなく(著者は「価値感」で切り捨てているが、p.182)、直接サービスに携わったことのない人間の妄信のように思われる。
ワタミに残った人は著者の価値観の賛同者ばかりではなく、面従腹背的に耐え忍んでその場に残らざるを得ない人が少なくないのではないか。無理解や無力感のさぞかし大きい職場環境であろうと思われた。
ホームヘルパーをはじめ医療従事者なら、利用者がどうなっても構わないと思う者はいないだろう。社長という絶対的な権限を持つ者が、シロート考えに近いレベルで理想論を述べているから、持論を肯定できているように思われる。しかし、それもひょっとしたら“裸の王様”になりかねない。
もちろん部分的に「なるほど」と思われるセンテンスも随所にあり、賛同できる部分もある。本書の、著者のすべてに異を唱えるわけではない。居酒屋や教育、農業の実態については自分にはわからないが、医療現場の感覚からすると、介護関係に果たしてどうだろうかと思われる部分は存在する。
職員が大事であると言いつつも、職員を大切に考えていない発想や新体制がまさにワタミの最大の矛盾であるように思われる。コムスンとはまた違った危うさを覚えるのだが・・・。
この本を読むきっかけは、先にも述べたように日経ビジネスオンラインだ。確かに刺激的なことをズバズバ主張して小気味よい感じもしたが、ワタミの介護現場で大量退職者が出た記事があり、いったいどちらが真実なのか怪しくなってきた。国に頼るか、頼らないか、どこまで頼るか自由かもしれないが、『「公」の仕事を救うのは、「官」ではなく、“ありがとう”を大切にする「民」の力です。』と言い切るところに、どこか飛躍がありすぎる感も否めなかった。
他のブログや先のブログへのコメントを見ていると、本書にはというか、著者の主張には無理や矛盾があるという。果たして、読んで自分がそれを見つけることができるかどうか。
何ページのどこがそうなのか、正解はわからない。しかし、このくだりはヘンじゃないか、という部分は少なからずある。さらに違和感を感じる部分もある、というのが第一印象だった。
違和感を感じるのは、居酒屋も学校教育も、医療も介護も同じ理屈で成功あるいは再生できるとしている点だ。そのルールはいたってシンプルで、お客さまに喜んでもらいたい、ありがとうと言われる組織作りにあるという。そこだけとると、決しておかしなことを言っているようには思われないが、その一点だけで職員の志をひとつに、意思統一をはかり、ありとあらゆることに立ち向かっていけるのか、それだけで異なる業界にすべて通用するのか、というものだ。
無理や矛盾を感じるのは、経営と顧客満足の接点、バランスである。57~59ページ付近に、アールの介護の職員の大量退職に至った部分が載っているが、あまりにも理屈が単純である。利用者の喜ぶ顔を見てやりがいや満足感を感じる職員は多いだろうが、それだけで安定したサービスを継続して提供するのは困難なことに気がついていないようだ。それはそれ、それだけが職員満足のすべてではない。職員の生活において、仕事がすべてではない。職員のプライベートにも好影響がもたらされることは、けっしてCS改善と無関係ではなかろう。
お金は有限であり、経営的に成り立つことが前提であるといっておきながら、人的資源だって有限であることをここでは忘れているというか、無視しているようにも思われた(p.37)。しかし、一方では有限であると言っている(p.180)。経費が有限であるように人的資源も有限であり、経営が成り立つことが重要であるならば、人的資源に対しても継続して安定したサービスができるように配慮すべきであるにもかかわらず、質の高いサービスで喜ばれるためなら何でもするのが当然とばかり、マンパワーを越えた業務を“強要”している。これは価値観の問題ではなく(著者は「価値感」で切り捨てているが、p.182)、直接サービスに携わったことのない人間の妄信のように思われる。
ワタミに残った人は著者の価値観の賛同者ばかりではなく、面従腹背的に耐え忍んでその場に残らざるを得ない人が少なくないのではないか。無理解や無力感のさぞかし大きい職場環境であろうと思われた。
ホームヘルパーをはじめ医療従事者なら、利用者がどうなっても構わないと思う者はいないだろう。社長という絶対的な権限を持つ者が、シロート考えに近いレベルで理想論を述べているから、持論を肯定できているように思われる。しかし、それもひょっとしたら“裸の王様”になりかねない。
もちろん部分的に「なるほど」と思われるセンテンスも随所にあり、賛同できる部分もある。本書の、著者のすべてに異を唱えるわけではない。居酒屋や教育、農業の実態については自分にはわからないが、医療現場の感覚からすると、介護関係に果たしてどうだろうかと思われる部分は存在する。
職員が大事であると言いつつも、職員を大切に考えていない発想や新体制がまさにワタミの最大の矛盾であるように思われる。コムスンとはまた違った危うさを覚えるのだが・・・。