オレンジ色の紫陽花

携帯から軽快に綴るおいらの日々。
…だったのだが、ツイッターのまとめブログに変更。極稀にこっち単独の記事もある、かも。

オンブバッタ

2006年09月25日 13時46分49秒 | 新・携帯日記
大/あんたッ、しっかりつかまってるかいッ
小/おうッ、こちとらいつでも構わねエぜ
大/そいじゃ、ひとっ走りいくよ
小/おめエはひとっ飛びだろ

正式にはショウリョウバッタ、でしたっけ?
確かこういうのって、大きい方がメスなんですよね?


ひな菊の人生

2006年09月22日 20時53分32秒 | ほぼ、文庫本
ひな菊の人生/吉本ばなな/幻冬舎文庫

キーワード/ダリア、居候、焼きそば、雨、夢、死

読む人(っていうのもおかしいけどさ)が読むと違うんだろうけど、
おいらはこれを読んで、「デッドエンドの思い出」に入ってる
表題作「デッドエンドの思い出」を思い出した。
なんとなく似た感じの話を最近読んだなあ、
なんやったかなあ、
あ、あれか。
てな感じに。

吉本ばななの本は、決して幸せな話ではないけれど、
それでも人は生きていく、
ていう、言い方悪いけどある意味では
開き直ってからの人生っちゅうのもアリやねんから!
みたいな、そういう感じが好き。
だったんですが、最近になって読んでるのは
どうにも、微妙にそこを外してるような気がする。
…お、俺か!俺が変わってきたのか!?

ファッションファッショ

2006年09月21日 23時26分12秒 | ほぼ、文庫本
ファッションファッショ/山田詠美 ピーコ/講談社文庫

キーワード/対談、style、言いたい放題、似た二人、ファッション、お洒落、客観的、見る…

山田詠美の本は、文庫になったらほぼ無条件で買ってる。
今回の対談、お相手はピーコさん
とくれば買わないわけにはいかないよな!
キーワードは、なーんにも考えずに
ざかざか書いたものなので、
あまり参考になるってもんでもない。
ただ、うそは書いてないよ。
彼女の言葉には、いつも
背筋を伸ばしてもらってるし、
気合いも入れてもらってる。
好きな人の言葉は、効くぜ~!

ヒガンバナ

2006年09月21日 11時48分48秒 | 千紫万紅
彼岸花、とはよく言ったもので
昨日がお彼岸の入り(だったはず)。
別名を曼珠沙華。
漢字で書くとさらにおどろおどろしい感じ。

これって、摘んで家に持ち帰ると
その家が火事になる、
てなことを子供の頃には言われたもんですが、
今でも言うんでしょうか。
でも昨秋、小学3、4年生と思しき女の子が
二人して、両手いっぱいの彼岸花をかかえて
歩くのを見ました。
なんか、いいな。
と思いましたが、
あの花はその後どうなったんでしょうねえ。

「ゲド戦記」

2006年09月21日 01時08分23秒 | 水曜日は映画の日
「ゲド戦記」
 声の出演:岡田准一、菅原文太、風吹ジュン、田中裕子 他


(ほんとは声の出演のところに「テルー」の声の新人さんを入れてあげたかったんだけど、漢字がなくてあきらめました。…どんな理由だよ!)

スタジオジブリの映画ですもの、機会を見つけて、映画館で見たいですよ、当然!
というわけで、こっそり行きました(ここに書いてる時点で「こっそり」じゃねえよ!)。
ゲド戦記って、いつだったかな、新聞記事で見ましたが、原作者の方のコメントとしてあんまり芳しくないようなのがありました。他にも、見た人からは、あんまりこう、諸手をあげて絶賛、てわけじゃないよなあってコメントも聞かれますし。あとねあとね、原作を愛読している小学生の女の子が「本の方が一万倍くらいおもしろい」と言い切ってたのもあったなあ(夕刊の連載記事にあったよ)。
おいらはこの映画、テルーの唄と「竜」のビジュアル(笑)と文太兄イ(兄イって!恐れを知らぬ暴言だ…)を楽しみに見ました。
結論。
テルーの唄は想像していたよりもずっと、心にずどん、ときました。
「竜」は「龍」ではなくて「竜」なんだよな、西洋のはな、と思いました。
文太兄イは、感情の抑揚が大きすぎず小さすぎず、きちんと理性を備えた賢人、という感じがしました。(でもおいらは「釜じい」の方が好き!)
オワリ。
…あ、終わっちった。

なんちゅーかな、詰め込みすぎてるな、と思った。挙句、話が中途半端にしか描けてないんじゃないのか?
まず出だしの、アレンが父親を刺すシーン、あれもなんだか、中途半端だったな。あれじゃ「刺されましたが生きてます、ピンピンしてます」っても通用するぞ?だもんでそもそもの「父親を殺した」という罪の大きさがボケてる気がした。いやもちろん、父親を刺した時点で大問題なんだけどな。さらに、その直前にアレンの姿が見えないと侍女達が言うのへ、王妃がいさめるところがあった、あれもとってつけたような感じがした。なんだろう、アレンをとりまく環境、たとえば王妃が後妻だとか?だもんでソリが合わなくて虐げられてるとか?実の父親は超多忙につき自分を構ってくれないとか?なんか分からないけど、そういうのも描くんだったらはっきり描いてくれよ!てかんじ。え、結局これは本筋に絡むことなの?どうでもいいことなの?ていうモヤモヤ感が、映画を見るのに邪魔でした。

テルーにしても、彼女がなんで人嫌いなのか、ていうことを、テナーの言葉での説明だけで終わってる。あれなら言わないほうがましだろうと思った。現実にもさ、いかにもわけありな人とちょっと知り合ったりしても、最初っからその「わけ」を知ろうとは思わないでしょ?「わけ」を知らなくても、知り合った関係を続けていくのに支障が出ることもないでしょ?そんな急に、ねえ。もっと親しくなってからなら分かるけどな。
人嫌いなのは、他人に接する態度でわかる。子羊を懸命に世話する様子から、ほんとはすごく優しい子だということもわかる。一人で涙をぬぐうシーンで、ああやっぱりこの子にもつらい背景があるなってのもわかる。
そんなんで十分だったんじゃないのかなあ。

テナーもさ。その昔、ハイタカに「墓所」から「光の中」へ連れ出してもらった、みたいなことを言うシーンがあったけど、「ボショ」って音で「墓所」って分かるのか?ていうかそっちが気になったんだけど?某所の聞き間違い?とかさ!それなら単に「あの場所から」とかってぼかしておいた方がいいんじゃないのか?

ハイタカと言えば!この映画「ゲド戦記」じゃん?で、ゲドっていうのはこの映画の主人公(だよね?)の名前で、別の名を「ハイタカ」という、くらいのマメ知識は予告編とかチラシで観客はすでに知ってるじゃん?
なのに、映画の中で「ゲド」って名前を呼んだ人、誰かいたか?「ハイタカ戦記」だと駄目なのか?原作との絡みもあるんだろうけど、それにしても、ねえ。

何がもったいないって!たとえばハジカ売りは内藤剛志、布地を売ってるまじないおばさんは倍賞美津子、王妃は夏川結衣…、みんなほんのちょびーーーーっとしか喋ってないの。ン勿体無いったらありゃしないってのよー!!

「死を恐れることは、限りある、一度きりの生を恐れること」というメッセージは共感するところもあるけれど、「恐れる」ということがきちんと掘り下げられていないなあと思った。だから中途半端ーな感じが残るんだろう。
そもそも、なんで「世界の均衡が崩れてきたのか」が、ない。
それはクモがいろいろやってたからなのか?それとも人間たちの所為なのか?
もし前者なら、え、じゃあこの世ってのは、いかな魔法使いだとしても一人がいいようにしてしまえるほど、ヤワなんだ?
さらに後者なら、じゃあクモ一人を倒したからって、クモが消えました、万歳ーwてわけにもいかんでしょう?

それでも、テルーが一人で唄を歌うところは、アレンと一緒に涙を流していましたともさ!!