杉の子のひとりごと

私の交友録などを中心に,思いを綴っていきます。

幼い命

2010年08月04日 | 日記
連日暗いニュ-スが新聞紙面を飾る。
猛暑に心身ともにぐったりとしているのに、気分まで落ち込んで
しまう。

明るい話題を提供しようと考えているが、やはり触れて於かざるを
得ない。

私は大事なことに触れておきたい。

今までは、幼児、子供の虐待に対して隣人たちの無関心が叫ばれて
いたが、ようやく事の重大さを認識し始めたのか通報する人が現れ
始めた、悲しい出来事の中に光明を見る思いがしている。

それにつけても、行政サイドの後手 後手は、何と云えば良いので
あろうか。
お役所仕事の血の通わぬ、体たらくと言うには、余りにいたわしい。

私の、役所相手の経験を踏まえて説明するならば ?
彼らには、他人を思いやる優しさ、いたわりの心が欠落している。
ただひたすら、お上の言うことを聞いておけば良い、
疑問を挟み異論を述べることなどもってのほか・・・?
この驕りと傲慢を理解して彼らを眺めないと、事の本質に迫ることは
出来ないし、解決策は見つからない。

児童相談所の人員の配置転換である。
所長はじめ権限を持つ職員を、民間から活用すべきである。
でないと、彼らには人の悲しみを思いやる情愛が欠けている。
と同時に法に萎縮するあまり、目の前の緊急の手配、救助が出来ない。

ひとりの無辜の命を救うために、今何を成すべきか、その思考と行動
が伴わない。あたら命の灯を消してしまう。

私は、声を大にして民間からの活用を進言しておきたい・・・!?
それも緊急にで ある。
でないと、彼らには前向きな救助策は期待できないし、再びの被害者を
生むことになる。

それと、警察の役割である ?
民事不介入の名の元に、事が(事件)起こらなければ動かない。
上層部が、人間に対する愛情、慈しみの基本に立ち返る必要がある。

彼らにも、家族があり親兄弟がある、その視点から他人を眺めること
の重要性を認識させるべきである。
日常の殺人事件で、人命が奪われることの悲劇に、感情が麻痺されて
いるのか知れないが ? 我が肉親の悲劇と認識するならば打つ手はある
筈である。

とにも、かくも、官民挙って救助体制を取らないと悲劇は無くならない。

3歳と1歳の幼い姉弟が、水も食べ物もない部屋で寄り添うように
死んでいた。猛暑の中、1ケ月以上放置されたその期間を思うと、
胸が潰れる。

もし、貴方よ ! それが我が子で有ったならと思ってみよ・・・!?
涙が止まらないはずである。

私は、この母親を生んだ親を見てみたい・・・?
表に出ない、父親の気持ちは ? その父方の祖父母の嘆きは・・・?
人間の浅ましさを、見せ付けられる社会は異常である。

私は、人によく言う・・・!
苦しみから逃れようとする時、やけにならんとする時・・・!
我が子の泣き顔を思い出せ !?
そして歯を食いしばれ ! 我慢できぬ筈は無い・・・。

我が子を救ってやれるのは、親しか居まいが・・・ 渇 !? ・・・。。。

                                 合掌


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1 コメント

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同感です (菅崎祐一)
2010-08-04 21:42:57
ブログ読ませて頂きました。私も同感です。
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