何かをすれば何かが変わる

すぐに結論なんて出なくていい、でも考え続ける。流され続けていくのではなくて。
そして行動を起こし、何かを生み出す。

プロの残業術。

2009-12-22 16:54:57 | Book Reviews
「プロの残業術 一流のビジネスマンは、時間外にいったい何をしているのか?長野慶大・著、草思社、2009年9月1日

p.5 残業は「おバカさんの居残り」ではない

p.7 これ(ゆとり教育)が失敗だったのは、結局、ゆとりとは役所や学校に押しつけられて手に入るものではないからだろう。自らが欲して手に入れたものではないので、そこに価値を見出すことができないのだ。

p.8 「みんな」ではなく、「個人」がそれぞれのライフスタイルとして選び取るのなら、ノー残業にも意味があるだろう。

p.9-10 ゆとりの押し売り
 役所が押しつけてくるゆとりには弊害がない――そんなこと、だれが言えるのか? 「ゆとり企業社会」の押し売りの犠牲になるのはあなた自身である。
 一つ目の理由は、「ゆとり企業社会」などは幻想でしかないからだ。人が職場で苦しむのはストレスであって時間ではない。
 二つ目の理由は、ビジネスの現場は、個々人に「ゆとり」があるかないかなどはまったく無関係に進行しているからだ。

p.11 定時を過ぎたら「自分のための仕事」をする

p.12 コンサルタントとして経営職にコーチングする際は、「まず残業を廃止する文化をつくり、パーキンソンの法則に基づいて効率化と不要な仕事の洗い出しを進めるべきだ」と主張している。ひとことで言えば、良い残業をして、悪い残業をすない提案ということになる。

p.25 腕のいいシェフになりたければ、その秘訣は「効率のよい卵のとき方を考える」ことでもなければ「効率のよい肉の捌き方を思いつく」ことでもなく、だれよりも長い時間調理場に立つよりほかに方法はないのだ。

p.27 楽しんでする「自分のための残業」=「私的残業」

p.36 本当に意味のある仕事をして自分を成長させるためには、忍耐を強いられる残業を続けていてはいけないのだ。いや、忍耐から離れるだけでなく、楽しみに向かうことが重要だ。
 残業は自分のためにやるのだから、楽しくなければいけない。その楽しさを感じるためには、自分がもっとやりたいと思うような姿勢になれるかどうかということが大切になってくる。

p.39-40 われわれビジネスマンが自らの成長のために私的残業をするとき、その成功は自分自身でどれだけ楽しい仕掛けをつくれるかにかかっていると言える。

p.50 「労務時間を短くすればストレスがなくなる」というような単純な職場はほぼないと言って間違いない。逆に、ノー残業を進めるがゆえに仕事の積み残しが増え、それがストレスになってあなたを襲うこともあるので、それを警告しておきたい。

p.53 底だまりは、プロであるほどストレスになるというのが私の持論だ。
 優先順位に関係なく、抱え込んだTo Doリストの項目を消していくことはストレスマネジメント上とても大事なことだ。だから残業で底だまりのストレスを解消する、あるいは底だまり自体つくらないようにしていくのだ。

p.57 この国の残業論は、ノー残業で人件費を削ったある一握りの経営者が吹聴した成功体験が大いに受け、いつしか「賢い人は早く帰る」というヘンな固定観念が広まってしまったというものだ。

p.58 仕事の成功の基準はタイムカードではなく成果なのだ。くだらない「茶坊主残業」を人に強制するのも罪ならば、企業人の自然なやる気を「おバカさんの居残り」とせせら笑うのも社会悪だ。
 
p.68-9 とくにプロが考えるプロセスが重要になる仕事の場合、同じ人間が年間二千時間働いた場合と二千二百時間働いた場合とでは、その成長は決して同じものにはならない。それは表面的にいは見えにくい部分の質のきめ細かさや質の高さに関連している。

p.70-1 「考える時間」を効率化できる人はいない。
 プラスアルファの時間をかけた提案は、それなりの時間しかかけていない提案より必ずいいものになる。その時間を省略して「残業ゼロ」を目標にするとは、これを手抜きと世間では呼ぶのである。

p.89 目標は数をこなすことではなく、成果を上げることだ。そのためには時間をかけて、一つ一つの仕事の制度を上げたほうがいいことがわかるだろう。

p.124-5 アメリカに来て気づいたことだが、本当の本当の熟考というものは、個室環境なくして生まれないものだ。(個室は)何も偉いから与えられるというわけではなく、やはりそれなりの思考の質を求めるがゆえのことだといまでは理解している。

p.128 あなたは四六時中オフィスにいることが求められているわけではなく、結果を出すことが求められている。であれば、有効な「あなたのオリジナル施策」を出すためのあなただけの日中の作戦本部を見つけておくべきだ。
 あなたにとって環境がフィットして、マスターともなじみになれ、しかも会社のだれとも鉢合わせをしない場所を死に物狂いで探すべきだ。

p.132 ノー残業会社が「いかに今日も六時に帰るか」を目的にしていて、あなたが戦争のような慌しさの中で仕事をしていたら、部下はあなたに対して悪い情報を報告してこない。

p.138-9 「たった一日でも考えることをやめると、問題意識が即座に低下します。(略)土曜日に思考をストップしたら、週初は仕事にならないはずです。
 生身の肉体をもった人間の話なので、際限なく残業するわけにはいかないし、過労になると能率が落ちる。しかし仕事に対する意識は、できるものならオンとかオフとか、スイッチの切り替えをしないほうがいい。

p.145-6 繰り返すように、われわれは、幻想としての「ゆとり企業社会」に惑わされてはいけない。若かった私は、世の会社に「完全週休二日制」が広まりだしたとき、これで世の中のストレスが確実に減るだろうとバカなことを思ったものだ。
 しかし状況は逆で、私の目に映る世のビジネスマンたちは、週休二日になって以降のほうがストレスをためているように見えた。よく考えると、会社の休みが杖他ところで、ホワイトカラーの評価軸が成果であることに変わりはないのだから当たり前だった。

p.148-9 われわれの生きる世界は過酷な競争の中にあり、みんな同じ条件のもとで知恵を絞りあって互いを出し抜こうとしている。
 残業ゼロの職場でのもう一つのリスクは、極端に日常業務遵守方になってしまうことである。つまり、「めいっぱいがんばってちょうど五時になるようにあなたの器をパンパンに詰め込んでくる職場」では「イレギュラーな仕事」がしにくい。残業をしないことが美徳とされる文化の中では、イレギュラー案件はまさに「悪の根源」視される。
 ベンダーを泣かし、きつい納期を無理強いするなどして自分たちの効率を確保することが自己目的化している職場では、イレギュラー案件は絶対に採り上げられない。

p.153 趣味の合わないカラオケを聴いているふりをして気持ちのこもらないタンバリンを叩くより、ふだん心血を注いでいる仕事をどうしたらもっと面白い仕事にできるかというテーマで語り合うほうが脳みそは楽しく刺激されるだろう。

p.155 職場酒はある意味、まわりを巻き込んでの麻薬パーティーのようなもので、すべての問題を包み込んで「まあ、いっか」といった感覚にさせてしまう。そして業績も「まあ、いっか」で落ち着く。

p.180 だれが何をやっているかをつねに把握し、仕事にかかる時間の見積もりをつねに聞くことだ。そして見積もりで想定された「予定時刻」が来たら帰れというべきだ。そこで、「いや、どうしてもまだ・・・」と部下が言うならさらに続けさせる判断をしてもいいし、見積もりを間違えた罰として予定通り家に帰すという判断をしてもいい。つまり、どんな残業も管理されなければならない。

p.183 労働時間の短縮は、誰かが病気になって熱を下げるだめに薬を飲もうとするのに似ています。熱を冷ますだけで病気の根源を治療しないなら、病はさらにひどくなる。

p.188 私的残業とは自分の成長のためにする残業であり、自分の成長を通して間接的に会社に役に立っていく残業だ。日中は直接会社の役に立ち、アフターファイブは間接に役にたつ。

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2 Comments

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本末転倒の残業削減 (お疲れ)
2009-12-22 19:24:02
 ほぼ残業禁止といってもいいくらいの指示を出し、そのせいで薬歴がかけずに溜まりに溜まっている薬局がある。
 当日に薬歴を書くことなんて常識ではないか。患者に対する最低限の礼儀じゃないか。
 それを早く帰らせようとする。人件費の削減、労務費のカット、患者より組織を優先していることに他ならないのだ。
 残業を抑制するまえに、必要な仕事ができるような環境を整備することだ。患者を中心に考えるべきだ。
 それがない、建前にしか出せない、労務費と残業とを二律背反にしか扱えない薬局経営者は不適格だ。
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ゆとり教育の怪談 (大和)
2009-12-24 22:05:11
学校現場から、文科省の愚民化政策を詳細に暴露したのが、「『おバカ教育』の構造」(阿吽正望 日新報道)です。時代錯誤した自民党政府と文科省官僚は、この知識時代に愚民化教育を行い、20万人の不登校、退学者、60万人の引きこもり、ニートを作りだしたのです。多くの若者を生活困窮者にし、社会荒廃を作りました。
正に、「事実は小説より奇なり」を実証する二一世紀の怪談です。
これは、薬害エイズや薬害肝炎を起こした厚労省官僚の罪を越えます。子供達の人生を困難にし、日本社会の未来を潰した許されない悪行です。
時代錯誤の政党と悪徳官僚を退治して、教育を変える必要があります。

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