事務屋のひとり言

東京都の事務員のひとり言です。

学長挨拶から見えた未来

2005-09-13 | 都立大改革の日々
8月の怒涛の資料集めと提出文書の作成の嵐の最中に、新学長の「開学の挨拶」が回覧されました。
これがもの凄く内容が理解しにくい文章です。
ためしに意味不明箇所に赤線を入れていくと、それだけで真っ赤になってしまいました。
これは他の事務室でも同じことを思った人がいたようで、あっちこっちの回覧文書が同じように真っ赤でした。
心ある係長や課長は、事務側で直さないと出せる文章ではないと忠告をしたようです。
管理本部の担当部署もさすがにマズイと思ったらしく、電話などで内容の訂正を行いました。
現在出ている「学長挨拶」はそうしてできあがった文章です。それでも文句を言いたい方はたくさんいるかもしれません。

確かに文章の下手な研究者の方もいらっしゃいます。
しかし今回の場合、根本的な問題は、文章の上手下手ではなく中身でした。
最初の文章と、公開された学長挨拶を見てわかるのは、事務方が直そうとして苦労した挙句、結局失敗していることです。
http://www.tmu.ac.jp/university/messages/president.html
「学長挨拶」というのは、大学のこれから目指すべきもの、理想などを示す文章です。
事務方がそれを直そうとして、結局到達できなかったのは、元の文章に全く中身がないせいでした。

管理本部の人間にそれが書けないのはわかります。もともと大学の素人で、最後までそれに徹した集団なのですから。
しかし仮にも東北大学総長や岩手県立大学長をしたらっしゃった方が、全く新大学の未来を語れない文章しか書けないなんて実に悲しいことです。
都立大の先生に頼んだら、誰でもこれ以上の文章はすぐに書いてくれますからね。
西澤学長が、東北大や岩手県立で同じようだったとは思いません。おそらく今は大学の未来を語るだけの情熱を失ってらっしゃるのでしょう。

管理本部がしっちゃかめっちゃかにした後でも、西澤学長筆頭とする教員側に心意気があれば、乗り切れるはずだという観測は初めから暗雲が垂れこめてしまいました。

さて9月。管理本部が放り投げた仕事を事務側と教員が必死にフォローして、なんとか認可申請が通りました。
ところが、この時すでに次の騒動の種が蒔かれていたのです。

管理本部は事務処理を放り投げる一方で、「非承認者」とされた教員の授業カリキュラムをリストからはずすのに奔走してました。
そしてわかっている限りの「非就任者」の講義をはずしたのですが、その最終リストを、毎年新入生に配る「履修の手引き」のカリキュラムに反映するのを怠ってしまったのです。

なんのことはない、文科省に出したリストを反映して印刷すればいいだけの話なのですが、管理本部はそれを怠ったために、「履修の手引き」に載っている講義と、文科省に出したカリキュラムに齟齬が起きてしまいました。
これはありえない事態です。

学生の方には、この事態の甚大さがわからない方もいるかもしれません。
つまりこういうことです。
文科省提出書類には載っていない講義が、「履修の手引き」には載っている。
さて問題です。
この講義は開くべきでしょうか? 開かないべきでしょうか?
ちなみに教員免許資格の単位に入っている講義がいくつも含まれていることにします。

この他、「就任者」が行う講義名も変更がされていますが、この反映も徹底されていません。これは「非就任者」の方の講義をフォローするために、「就任者」の人の授業を当てたために起きました。
簡単に言うと、都立大では「専門科目」、首都大では「基礎科目」になってしまう科目があるということです。そういう風にしないと、全然科目数が足りないのです。

結局事務側では、苦肉の策として「この今年の科目は、この科目として読み替える」という処理にしました。
しかしそれでも困るのがシステムへの登録です。
なにしろ、そんな例外処理が出来るような器用なシステムになっていません。
「どの科目が、どの科目に対応している」という連結作業を、半年以上たった今でも手作業で継続中です。
これが資格科目が絡むと、法律にも関わってきますから凄まじい事務量になります。いざ申請してみたら、「この科目は重複履修不可のものを単位として認めている。資格にはあと通年4単位のこの単位が必要」なんてことになったら、とんでもない話です。
適当に連結すればいいというわけではないわけですね。

管理本部に今更責任を取って欲しいとは思いません。しかしせめて現場の事務方に謝って欲しいと思う事務屋は、非常に多いでしょう。