「平凡を極める生き方 小さな実践が生み出す非凡な力」 鍵山秀三郎・著、致知出版社、2008年9月19日
p.11 与えられた条件を生かしてやっていくしかないのです。そうして至誠を尽くしていけば、必ず見えてなかったものが見えてきます。どっちが東か西か分からないような真っ暗闇の中でも、いつか薄明かりが見えてくるものなのです。これは私の体験から確信をもっていえます。
p.13 惰性を断ち切る一番の方法は、変化を求め続けることです。
p.29 業績を支える人は、顔が見えて声の聞こえる範囲の人々とは限りません。見知らぬ所の見ず知らずの人々もそも一員であります。そこまで包み込んでの好業績であれば諸手を挙げて大喜びもしますが、声の届かない人々の犠牲によってなされたものである限り、日本の社会は間違いなく崩壊していくことでしょう。
p.35 誇りある生き方を一言で表せば「働くこと多くして、得ることの少ない」生き方でありましょう。いくら多くのことをしても、働くことと得るものが等しい「等価交換」のような生き方をしている人には、誇りが生じないと思います。また自分に備わった力を、すべて自分のためにだけしか使わない人にも、真の自信と誇りが生まれることはありません。
p.45 人間の体に栄養が必要なように、心にも栄養が欠かせません。体の栄養は食物ですが、心の栄養は自分の得にならないことをやることです。得することしかやらない人は、心の栄養が欠乏して人間が卑しくなるのです。
p.55 「生きてて死んでいるような人が多い中にあって、あなたは死んでもなお生き続けるのですね」
p.66 人間に与えられる期限の基準は、その人が他の人から信頼され、かつ社会に貢献しているかどうかにかかっています。
“自分さえよければ、それでよし”とする生き方をしている人は、期限切れといえましょう。
p.74 「真の幸せとは、他人の幸福を奪うことなく、自分自身の幸福を追求することである」
p.94 無知、未熟であるがゆえに犯してしまった過ちはカバーできます。しかし、知っていて犯した過ちは、回復不可能なくらい大きなダメージとなって跳ね返ってきます。
p.94-5 いま会社がそのような危険な道を歩んでいないかどうかを確認する方法があります。それは、当たり前でないことを当たり前にしていないか、ということです。本当は常識に反するようなことであるにもかかわらず、いつの間にか会社の中では普通になってしまっていないかということです。
p.102 “素交”の三原則
一、友の過ちに対しては、それを見過ごさず、真心を込めて忠告する
二、友のよきことに接した時、心の底から喜ぶ
三、友が困難に陥り、災難に遭った時、決して見捨てない
(『過去現在因果経』より)
p.162 子どもたちがいろんな問題を起こすのは、実は親に対して、あなたたちの生き方は間違っているよ、というメッセージなんです。
p.173 私は人生とは魂の修行のゲームだと考えていて、人間性、人格を楽しみながら高めるのが人生の目的だと思っているんです。
人間性を高めて人格を向上させるのが一つ。二つ目はその能力を世のため人のために使うことだと考えています。
p.11 与えられた条件を生かしてやっていくしかないのです。そうして至誠を尽くしていけば、必ず見えてなかったものが見えてきます。どっちが東か西か分からないような真っ暗闇の中でも、いつか薄明かりが見えてくるものなのです。これは私の体験から確信をもっていえます。
p.13 惰性を断ち切る一番の方法は、変化を求め続けることです。
p.29 業績を支える人は、顔が見えて声の聞こえる範囲の人々とは限りません。見知らぬ所の見ず知らずの人々もそも一員であります。そこまで包み込んでの好業績であれば諸手を挙げて大喜びもしますが、声の届かない人々の犠牲によってなされたものである限り、日本の社会は間違いなく崩壊していくことでしょう。
p.35 誇りある生き方を一言で表せば「働くこと多くして、得ることの少ない」生き方でありましょう。いくら多くのことをしても、働くことと得るものが等しい「等価交換」のような生き方をしている人には、誇りが生じないと思います。また自分に備わった力を、すべて自分のためにだけしか使わない人にも、真の自信と誇りが生まれることはありません。
p.45 人間の体に栄養が必要なように、心にも栄養が欠かせません。体の栄養は食物ですが、心の栄養は自分の得にならないことをやることです。得することしかやらない人は、心の栄養が欠乏して人間が卑しくなるのです。
p.55 「生きてて死んでいるような人が多い中にあって、あなたは死んでもなお生き続けるのですね」
p.66 人間に与えられる期限の基準は、その人が他の人から信頼され、かつ社会に貢献しているかどうかにかかっています。
“自分さえよければ、それでよし”とする生き方をしている人は、期限切れといえましょう。
p.74 「真の幸せとは、他人の幸福を奪うことなく、自分自身の幸福を追求することである」
p.94 無知、未熟であるがゆえに犯してしまった過ちはカバーできます。しかし、知っていて犯した過ちは、回復不可能なくらい大きなダメージとなって跳ね返ってきます。
p.94-5 いま会社がそのような危険な道を歩んでいないかどうかを確認する方法があります。それは、当たり前でないことを当たり前にしていないか、ということです。本当は常識に反するようなことであるにもかかわらず、いつの間にか会社の中では普通になってしまっていないかということです。
p.102 “素交”の三原則
一、友の過ちに対しては、それを見過ごさず、真心を込めて忠告する
二、友のよきことに接した時、心の底から喜ぶ
三、友が困難に陥り、災難に遭った時、決して見捨てない
(『過去現在因果経』より)
p.162 子どもたちがいろんな問題を起こすのは、実は親に対して、あなたたちの生き方は間違っているよ、というメッセージなんです。
p.173 私は人生とは魂の修行のゲームだと考えていて、人間性、人格を楽しみながら高めるのが人生の目的だと思っているんです。
人間性を高めて人格を向上させるのが一つ。二つ目はその能力を世のため人のために使うことだと考えています。
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