未亡人の独り言

夫が突然、糖尿病に。そして、膵臓癌へ…
2009年6月22日永眠。未亡人になりました。

ただいま!

2008-07-24 12:34:31 | 膵臓癌闘病記
昨日の夜、無事帰宅しました。
留守中も人魚さんと一人息子さんに場をつないでいただき、感謝しております。
(^0^)/

今回、復路は飛行機でアッという間でしたが、これをあえて新幹線とフェリーを乗り継ぎ九州上陸した往路が最高の贅沢でしたね(^O^)
一等船室でしたが、次回は特等に乗りたいと主人も言っています。
湯布院も黒川温泉も宿に家族風呂があり、利用しました。
いつも温泉旅行に行くと、お風呂は別々で淋しい思いをしていたので、今回はまさに「片時も離れず」 でした。

夫婦10組限定のツアーに7組しか参加していなかったから、バスもゆったり。
老夫婦ばかりで、私はもちろんですが主人も最年少でした。

湯布院では生まれて初めて人力車に乗ったり、黒川温泉では宿に岩盤浴があり、こちらも初体験!

馬刺しはおいしいし、最高の旅でした!

主人の体調もよく、血糖値なんて100切ることも多く、健康な人の数値になってました。

子供達には、出発当日の朝に発表しましたが、慣れたもので「わかった」と言われ「驚かないのね」と言ったら「そんな気がしてたもん」と娘に言われちゃって…
どうやら私と主人、嬉しさのあまり浮足だってたみたいです。
f^_^;
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9 コメント

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おかえりなさい! (アドリア海の人魚)
2008-07-25 10:48:10
片時も離れずの贅沢な旅行を楽しんで来られた様子!良かったですね。温泉 岩盤浴 馬刺し...う~ん羨ましい(o^-^o)!御主人の体調も良くなったのは やはり一人息子さんのおっしゃる通り 温泉には生の源が宿っているんでしょうね。今日も めっちゃ暑いですね。先程 父の部屋を覗いたら クーラーの設定温度を下げ ステテコ一枚で寝ていました(>_<)もう 慌てて服を着せ 冷えた手足を温めてやり 布団にくるんできました。こんな父を家に置いて なかなか外出する事ができません。食べたものを すぐ気管に詰まらせちゃうし 母は何一つ家事をしないし...少しストレスが貯まりつつあります、私。
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初めまして〓 (さるこ)
2008-07-25 16:24:12
初めましてとかいいつつ今年の一月父の膵臓癌が発覚してからずっと拝見させて頂いてました
ネットで検索を重ねるもののいい結果は得られず私も鬱状態になってしまってましたがこのブログにあってからは父も大丈夫なんじゃないかとか(たまにうらやましく思ったりもしました)父もそんなふうになるかもしれないと期待したり。。
とにかく沢山励まして頂いてました
今月15日父は亡くなってしまいましたが最後まで諦めず戦い抜けたと思っています
とにかく管理人さんにはとても励ましを貰いましたしなんだか近くにいる様な気持ちでブログ拝見させて頂いてました。
ありがとうございますです
旦那様この調子でよくなることをお祈りしていますね
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さるこさんへ (筆者)
2008-07-25 18:35:24
さるこさん、はじめまして!
隠れ読者っているんですね(^O^)


お父様、一月に発覚してわずか半年でお亡くなりになったということでしょうか?
まだ、悲しみも癒えない中、コメントいただきありがとうございます。

本当は、もっと医学用語バシバシの「膵臓癌」について詳しい内容だと良かったかもしれませんが、こんなブログでも少しはお役に立てたなら光栄です。
こちらこそ御礼申し上げます。
m(._.)m

私と主人の一番知りたいことは、「最期」です。
今、元気な主人がどのような経過を辿り「最期」はどうなるのか?

お父様を思い出し、ツライなら無理は申しませんが、これからも時々このブログを覗いていただき、ここを訪れる「膵臓癌の輪」のメンバーにアドバイスしてくださると嬉しいです。
d=(^o^)=b
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お土産は?? (母を介護する一人息子)
2008-07-26 09:42:34
こんにちは。こんなに暑くなると九州より北海道がよかったかもしれませんね。私も旅行は電車が一番好きですね。九州は指宿、北海道は稚内まで電車でいけるとこはいきましたが、沖縄は行けてません。(飛行機は嫌いで、過去に海外出張でやむなく一度乗っただけです。)沖縄へはフェリーを使う手がありましたね。体調戻して日本一周の計画でもしたいものです。
温泉の家族風呂は良いですよね。私の思い出は伊豆稲鳥の海辺の旅館です。山国育ちですから、月明かりで海に道ができ、波音だけを聞きながら二人で入る風呂は最高でしたね。(逆に波音は子守唄にならず眠れませんでしたが・・・。)お勧めの海辺の温泉(もちろん露天の家族風呂あり)をご存知ならば紹介下さい。
では今日も暑くなり今夜は各地で花火が見られるようですが、体調第一で過ごしましょう。
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一人息子さんへ (アドリア海の人魚)
2008-07-27 11:24:23
波の音を聞きながら 海にどこまでも続く月の道を眺める...素敵ですね。さて 家族風呂がある温泉ホテル!ペンションなのですが 伊豆、白浜にある〔星の砂〕はお勧めです。とにかく食事が美味しいし 岩の露天風呂は 時間を予約し 家族で入れます。露天風呂から見える漁り火は幻想的でした。私は夏場に行ったのですが チャラチャラした若いカップルがいなくて 落ち着けるペンションでしたよ。
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Unknown (さるこ)
2008-07-27 17:34:58
どうやら膵臓癌というのは癌の中でも苦しさ,痛み共にすさまじいものの様で最後は目をそらしたくなるようなかんじでした
まずはお腹、足に水がたまり抜くため入院しました。
病院としてはモルヒネで痛みや苦しさを紛らわすことしかできないらしく家族がモルヒネの量とかを決めるんですね。
少ないとやっぱり切れる時間も短く多いとやっぱ会話とかできないくらいになっちゃいますよね。
呼びかけると意識を戻して苦しくなってしまうしひたすらモルヒネを投与するしかない状態で私は早く亡くなる方が父にとっていいんじゃないかとか思ってしまいした。。
強くて大好きな父でしたが強すぎるあまり家族の声にモルヒネから意識が遠ざかるのを拒否し苦しみの繰り返しでした。
心筋梗塞とか一気に逝った方が本人はよかったのかなぁと思ってみたりでもこの半年で私は今までできなかったことができたわけだしとか思ったり結局はどちらが幸せだったか考えても仕方がないことばかり考えてしまいますね。。
だけど父は死に方まで強かったと誇りに思っています!
・・・とかいいつつまだ死を受け入れられないでいますけど・・
他の人に聞いた話によるとベッドに縛り付けたりガーゼを口につめることもあるそうです。
それは苦しさのあまり暴れ、ベッドから落下するのを防ぐためだそうです。。
ガーゼも口を乾かさないために濡れたガーゼを口に入れるまたいです。
うちは体格のイイ兄がいたため縛ることは拒否、また母も私も一時も離れずついていられたのでこまめに水を口に含ませられたんですけどやっぱり最期はずっとついていられる人がいると本人はいいのかもしれないですね。なんだか暗い内容になりましたがやっぱり最期は何もできなかったです。。
今を大事にしてあげるときっと救われるんじゃないですかね?
あと血栓がつまらないようにする薬は確実に飲んでいた方がいいみたいです。
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さるこ様 (アドリア海の人魚)
2008-07-27 21:25:40
お父様の壮絶な最期を看取られたのですね。このコメントを書きながらも辛い想いをされた事と思います。お気持ち察します。私は 膵臓癌の父は このまま木が枯れるように だんだんと弱まって静かな最期を迎えるのだろうと思っていました。今も父は夜中に痛みが酷い時があり 私は父の腹や背中に電気アンカを当て さすりながらも 痛みに歪む父の顔を見るのが辛くてたまりません。しかし 最期の痛みは こんなものではないのですね?私は年ばかりくっていますが 今まで父に守られながら生きてきた 弱い弱い人間です。こんな私が 父の最期を看取る事ができるのか不安になりました。うちの母は 父が癌になってから何かにつけて私に物を投げつけたり、変なヤキモチを焼き、当たり散らします。そんな事もまた不安要因の一つなのですが...。モルヒネは随分 前から癌の末期患者に使われていますが 全ての機能を麻痺させるのではなく 話したい事を最後まで話せるような状態の単純なる痛み止めの開発はされないのでしょうかね。さるこさん 私は とても怖いです。不安です。どうか この先も お力を貸してください。そして膵臓癌の輪の仲間たちの 道標になってください、お願い致します。
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Unknown (さるこ)
2008-07-28 11:14:14
私は今23才です。父は52才でした。
私は実家を出て六年になりますが半年前ガン宣告を受けてから二週に一度は帰ったり入院した際は3日に一回位会いに行っていました。
今思うと実家にかえってあげていたら・・と思いますが。。
やせゆく姿を見ただけで泣きたくなることもありましたしやっぱり苦痛にゆがむ表情は何度か見たりでなんだか帰って全てを見る勇気がありませんでした。。本当に怖いですよね・・私なんかまだまだ子供で父がいないと生きていけないなんて父に泣きついたこともありましたがいざ今夜が山だみたいなことを言われたらやけに冷静になりましたよ。
シッカリ看取ってあげようって。。
もしくはどこかまだ大丈夫なんじゃないかって期待もあったかもしれませんけど。
父の隣ですすり泣く私に父が頭を撫でながら名前を呼んでくれ直後すごく苦しがり私の髪をひっぱりました。
私含め家族はもう意識をとばしてあげること(モルヒネ投与)しかできないんだってナースコールしたんですけど。
今思うともっと早い段階でモルヒネを投与してあげてたらよかったのかなーって思います。。
本人からしたらきっともっと早い段階で量を増やしてほしかったんじゃないかなって。。
お母様の状態はまずいですね
なんとか家族が団結じゃないけどまとまってお父様をサポートしないと・・
やっぱりその様子を見て一番悲しいのはお父様だと思いますから,,
前にも書きましたが私はまだ受け入れていません。
でもまだそれでいんだと思います。
今無理に受け入れたらきっと私もおかしくなると思うから。。
まだ生きていらっしゃるなら尚更自分たちはシッカリしないとといったことを一度お話になってみてはいかがですか?
膵臓癌は死亡率が確かに高いですが百パーセントじゃないわけですから家族が諦めちゃだめですよ(^-^)本人が一番その何パーセントかを信じてると思いますからね。
本当に直前まで死ぬ覚悟ができる人間なんていないんだって思いますよ。
だから無理に覚悟することはしなくていいかと思います。
むしろその何パーセントかを思い切り信じてあげたらいいんだと思いますよ!
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さるこさんへ (筆者)
2008-07-29 09:48:30
貴重な体験談ありがとうございます。
お若いのにしっかり者だなぁ…と思いました。
私もがんばります!
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