「賢者の書」 喜多川泰・著、ディスカヴァー、2005年2月20日
p.82-4 賢者となるべき人間は等しくしすべて、自尊心以外に持っているものがある。それは『他尊心』だ。
他尊心というのは、それほど難しいものではない。お前自身がこの世におけるかけがえのない存在であると同時に、この世の中にいるすべての人たち、ひとり一人がかけがえのない、素晴らしい奇跡の存在であり、大いなる力かを持つことを許された特別な存在であるということを忘れてはいけないということだ。
自尊心を高めるということは、同じ高さまで自分以外のすべての人間に対する他尊心を高めるということを意味しているのだ。一部の、ではないぞ、すべての人間の、だ。
p.94-5 将来どうなりたいか。それは『何になりたいか』であって、『どうなりちたいか』ではない。
お前が賢者になろうが、そうでなかろうが、自らが生きてゆく方向性、目標を持たねばならんということに変わりはないのだ。
p.120 何があろうとなかろうと、それまでの過去がどうであれ、今この瞬間から、今日一日を、この人は絶対成功する人だなぁと思えるような一日にし、それをすべての今日という日で続けるだけですべての成功が手に入るのだからね。
p.130 自らの財産、わしはこれを時間だと教えたが、それを今すぐ何かにしてしまうのではなく、大きくなるのを待ってから手にする。これが投資じゃ。その場で金に変えてしまう以上、その労働を投資とは呼べないのじゃよ。
p.131 働いた時間すべてをお金に換えるような働き方は、その場ですべての財産を別のものに換えて受け取ってしまっているから、投資ではないし、そういう働き方は尊くない。働いても、その場でお金に換えるためでなければそれは投資になるし、そういう働き方は尊いと。
p.133 同じ二時間多めに働くでも、その二時間は金以外のために働いてみよと言うとるのじゃ。
p.144 一方、世の中にはごく少数ではあるが別のものを探して生きている人間たちもいる。世の中の誰かを幸せにしたいと願っている人たちだ。そういう人たちは、自分が幸せにできる人を探して生きている。何かいいことをしてあげられないかな。楽しませられる人はいないかな。自分が幸せにしてあげられる人はいないかな。そう考えて生きているんだ。
p.166 人は言われたとおりの人間になると言うわ。
『お前は裏切り者だ』と言われ続けると、そうでない人も、必ずどこかで裏切るようになるし、『お前は、ものすごい才能を持っている』と言われ続けて育った子どもは、そのとおりの人生を送るものなの。
p.167 多少の病気でも、先生に『大丈夫、すぐ治るから』と言われれば、どんな薬よりも効果があるのよ。
p.193 これからの人生のあらゆる場面で、僕が賢者の教えどおりに本当に行動できる人間かどうかが、くり返し試されることでしょう。単なる知識として知っているだけなのか、それとも自らの生き方として身についているものなのかが試されるでしょう。
p.202-3 人生において欲しいものを手に入れるためには、手に入れたいと思うものを与える側にならなければならない。
多くの者はそれらを、どうやって手に入れるかということばかりを考えている。
誰よりも多くの人に感動を与えた人間こそが、誰よりも感動的な生き方をしている人なのだ。
p.204 人間は何度だって生まれ変わることができる。
昨日までのその人を知る者は、その変化をあざ笑うかもしれない。
しかし、だからといって、今日を自らの誕生日として、新しい人生のスタートにすることをためらう必要はない。
p.208-9 教えた側が賢者ではない。学んだ側が賢者だったのだ。
その人が賢者か愚者かは、学ぼうとする側がその人から何を学べたのかに依存しているのだから。
p.82-4 賢者となるべき人間は等しくしすべて、自尊心以外に持っているものがある。それは『他尊心』だ。
他尊心というのは、それほど難しいものではない。お前自身がこの世におけるかけがえのない存在であると同時に、この世の中にいるすべての人たち、ひとり一人がかけがえのない、素晴らしい奇跡の存在であり、大いなる力かを持つことを許された特別な存在であるということを忘れてはいけないということだ。
自尊心を高めるということは、同じ高さまで自分以外のすべての人間に対する他尊心を高めるということを意味しているのだ。一部の、ではないぞ、すべての人間の、だ。
p.94-5 将来どうなりたいか。それは『何になりたいか』であって、『どうなりちたいか』ではない。
お前が賢者になろうが、そうでなかろうが、自らが生きてゆく方向性、目標を持たねばならんということに変わりはないのだ。
p.120 何があろうとなかろうと、それまでの過去がどうであれ、今この瞬間から、今日一日を、この人は絶対成功する人だなぁと思えるような一日にし、それをすべての今日という日で続けるだけですべての成功が手に入るのだからね。
p.130 自らの財産、わしはこれを時間だと教えたが、それを今すぐ何かにしてしまうのではなく、大きくなるのを待ってから手にする。これが投資じゃ。その場で金に変えてしまう以上、その労働を投資とは呼べないのじゃよ。
p.131 働いた時間すべてをお金に換えるような働き方は、その場ですべての財産を別のものに換えて受け取ってしまっているから、投資ではないし、そういう働き方は尊くない。働いても、その場でお金に換えるためでなければそれは投資になるし、そういう働き方は尊いと。
p.133 同じ二時間多めに働くでも、その二時間は金以外のために働いてみよと言うとるのじゃ。
p.144 一方、世の中にはごく少数ではあるが別のものを探して生きている人間たちもいる。世の中の誰かを幸せにしたいと願っている人たちだ。そういう人たちは、自分が幸せにできる人を探して生きている。何かいいことをしてあげられないかな。楽しませられる人はいないかな。自分が幸せにしてあげられる人はいないかな。そう考えて生きているんだ。
p.166 人は言われたとおりの人間になると言うわ。
『お前は裏切り者だ』と言われ続けると、そうでない人も、必ずどこかで裏切るようになるし、『お前は、ものすごい才能を持っている』と言われ続けて育った子どもは、そのとおりの人生を送るものなの。
p.167 多少の病気でも、先生に『大丈夫、すぐ治るから』と言われれば、どんな薬よりも効果があるのよ。
p.193 これからの人生のあらゆる場面で、僕が賢者の教えどおりに本当に行動できる人間かどうかが、くり返し試されることでしょう。単なる知識として知っているだけなのか、それとも自らの生き方として身についているものなのかが試されるでしょう。
p.202-3 人生において欲しいものを手に入れるためには、手に入れたいと思うものを与える側にならなければならない。
多くの者はそれらを、どうやって手に入れるかということばかりを考えている。
誰よりも多くの人に感動を与えた人間こそが、誰よりも感動的な生き方をしている人なのだ。
p.204 人間は何度だって生まれ変わることができる。
昨日までのその人を知る者は、その変化をあざ笑うかもしれない。
しかし、だからといって、今日を自らの誕生日として、新しい人生のスタートにすることをためらう必要はない。
p.208-9 教えた側が賢者ではない。学んだ側が賢者だったのだ。
その人が賢者か愚者かは、学ぼうとする側がその人から何を学べたのかに依存しているのだから。