春がくれば桜花にとりまかれるが、
なぜか私は冬の景色を好む
――水上勉(作家)
十代のなかば、寺の小僧だった水上勉は、京都・衣笠山の等持院から嵯峨野の天竜寺まで和尚のうしろをとぼとぼと歩いた。足袋もはかず、雪の吹雪く広沢池の泥道を凍えながら歩いた。池畔にたくさんの桜があった。植木職を営む佐野藤右衛門の桜で、円山公園のしだれ桜を植えた人として有名。百種の桜の苗は葉を落として雪のなかに沈んでいた。水上はこの花もない冬の景色をなぜか好んだ。
北の海に面した若狭湾から、内陸の狭い谷を半里ばかりさかのぼると、彼の生まれた村がある。低い山間の谷地で、生家跡は西の山すそにある。当時はコジキ谷と呼ばれた。「藁ぶき屋根の小舎」は冬になると雪に埋まった。
じっと春を待つ桜木に水上は自分を感じたのだろう。「樹のいのちは人のいのちの裏打ちである」書いた。春の満開の桜だけではない、自然のままに生きる冬の桜に思いを馳せる人がいることを忘れたくない。
なぜか私は冬の景色を好む
――水上勉(作家)
十代のなかば、寺の小僧だった水上勉は、京都・衣笠山の等持院から嵯峨野の天竜寺まで和尚のうしろをとぼとぼと歩いた。足袋もはかず、雪の吹雪く広沢池の泥道を凍えながら歩いた。池畔にたくさんの桜があった。植木職を営む佐野藤右衛門の桜で、円山公園のしだれ桜を植えた人として有名。百種の桜の苗は葉を落として雪のなかに沈んでいた。水上はこの花もない冬の景色をなぜか好んだ。
北の海に面した若狭湾から、内陸の狭い谷を半里ばかりさかのぼると、彼の生まれた村がある。低い山間の谷地で、生家跡は西の山すそにある。当時はコジキ谷と呼ばれた。「藁ぶき屋根の小舎」は冬になると雪に埋まった。
じっと春を待つ桜木に水上は自分を感じたのだろう。「樹のいのちは人のいのちの裏打ちである」書いた。春の満開の桜だけではない、自然のままに生きる冬の桜に思いを馳せる人がいることを忘れたくない。