先週末、我が家の犬・ナナが亡くなりました。
ビーグルの雑種で、我が家に来てから10年でした。
年齢としては大往生だったと思います。
耳納山麓にある両親の家で飼われていた間に5匹の子をもうけ、
3年前からはポインター雑種のトトも加わり、
かなりにぎやかな犬との生活になっていたのですが、
子犬たちは3匹は引きとられ、ナナもいなくなり、寂しいです。
大きくて若いトトはいつも騒いでばかりでナナに叱られていました。
でも、やんちゃなトトもこの日は大人しくしていました。
夕方からぐったりしだしたナナのそばにいて、静かにしているんです。
少しずつ呼吸が浅くなっていくナナのそばで、じっとしていたそうです。
明け方にナナは逝ってしまったのですが、それでもトトは離れませんでした。
ナナの亡骸は巨峰ワインの敷地奥に埋めました。
近くには以前飼っていた柴犬・シュンも眠っています。
おやすみ、ナナ。
僕たちは君の事を忘れません。
ビーグルの雑種で、我が家に来てから10年でした。
年齢としては大往生だったと思います。
耳納山麓にある両親の家で飼われていた間に5匹の子をもうけ、
3年前からはポインター雑種のトトも加わり、
かなりにぎやかな犬との生活になっていたのですが、
子犬たちは3匹は引きとられ、ナナもいなくなり、寂しいです。
大きくて若いトトはいつも騒いでばかりでナナに叱られていました。
でも、やんちゃなトトもこの日は大人しくしていました。
夕方からぐったりしだしたナナのそばにいて、静かにしているんです。
少しずつ呼吸が浅くなっていくナナのそばで、じっとしていたそうです。
明け方にナナは逝ってしまったのですが、それでもトトは離れませんでした。
ナナの亡骸は巨峰ワインの敷地奥に埋めました。
近くには以前飼っていた柴犬・シュンも眠っています。
おやすみ、ナナ。
僕たちは君の事を忘れません。
家でも、犬、猫を何匹も飼っていますが、去年、蔵祭りの前の日に、ニーファンドランド犬のエル君がなくなりました。
別れは、辛いですね、子供たちと家の庭に埋めてやりました。
いのちを感じる機会がこういった時ですね。
こどもたちにどう伝えるか。
それは自分がいのちをどう感じているか、
ということでもあります。
直接居合わせなくて、母親から聞いたのだけど、自分で見たように映像が頭の中に立ち上ってくるのです。
そんなことを思い出し、また十四代目さんの心中を想像したりして、うるうるしております。
家族の一員ですもんね。
コメントありがとうございます。
最近、はげの湯温泉にハマってます。
小国を通るたびにチビタロウ元気かな~、と(笑)
お暇が出来たらまた遊びに来てくださいね♪
十四代目のブログの愛読者、北九州市在住のものです。
私も、愛犬の「永眠」を二度経験しました。
二度とも軽いペットロス状態になった記憶があります。
悲しいのと、ぽっかり空いた犬小屋の侘びしさがつのって・・・
今、実家では「人間の年齢でいえば90歳」というおばあちゃんネコがいます。
彼女が一日でも長くげんきでいてくれたらいいと願う日々です。
トトが静かに見守っていたくだりは、読んでいて涙があふれてしまいました。
やっぱり、何か感じるものがあるのでしょうね。
寂しくなりますが、きっとみんなに愛されたナナは天国で安らかに微笑んでいることと思います。
ナナは母がとても可愛がっていました。
トトと共にナナの最後を看取った母のことを思うと…。
誕生し、成長し、老い、死ぬ。
「いのち」の持つ、循環という時間に僕は価値を感じます。
発展し続けること、成長し続けること、
前に進み、立ち止まることを許さない、そんな
一方通行の時間ばかりが価値ではないのではないでしょうか。
前向きなのは素敵なことですが、
立ち止まることも、振り返ることも、大事だよと
言いたくなることが良くあります。
ナナにそんなことを教わったように思うのです。
いのちの循環、それを頭では解っているけれど、やはり・・・
看取ったお母様の心中をお察しして、再び涙しています。
立ち止まってちょっと後ろを振り返ることは、大切ですよね。後悔とは全く違う。
前向きな毎日の中に、ちょっと振り返る時間も持てたらいいですね。
十四代目の言葉に「なるほど」と頷いた私です。