すぎなみ民営化反対通信

東京・杉並発。「一人が万人のために、万人がひとりのために」をモットーに本当のことを伝え、共に歩んでいきたいと思います

ホントのことがわかるイラスト:杉並区による児童館廃止。何が「継承」?!どこが「発展」?!

2014年11月23日 | 児童館なくすな!あんさんぶる⇔税務署交換
 特報・杉並版(地域・児童館版)わかりやすい具体的解説(4)

 予定を変更して、イラストで訴えることにします。というのも、「あんさんぶる荻窪と荻窪税務署の交換」「あんさんぶるに今ある杉並最大の児童館(荻窪北児童館)の存亡」「荻窪北児童館の機能移転のための桃井第二小学校建替」について、杉並区が区民に対して真実を隠したまま、「施設としての児童館にとらわれることなく、これまで杉並区の児童館が培ってきた機能や役割を継承・発展させていくもの」と言いふらし、非常に多くの人々が何となくおかしいと思いながらも「継承・発展」の口先キャンペーンの前に重大問題でありながら態度を決めかねているからです。

 「何が継承か、どこが発展か、冗談じゃありません!子どもたちが自分の居場所と感じることができる、そのかけがえのない児童館がなくなる!周知は急務です」という読者の方からのメールもいただきました。このやむにやまれぬ思いこそ、いま田中区政が公にはどこでも決定されていないのに「既定方針」であるかのように強行している「児童館廃止・区立施設再編整備計画」をひっくり返す原点ではないかと思います。微力ですが、記事の発信・報道を洗い直し、今回は、「特報・杉並版(地域・児童館版)よくわかる具体的解説(4)」の予定を変更して、イラストでお伝えすることにしました。

何が「継承」?!どこが「発展」?!
私たちは、自分の居場所がなくなる残酷物語を子どもたちに味あわせるわけにはいきません


【杉並区の説明】
「これまでの児童館の枠組みを新たな枠組みに再構築し、施設としての児童館にとらわれることなく、これまで杉並区の児童館が培ってきた機能や役割を継承・発展させていくものです」



>『私、こないだ説明会で区の考えてること聞いちゃったのよ。あんさんぶるの児童館、桃井第二小学校を改築してそこに移転するっていうんだけど、区は新しい校舎できる前に移転する、工事中でも仮設があるから大丈夫、子どもの居場所は心配いらないって説明してるのよね。工事って二年間続くんでしょ、二年間、工事中の現場にかよわせて、仮設に子ども置いとける?あれ聞いて、びっくりしたのよ。これは、区は子どものこと、まったく考えてないんだなって。区は児童館の役割とか機能は継承、発展と説明してるけど、ちゃんと、ひとつひとつ、今の児童館がどういうことになるのか、子どもの居場所がどうなるのか、いま考え直さないと後からとんでもないことになるんじゃないかって・・・


区が言っている「継承・発展」、これのどこが継承?どこが発展?ひとつひとつ考えていくと、私たち住民と地域、職員がつくりあげてきた児童館を全部なくすってことではないでしょうか?
「移転」と言ってもあるのは放課後子どもたちを囲いとじこめておくだけの「学童クラブ」という名の「放課後子ども収容場所」だけです。


   児童館で過ごしてきた子どもたちにとっては、自分の場所と思える居場所がなくなるということです。「学童クラブ」と書かれたコーナーに押し込まれるだけ。
   児童館のように自分の居たいところに行ってみんなと一緒に遊んだり、一人で遊んだり休んだり、職員に相談に乗ってもらったりという場も機会もありません。そして小学校では、「授業中だから」「ここは学校だから」という理由で、「あれもダメ」「これもダメ」、「ここはダメ」「あそこもダメ」のダメ尽くしです。
  
   児童館には、遊戯室や図工室、音楽室、図書室、休憩場所、庭や体育館があり、見守ってくれる職員がおり、友だちが遊びを通してでき、また子どもたちの輪に入って打ち解けられない子どもでも一人で遊んだり、絵を描いたりして、つらい思いを我慢しなくても過ごせる時間と場所、居場所があります。遊びと交流、それが誰にも保障されるフリー(自由に選択できる)スペース、オープンスペースです。その自分が実感できる居場所があるかどうかは子どもたちにとって、毎日毎日暗い重たい曇り空のもとで過ごすのか、たとえ色々なことがあっても楽しく明るい気持ちになれる時間と場所が持てるのか、というくらいに大きいものです。
 
   ところが、区が言う「継承・発展」とか「継承・拡充」とかいう「小学校への機能の移転」は、どうなのでしょうか?
  児童館の子どもたちが、「児童館から小学校に移らされる」ことによって直面すること、親御さんが知ることは残酷、悲惨に過ぎると言っても何ら言い過ぎではありません。

  以下は、杉並区の学校長はじめ当局(中には子どものことを案じて心を痛めている方もいるでしょうが)は、ハッキリと言葉には出さずとも必ずそういう状態になると思われることばかりです。「体育館は使えるのか」とか色々聞いても、今は、言葉を濁しているのですが、既に学校内で学童クラブをしているところでは起きていることです。

●「ここは学校です。遊び場じゃないんだから。授業やってるんだから静かにしなさい


⇔わいわい楽しく伸び伸び遊びまわっている自由な空間が児童館です。遊び場をなくしたら、子どもの居場所はなくなってしまいます。


●「遊戯室はありません」

⇔この一事を持っても児童館の機能は継承されたりなんかしません。児童館では他のスペースだってそうですが、とりわけ遊戯室は、子どもがおもちゃで遊んだり、ゲームをしたり、イスで休んだり、一番不可欠なものです。

●「音楽室は学校の授業や部活で使います。それに遊びに使わせたら、やれ太鼓だ、やれ何だと楽器で大きな音出して面白がって遊ぶからダメです。おもちゃみたいに楽器や設備で遊んで、壊されでもしたら困る。使わせません」

⇔児童館ならばほとんどのところで遊戯室、図工室とともに必ずあるスペースです。

●図工室は使わせません。子どもの遊びに使わせたら、子どもはお絵描きのつもりでもあちこち落書きされるし、粘土や絵の具で汚されたら後が大変」


●「図書室は使わせるわけにはいきません。勉強や読書のためにあるんです。子どもに自由にさせたら、子ども同士でおしゃべりしたり、本をとりあいしたりして喧騒を極めるし、本を棄損されかねません」


●「赤ちゃんを泣かせないでください。教室では授業やってるので」
信じられないです。

●「体育館は使えません。使わせません


●「おやつ?何考えてるんですか。ここは学校ですよ」
⇔これって、「ここは児童館じゃないんだから」と言わんばかりじゃないですか!

●「中高生やよその学校の子どもはそもそも学校には入れません」

⇔杉並の児童館が培ってきた、とても大きな意味があるのが中高生の放課後居場所になっていることであり、自由な居場所になっていることから、小学生の子どもたちの遊び相手にもなって、それが中高生にも子どもたちにも有意義な人間的交流になっています。

【児童館】   
❤遊戯室(庭や運動場がない荻窪北児童館には体育室もある)、❤図工室、❤音楽室、❤図書室、❤乳幼児室(コーナー)
 【児童館】
《学童クラブ》《一般児童の放課後居場所》《乳幼児親子居場所》《中高生居場所》《地域コミュニティの行事》
【児童館】 
子どもたち・若者・多世代交流、地域の居場所(地域コミュニティ)
           
    杉並区が言う「継承・発展」
           
移転後の小学校では?   
 ❤遊戯室(庭や運動場がない荻窪北児童館には体育室もある)❤図工室❤音楽室、❤図書室、乳幼児室(コーナー)・・・(※運動場だって使わせない可能性がある。)
移転後の小学校では?
《学童クラブ+一般児童の放課後居場所》《乳幼児親子居場所》《中高生居場所》《地域コミュニティの行事》
移転後の小学校では?  
子どもたち・若者・多世代交流、地域の居場所(地域コミュニティ)


   これは(子どもたちも含め)職員、利用者、地域・住民が培ってきた児童館事業そのものを、「新しい枠組み」と称して全部なくすということではないですか?「継承」なんてこれっぽっちもない、ましてや「発展」なんてまったくの嘘っぱちじゃないですか?子どもたちから児童館を取り上げる、親御さんから子どもの放課後の居場所を取り上げる、地域と住民からコミュニティ拠点を取り上げるということはないですか?もっとも残酷、悲惨な目に逢うのは、児童館という自由な居場所を取り上げられ、放課後も学校の一室にとじこめられる子どもたちです。児童館では、子どもたちは、いずれ将来社会を担う子どもたちの健やかな、伸びやかな成長を願う親たち、職員、住民の温かい“子どもたちの居場所”づくりと手助け・協力・支援がコミュニティをつくりだしました。杉並区の施設再編整備と称する児童館の解体、小学校への移転では、子どもたちが元気になれる居場所とすべての要因を取りあげ、子どもたちはただただ放課後の管理の対象として収容所と化した学校にとじこめられ自由も楽しさも明るさも奪われるのです。

杉並区「ゆうキッズは児童館から保健所に移す」
⇔保健所は感染症で救急車も来るところ。赤ちゃん、乳幼児の居場所として考えることそのものがおかしいのです。児童館は、母親にとっても母親同士で交流でき、また親身になって職員が相談に乗ってくれる福祉拠点でした。


  児童館は少なくともいまの児童館でなくてはなりません。共働きやパート就労世帯がどんどん増すばかりの今、そして現に、学童保育・児童館事業への(区が言う)「需要」が増していくばかりの今、必要なのは、ますます子どもたちの居場所としての児童館を、児童館として増設することであり、間違っても、児童館事業を廃止し児童館をなくし、子どもたちを小学校にとじこめることではありません。
みなさん、ぜひ一緒に考えてください。これは曖昧にはできない問題です。子どもたちのことを考えたら、一歩も譲れない問題です。子どもたちは人間です。国や自治体、ましてや首長の都合、田中良区長の野望や強欲のおかげで、居場所をなくすなどということがまかり通っていいはずがありません。議会は区が「廃止」を「継承・発展」と言い換えて以来、ずっとこの田中区政の児童館廃止・小学校への移転の動きを黙認・放任しています。おかしいことはおかしいのです。間違っていることは間違っているのです。私たち自身が、声をあげなくてはなりません。自分自身の今後の毎日と将来に大変なことが行われることに対して、子どもたち自身には声をあげるすべがありません。これはお母さん、お父さん、地域が、町が、職場が、私たち大人が声をあげねばなりません。子どもたちの居場所を守り、児童館職場を守り抜いて懸命にがんばっている職員のみなさんとともに声をあげましょう。


   
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