オレンジ色の紫陽花

携帯から軽快に綴るおいらの日々。
…だったのだが、ツイッターのまとめブログに変更。極稀にこっち単独の記事もある、かも。

電車□旅

2005年08月14日 00時02分59秒 | 過去ログ
□の中には、たとえば「で」とか「の」とかが入ります。
電車に乗るためだけの旅。ていうか、遠足?(笑)
先月一人でこっそりやったのと同じ行程を、家族でやってきました。
前に一度やったということで、知らない路線を走るどきどき感はありませんでしたが、やっぱりその風景にはほっこりするものがありました。なーんか和むなーと思ったのは、案外ほんとの事だったんだなア。
お盆休みで週末ということもあって、家族連れが多かった。ほとんどそうだった。大荷物を抱えた人達。プール帰りで濡れた髪の小学生が居眠りしてたり。へろへろのTシャツなのに何故かサマになってる外人のバックパッカー。
途中車窓から見える大きな川、川原で水遊び(水泳)をする人達。遠目から見て町が開けてるのかと思ったら、川沿いのオートキャンプ場で、びっしりのテントと車。カヌーを操る人達。決して天気は良くなかったんだけど、皆それぞれに夏休みの風景でした。
電車の中で見た人達、結構本を読む人が多かったのは意外でした。へえ。MD聴く人がもっといるかと思ったんだけどな。かつてのウォークマンほど浸透してないのかしら。
でもさ、最後に乗った快速の、通路を挟んだ隣に座ってた大学生(か浪人か)の男の子(というにはちょっと老け顔だったけどな、あの雰囲気は社会人じゃないだろう)の文庫本は「鉄道員(ぽっぽや)」。…それはなんぼなんでも気張り過ぎ?ていうか狙い?(笑)(いや、彼の選択に罪はないよ、念のため)

ラタトゥイユ

2005年08月13日 00時13分36秒 | 過去ログ
今年の夏って、茄子が高いなあ、と思うのはおいらの気のせい?
そういえばセロリも高かったような気がする。
雨が降らない(降らなさすぎ)から野菜が高騰してるのか?
おかげでラタトゥイユの出番が少ないですよ。
今回のはパプリカ(赤ピーマン)も入れてるもんですから、見た目が少々派手です。そんでもってこの後トマトをぶちこみました。味付けは塩コショウとレモン汁。ちょっと入れ過ぎ?と思うくらい入れても大丈夫。ちょっと酸味が強いくらいの方が、食が進むかと思われ。

誕生日おめでとう

2005年08月08日 07時41分02秒 | 過去ログ
すっかり遅ればせながら、になってしまっているんだけれど、日付だけ辻褄を合わせるあたりがせこいっていうか、生真面目(嘘)っていうか、ははは。

この春(っていつの話なんだか)おいらの拙い超長編大河(爆)がようやっと完成した時に、おいらと出会った頃はあなたが中学生だった、とかいう驚愕の事実をおっしゃってくださって、いやいやいいやそうだったよそうだった、あの頃は中学生だったんだよ、と時の流れの速さに愕然としました。ついでに自分の時の止まってる加減にもびっくりしたけどさ、とほほ。ま、そりゃ余談てことで。
で?
いくつになられましたっけ?(どーん)(どーん、ていう効果音は不適切か?)(笑)
来年は成人式?今年に済んだっけ?
そちらの日記を読むに、おそらくリアルタイムでこの日は修羅場ってたんじゃなかろうかと推察され。
こっちのPCの繋がりも最悪でさ、もうなんか、俺にネットすんな、って誰かが意地悪してるに違いないよ、とほほ。なんぼ辛抱強い(自称)おいらでもな、限界ってもんがあるよ、おっかさん。てことで何日かこつこつと接続してみては、そのブチブチ切れ加減に、しまいには電話線のジャック引っこ抜いて受け口(壁の穴)にドライバーつっこんでかきまわしたろか!な勢いで(駄目駄目)火を噴いてました。…いや、リザードン(唐突に)じゃないんだから火は噴かないけど。
ま、そんなことはともかく。

生きてるってことは、日々、何かしら動いているもので。
それはもちろん世間だったりもするけれど、やはり自分自身が、何かしら動いて、変化しているわけで。
だからアタマもココロもカラダも、常に同じ調子ではいられないわけで。
おいらも生まれてこの方30ウン年、一瞬たりとも止まっていた事はなくて、望むと望まざるとにかかわらず、いや多くは望んでもいないのに、ふらふらびくびく(いろんな意味で)動いて生きている。
まあ、ともかくも、健康は大事だよな。特にカラダはな。
アタマもココロも、もちろん健康に越したことはないんだけど、あれもこれも欲張ると良いことなんか絶対ないから、ともかくカラダだよな。
アタマもココロもちょっとぐらい不健康な方が、かえって人間らしいんじゃないか、と、30ウン年生きてきた図太さで思うようになりました。は、は、は。
何がどうでもな、最悪モノが食えてりゃいいんですよ。
やっぱ人間ていうか、生き物の基本は食うことですよ。
…それがダイエットしている娘さんに言うことか!と自己ツッコミしつつ。

誕生日、おめでとう。
あなたがこの世に生まれ出てきたことを、おいらは嬉しく思います。
こうやって、誕生日おめでとう、て言えることを、感謝したい。
…ちゅw    (え!?)

「ほぼ日刊イトイ新聞の本」

2005年08月07日 23時47分11秒 | ほぼ、文庫本
ほぼ日刊イトイ新聞の本/糸井重里/講談社文庫

糸井重里というコピーライター、テレビにも出る人で、タレントではないけれどなんか有名人で、芸能人ではないけれどテレビに近いところにいる人で、「名前でメシが食える(現実にはどうかしらないけどそんなイメージの)」人。
というのが、おいらが糸井重里という人について持っていたイメージ、人物像。多分それは、かつてのNHK教育でやってた「YOU」という番組を見ていた所為だと思うけど。
なんだかよく分からないけれども、テレビに出る人って、本業が作家でも大学教授でも経済学者でも、それ(=テレビに出る事)でメシを食ってる人、というイメージがおいらの中であって、たとえば歌手ならテレビで歌を歌う、漫才師ならテレビで漫才をする、それで飯を食うように、本業が別のところにあってもそれは本業ではなくてテレビに出てなんか喋ったり、その場を仕切ったりすることでメシを食ってる、と思ってたんですよ。中学生の頃かなあ。だから、その人いわくの本業があっても、それは実は副業で、実際はテレビの仕事がメシのタネだと。そういう意味で、テレビに出る人は芸能人と似たような人種だと思ってた。つまりは、一視聴者であるおいらとは別次元の人だと。
糸井重里という人についても、テレビ界の住人だと思ってた。
で、関係ないけど、糸井重里という人は、1948年生まれだってんで、おいらの20歳上だってことがある日、発覚。はア、さすがにテレビ界の人は年齢不詳だよなあ、みたいな事を思ったような気がする。
で、その糸井重里という人がHPを持った。その名も「ほぼ日刊イトイ新聞」。新聞だよ、新聞。活字中毒とは言わないけれども、文字を追う、文章を読む、ことがちっとも苦ではないおいらですから、それはもう、読まないと嘘でしょう、てなイキオイで読みましたとも。きっかけはなんだったかな、ちょっと忘れたけど、多分ネットサーフィンをしていてどこかの掲示板のカキコミで知ったような気がする。おいらのネットサーフィンて、その頃は主に文章(小説とか日記とか詩とか)たっぷりのサイトめぐり、そりゃ図書館か本屋の立ち読みみたいなものでしたから、そこで知った「ほぼ日」、読み応えたっぷりさに感激しました。まだ、波乗り兄ちゃんの休憩所が掲載されていました。(ただ、残念なことに、そのタイトルはずっと目にしてたんだけど、ほかのタイトルの方がおいらには魅力的で、アーカイブまで掘り起こしてがーがーがーがー、読みまくっている間に、波乗り兄ちゃんは「ほぼ日」を去ってしまいましたが。当日更新分を1回か2回、読んだだけだったなあ。面白いけど、ほかのを全部読んでからにするか、てなノリでした。…も、勿体無い事を!!!)
読み物だらけのHPって、素人のサイトには山盛りあったけど、有名人サイトとしては「ほぼ日」が初めてだったんじゃないかな。少なくともおいらはそう思ってます。だからものすごく楽しかった。おいらが求めていたのはこういうHPだよ!と思ったもん。素人だけじゃない、プロの人だってこういうの、作ってるじゃん!待ってたんだよ、こういうの!って。
で、「ほぼ日」読んでるうちに、糸井重里という人は、動物占いでおいらと同じ「ブラックのオオカミ」らしい、ということが発覚。
あと、たとえば4種類の動物と一緒に旅をしていて、どれから切り捨てるか、みたいな心理ゲームの結果が同じ。とか、もういちいち忘れたけど、ちょっとした分類とか、簡単な心理ゲームみたいなものの結果が、よく一致する、ということも発覚。
…ははははは。その頃にはもうすっかり、まるっきり他人だとは思えなくなってました。勿論会った事もなければ話した事もありません。夜中に「ほぼ日」に出したメールにダーリン(=糸井さん)本人から返事が返ってきたことは何度かあったけどな。あーれは嬉しかったなあー。
今、ものすごい脱線してるけど、その糸井重里のHPについて書かれたのが本書(ようやく内容紹介かい!)。「ほぼ日」読者としては、自分がまだ読んでいなかった頃の「ほぼ日」がどういう状態だったか、どうやって「ほぼ日」が生まれたか、おいらが知った後の「ほぼ日」の裏事情(!)はどうだったか、というような話として読んでも面白いけど、そうじゃなくて、仕事をする、何かを創り上げるという事について書かれた本、として読んでも面白いと思う。大袈裟に言えば人としての生き様の一つ、みたいな。
これを書く前に2回読みました。最初は「ほぼ日」についての本として。2回目は「モノを創り上げる」事についての本として。これから3回目に突入したいと思ってます。今度は「おお!」と思ったところに線をひきながら(読みたいけれども、本にラクガキするのはちょっと罪悪感があるので、手書きかテキストファイルでメモ書きしながら)読もうと思ってます。
3年後、おいらも糸井さんも次の代(10代なら20代に、という意味ね)に突入します。その時に「なんだかんだあるけど、おいらは毎日が面白いよ」と言っていたい。その為に3回目を読むんです。

「図書室の海」

2005年08月02日 22時48分54秒 | ほぼ、文庫本
図書室の海/恩田陸/新潮文庫

タイトルから受ける印象や期待感が見事に裏切られた一冊。がっかり。
恩田作品をどれ一つ読んだ事がなくて、初・恩田作品がこの本だ、というのが失敗の原因か。どれもまさに本編を前提にした予告のようで、肝心な謎解きがなされていない。いや、されているかもしれないけど、本編への伏線の匂いがぷんぷんしていて、言い方は悪いけどあざといといえばあざといな、と思ってしまいました。
題材とか、ストーリーとか、文章なんかは、ファンタジィだかミステリーだかなんかそういうカテゴリーに入る感じ(そもそもその点からしても、おいらの守備範囲では決して、ない)。日常と非日常のまざり具合がいい感じで引き込まれもした。それだけに、読み終わって、え?で?何?終わり?あれ?って思うのがいやでした。短編でも、たとえそれが本編への伏線てんこもりの予告編でも、その作品の中でケリをつけてほしい、と思うのはおいらのわがままでしょうか。
なーんかー、消化不良だったなー。
それに、おいらはこれを読んで、恩田作品、つまりここに収められている短編(予告編)の本編を読みたいとは思わなかった。その、読後の消化不良感があまりにもあまり、だったので、もういいや、と思ってしまったから。
おいらは、二つに分ければ間違いなく「本好き」で、図書館とか図書室という場所には、ある種の畏敬の念すら抱いていて(大袈裟だけど、あながち嘘でもない)、神聖な場所のように思ってしまっている(思い込みですよ)ので、ああ、もう、よけいに裏切られた感が大きいんだと思います。ちぇーっ。

期間限定につき売切れ御免

2005年08月01日 21時44分28秒 | 過去ログ
私が通勤に使う電車は、大抵が10時26分。その2台後まではなんとかぎりぎり11時までに会社にすべりこめるが、この時季、そこまでせかせか早歩きをすると、会社に着いてしばらくは仕事モードに切り替わらない(暑いわ、汗だくになるわ、でクールダウンするのに時間がかかる)ので、極力26分に乗っている。
今朝、同じ電車に乗ったら、いつもと違う風景がそこにあった。
揃いの紺のポロシャツを着た4人の女子高生が、いつも乗り込むドアの反対側に陣取っていた(その為、私は定位置(反対側のドアのそば)に立つことが出来なかった)。
彼女達は大きな荷物をそれぞれ自分にもたれさせるように、足元に立てていた。その形からテニス部だということが判明。しかもそのケースがどれも元々の色に比べて白く褪せていたことや、生地の草臥れ具合から見て新入部員ではなく、また彼女達の口調から4人とも同じ学年であることも判明。
彼女達は同じようによく日に焼けていた。海水浴などで急激に焼いたような、今にも皮がむけそうな乾燥した肌ではなく、長い時間をかけてゆっくり焼いたからこそ、の肌、ロールケーキの外側のような色と質感の肌だった。顔も手も見える肌はどこもかしこも、同じ色になっている。
ドラマ(電車男、海猿)の話、クラブの顧問(コーチかも)の話、宿題の話、帰宅時間、練習日程、合宿。
私が下りる駅まで8分くらいあったが、その間に聞き取れただけでもこれだけの話題でしゃべっている。
なんか、いいな。
あんなに容赦なく遠慮なく無防備に日焼けできるのって、今だけだよな。それだって長い目で見れば、将来の肌には絶対に良いわけないのだが、今現在の彼女達にそんな事は言っていられない、構っていられない。それよりも構わないといけない事が目の前にどどん、と山積みなのだ。その一部があのくるくると目まぐるしく入れ替わった話題なのだ。
いいな。
期間限定、の真っ只中にいる彼女達。しかも多分、彼女達自身には期間限定なんて自覚はないだろう。そういう事は期限切れを迎えた大人だけが分かるものなんである。
約8分後、私も彼女達も同じターミナル駅で降り、私は階段を下りて地下へ向かい、彼女達は今降りたホームの向かい側へと移動した。
彼女達の高い笑い声を聞きながら思う、私も高校生の時、あんな風に笑ってたんだろうなあ、と。クラブは何もやっていなかったし、そういえば何をした、とはっきり言えるほどの事は何もなかったような気がする。勿体無いといえば勿体無いかもしれない。
でも、期限切れになった今、期間限定の彼女達を見て悪くないなと思えるってことは、私自身の「その期間」も悪くないものだったに違いない。うだうだぐだぐだしていただけかもしれないけれど、ま、いいのだ。その結果である今の私が、ま、いいのだ、と思えるから、いいのだ。
いいな。
なんか、いいな。
なんかいいな、って思える事がなんか、いいな。