何かをすれば何かが変わる

すぐに結論なんて出なくていい、でも考え続ける。流され続けていくのではなくて。
そして行動を起こし、何かを生み出す。

西郷南洲翁遺訓

2009-02-18 22:39:05 | Book Reviews
話し言葉で読める「西郷南洲翁遺訓」』 長尾剛・著、PHP文庫、2005年12月19日

 幕末から明治初期に、国を思って行動する人物の見識に触れ、今にもあてはまるものが多々あるように思われた。“話し言葉”で書かれているのもいい。

 西郷隆盛という人物に魅せられた。またいつか鹿児島に行くことがあったら、銅像でいいから会ってみたくなった。

p.23 自分の身内もアカの他人も、好きな相手も嫌いな相手も、価値観や人生観の違う者も、全部ひっくるめて万民の暮らしを支えてやらねばならぬ。世の中全体を包んでやらねばならぬ。
 だから、そこに「私心」が入ってはいかんのです。ほんのちょっとでも、自分の好き嫌いや拘りが入っては、いけないのです。

p.30 リーダーとはその前に、まず自らの責任において「おのれのビジョンと決意」が用意されておらねばならぬ。

p.123 怨みの心からは何も生み出されないのです。そもそも、こう考えるのが良いのです。すなわち、「人を相手にせず、天を相手にせよ」と。

p.124 他人のせいで道をどれほど阻まれても、それがあたかも「雨風のせいだ」と思えるのなら、前向きの意思が失われることはないのです。怨みや憎しみに、我が心が占められることはない。
 「天を相手にする」とは、たとえ怨みのある他人がいたとしても、そんなヤツは無視する、ということでもある。

p.137 何か事が起こっても、そこでいちいち歩みを止めてはいけない。事の成否、いや、自分の生死にさえも、不安を抱いてはいけない。
 「そうなったらなったで、仕方なし。道を曲げて卑屈な人生を歩むよりは、人の道に倒れたほうが幸福である」と思うべきでありましょう。

p.139 だから困難に遭った時、これを切り抜けるためには、ますます道を行うことです。自分の正義が踏みにじられたならば、ますます正義を貫くことです。
 正義を貫く自分を、楽しむことです。


p.140-1 命も要らぬ、名も要らぬ、官位も金も要らぬという人は、始末に困るものです。しかし、この「始末に困る人」でなければ、艱難辛苦をともにして国家の大事業を成し遂げられないものです。

p.142 “謙虚さを持たぬ俗人”だと、「私利私欲を捨てられぬ自分」を「人間の標準」だと決めつけて、その尺度で自分を測る。だから、高貴な心を持つ「始末に困る人」を、ただの偏屈や馬鹿者だとしか評価できないのです。
 まこと、謙虚を知らぬ俗人ほど、質の悪いものはない。

p.146 (道を行う者は)あちらこちらから誉められ担ぎ上げられ、チヤホヤされたりしても、それに満足したり得意になったりせぬものです。

p.152 道を志す者が尊ぶのは、結果ではない、心掛けです。
 正義の心が根底にあるかないか、その点をのみ見定め、評価するのです。

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