戦後まもなく、物資不足のなかで、田舎での稼ぎ頭は、先ずシュロの山持ちでした。シュロの幹を巻く繊維が高値で売れたのです。次いで誰かが山一面にアブラギリを植えて、搾油工場を作り桐油を絞りました。戦後の混乱が収まりいろいろな工業製品が出回りだすといつの間にかそれらの山は荒れはて、工場も廃止になりました。
そのシナアブラギリ:支那油桐(トウダイグサ科アブラギリ属)が今、底紅の白い花をつけています。
昔栽培されていたものが放置され野生化してあちこちに群落を成しているといいます。
油をとるときは顧みられることもなかったこの花が、今見る人に思いがけない美しさでよみがえっているのです。
そのシナアブラギリ:支那油桐(トウダイグサ科アブラギリ属)が今、底紅の白い花をつけています。
昔栽培されていたものが放置され野生化してあちこちに群落を成しているといいます。
油をとるときは顧みられることもなかったこの花が、今見る人に思いがけない美しさでよみがえっているのです。