本人戒烟中 我愛MIMIAO 我希望処ヲ件事儿能一様長久

私が好きなものは全部ここにいる

写真日記:工場的なアート

2005-10-04 | ニッキ

朝、6時30ぐらいの麗江の風景、涼しい風に吹かれて、なかなかいい気持ち

 

朝早く起きたお爺さんがトレーニングしてる、トテモ元気のような姿ですね。

また、麗江の風景です。朝の静かさを表現したいですけど。

私の実験写真ですけと(笑)

青い空、ゴールデン日の光線、綺麗な空気 

平淡だけど、事細かな品位に値すると思う

これも

 

労働者の傑作、工場に発生したアート。SO COOL!

無意味の一枚。。。。。??

 

昼休みが終わり、工場へ向かっていた労働者さん達

 

憂鬱の女、疲れたかも

 

 

この一枚が好きだ。


毎日の8時20分

2005-10-04 | ニッキ

 

天気は涼しくて、気持ちいいな~~

 

広州は まるで 秋の季節に入ったような感じ、でも 暑い日がまた続く。

今日は 珍しい 涼しいの朝だ。


King Crimson -Epitaph

2005-10-03 | ニッキ
 
 
The wall on which the prophets wrote
Is cracking at the seams.
Upon the instruments of death
The sunlight brightly gleams.
When every man is torn apart
With nightmares and with dreams,
Will no one lay the laurel wreath
As silence drowns the screams.

Between the iron gates of fate,
The seeds of time were sown,
And watered by the deeds of those
Who know and who are known;
Knowledge is a deadly friend
When no one sets the rules.
The fate of all mankind I see
Is in the hands of fools.

Confusion will be my epitaph.
As I crawl a cracked and broken path
If we make it we can all sit back
And laugh.
But I fear tomorrow I’ll be crying,
Yes I fear tomorrow I’ll be crying.
 
希望这首歌能够激励我,让我有勇气奋勇向前,度过这些艰苦的日子..
幸亏还有King Crimson

横尾忠則評論

2005-10-02 | 写真


 1960年、ぼくは上京した。それまでアバンギャルド芸術には一度も触れたことがなかった。その最初の洗礼が忘れもしないドナルド・リチーの映画だった。
それは単に「衝撃的だった」という言葉ではいい表せないとてつもない危険なものを感じた。今では映画の内容までは想い出せないが、その断片だけは不思議と甦る。だけどその幻影化した映像の断片はリチーさんの映画のそれなのか、あるいはぼくの夢の一場面だったのかさえ区別がつかないほど、ぼく自身と融合してしまっている。
 リチーさんの映画を最初に観た劇場の座席の位置まではっきり想い出せる。だけどそれを観た劇場はどこだか記憶にない。ぼくは劇場の後方の右端でひとりぽつんと画面を食い入るように観ていた。作品の出来がよいのかどうかというようなそんな冷静な判断は完全に奪われていた。
 リチーさんの映画を観るまでは、ぼくはいわゆる商業映画しか知らなかった。ゴダールもアントニオーニもレネも誰も知らない時だった。ぼくの中にまだ芸術という悪魔が棲みつく前のことであった。
 この映画がぼくには悪魔に見えたとしても無理はなかった。この映画を撮った人はきっと悪魔だとぼくはその時思ったに違いない。そしてこの悪魔は、ぼくの中にまだかすかに息づく無垢な少年の塊に手を懸けようとしているのをぼくは直感した。魂が呼び起こされるそんな瞬間から遠ざかって久しかったのでぼくは恐怖した。いや恐怖したからこそ魂がひょいと首をもちあげたのかも知れなかった。
 頭で理解できるものばかりがぼ
くの周囲をとりまいている時、このような超感覚世界に接触してぼくはぼくの大脳の旧皮質と回路を結んでしまったのかも知れなかった。こんな瞬間、人は肉体から離れてしまうような気がする。ぼくのアストラル・ボディは現実と分離されたもうひとつの現実を体験する。

 リチーさんの映画はアストラル・ムーヴィーだ。映画が夢のようであったり、詩のようであったり、死のようであったりするのはそのためである。夢も詩も死もアストラル界の産物である。想像力あるいは芸術的創造は特別頭をひねって作りだすものではないようだ。そんな感覚をぼくはドナルド・リチーの映画によって示されたように思えた。
 怖かったがおかしかった。恐怖のために笑ったのかも知れない。笑いは未知のものに対した時よりも既知のものに対した時にやってくるものではないだろうか。リチーさんの映画をぼくらはすでに知っていたのである。魂の記憶の封印が切られた瞬間、ぼくは恐れと笑いを同時体験してしまったのである。
 恐れはまだ肉体に執着を残した部分、笑いは肉体からの離脱準備OKのサイン

だ。この両者の間のバルド状態で、ぼくの意識は震動を開始したのだった。もうちょっとで飛べるところだった。その時は飛べなかったが飛べるということを知ったのである。
 飛ぶことは狂気を体現することでもある。芸術家にとって狂気とは? アストラル界と遭遇することなのか、宇宙の愛に抱かれることなのか、死を喜ぶことなのか、神とのパイプを知覚することなのか、大脳の新皮質を断ち切ることなのか。ぼくが初めて暗闇で出会った狂気がドナルド・リチーだった。
 リチーさんは50年代の終りから60年代にかけて堰を切ったように立てつづけに凄い映画を作ってそのまま止めてしまった(?)伝説の映画作家である。
これはなかなか真似のできるものではない。ぼくはリチーさんは啓示によって映画を作らされたんだと思っている。だから、リチーさんはあの頃からずっとぼくは予言者だと思っていたが、数年前イタリアのジェノバで久しぶりに観てその感を一層強くした。
(よこおただのり・画家/草月シネマテーク「ドナルド・リチー映像個展」パンフレットより、1989年)

筱山紀信談攝影

2005-10-02 | 写真
像東京這樣的現代都市巨無霸,已經成爲無數優秀的攝影家用來證明自己才華的影像實驗室。筱山紀信(Shinoyama Kishin,1940- )也是這無數攝影家中的一個。面對東京這個城市怪獸,筱山將三四台照相機一字排開,動用大量人力物力,與東京展開一場攝影角力。他以光怪陸離的色彩,波詭雲譎的想象,將東京這個集怪誕與荒謬之大成的城市瘋狂的一面作了充分的強調。在他的照片裏,東京成爲了欲望無限膨脹,失去城市理性的超現實空間。在他的與東京同樣“微妙而又瘋狂的怪異”眼光下,東京這個怪獸的世紀末瘋狂終於獲得了一個淋漓盡致的展現。
  筱山紀信於1940年出生于東京新宿,1958年畢業于日本大學攝影系。在大學學習攝影期間,他就已經是一個爲攝影界關注的富於創意的年輕攝影家。筱山於1966年獲得日本攝影評論家協會新人獎。1976年,他在威尼斯雙年展上舉辦了個展《家》。1981年,他出版了《筱山紀信──絲綢之路》8卷本攝影集。1987年,巴黎的蓬皮杜藝術中心舉辦了《筱山幅東京》展。1991年,他在東京舉辦個展《新宿》。筱山紀信是日本爲數極少的幾個與平面傳播媒介緊密合作的高産攝影家之一,已經出版有各種攝影書籍與作品集上百冊,其中包括在日本社會各個階層引起巨大反響的《睛天》及《聖塔菲·宮澤理惠》等。

Shinoyama Kishin
與東京怪獸的攝影角力

筱山紀信談攝影


問:你在周刊雜誌的卷首頁上每周發表攝影作品,然後在消費後被扔掉。我認爲,唯有可以被扔掉的東西才具有時代性。如果是這樣的話,在這樣的條件下,你在“拍攝什麽”這件事上是怎麽作出你的選擇的?
答:這完全憑著一種動物的感覺。我拍攝的東西並不全部是時代的東西,當然會有我自己的選擇。是我的感覺、或者說近似于本能與生理的東西來作決定的。比如說吧,電視不是播出了宮澤理惠的婚姻破裂記者會嗎?在緊緊盯著這個播出的時候,我是把聲音去除的。如果聽到語言,人就會馬上悲傷起來,一同情的話還要想哭什麽的。但如果把聲音去掉,只看她的面孔特寫綿綿不斷地播出的話,就會看到一種不一樣的東西。那孩子心中的一種魔性、清純聖女般的聖性,也就是說不屬於這個世界的東西,是一種無從說起的奇怪的美。我想大家被吸引住的就是這個。我是本能地湊上去拍攝這種魔性與聖性。不是憑什麽理智。因此,她至今爲止的人生、經歷,或者說這次婚姻破裂所引起的她自身的變化,我並不太關心。把我在一瞬間看到的東西、感覺到的東西拍攝下來是我的做法。

問:是不是在第一次見到拍攝物件時就已經明白了?
答:是的。在我的攝影中,不管是什麽人,如果是第一次見面時不能拍攝好的話,那麽今後一生也拍不好他。如果是感覺輕快的人的話,以後也能順利拍攝他。

問:我有時會想,你的照片是沒有聲音的世界。所謂照片,基本上是無聲的。但是,卻會有從中聽出聲音的事。我們會從攝影家那裏聽到,在看到某個風景時聽到在那裏流動的音樂,如果是酒店的話,則是酒店的音樂,如果是海濱的照片的話,則是回響在海濱的歡聲笑語。這是支撐這張照片的語境、或者說社會狀況……
答:人生呀、故事呀,從這當中出現的感動等。

問:我想是與這些東西有關的。但是,在你的照片裏,卻完全沒有聲音。
答:這是把攝影純粹化了。也就是說,從聲音與語言中會有非常多的資訊生髮出來。

問:我認爲,重新思考1970年代對自己來說是非常重要的事情,爲此也調查了相當多的資料,但是,卻沒有自己經歷過的1970年代的清晰的形像。就在這個時候,我看到了你的《晴天》,這本攝影集給我的強烈印象是它與我認爲的1970年代的形象相當一致。這讓我非常吃驚。所謂的1970年代,處在結束了節日狂熱氣氛的1960年代與開始瘋狂消費的1980年代的中間,公害呀石油危機呀這樣的陰暗的事很多。但是,我還是從這個時代受到了許多影響。從這個意義來說,這本攝影集很好地保留了1970年代,看同時代的繪畫與雕塑,卻感受不到這麽多的東西。
答:在我的攝影集中相當重要的一點是,比如我從船上拍攝的伊豆洋面的地震引發的火災光景,決不是要揭發自然的威力;也沒有由於拍攝了核能船而就原子能問題表達什麽意見。也就是說,我拍攝的是在時代當中的突出人士、不管有名無名只要觸動了我的琴弦的人、變故、風俗、事件等,我只是以我的直覺與生理來輕鬆地拍攝,“核能船也是一艘很漂亮的船呀”、“地震引起的火災的火可真好看呀”等這樣的感覺。沒有對看我照片的人發送什麽資訊。
在照片的量變得龐大,集成一冊的時候,對像你這樣在1970年代成長起來的人來說,也許就是這個道理。但是,其他人的看法還會不同吧。我所拍攝的一個一個的人,只是我的生理、興趣與欲望的體現。因此,如果從其他語境來看他們的話,就會擁有另外的意義。我的照片不會強加於人。最初看上去沒有主體性與個性,人家會批評說你怎麽一點也沒說應該說的話呀,但是我認爲所謂的攝影不是自我表現的裝置。因此,我是一個一邊與時代一起前進、融入時代,一邊貪婪地拍攝觸動了我的眼睛與欲望的東西的攝影家。

問:最近有一種把攝影看成是藝術的樣式之一的傾向。但我認爲這有點危險。通過給予攝影與繪畫、雕塑等一樣的地位,攝影本來擁有的力量不就要失去了嗎?
答:我不認爲那些東西是攝影。應該是使用了照片的美術作品吧。像我在做的才是攝影。

問:比如說以攝影爲專業的美術館也出來了,你對此有什麽看法?
答:這是好事情。但我不是爲了進美術館、或者被美術館所評價而拍照片的。

問:我認爲好的照片是無法在美術館裏留下來的,因爲照片是爲了被扔掉而出現的。
答:越是想要使作品帶上20年後的附加值,就越是會削弱攝影本來擁有的生動力量。進入1980年代後,出現了電腦設計的手段。有人說電子統治一切,攝影的末日已經來臨。但是,泡沫破了。
就像我剛才所說的,想拍攝的生理或者說欲望這種東西,是非常私人化的。在表現這種私人性的東西並向誰傳達的時候,實際上沒有比攝影更合適的媒介了。與其他媒介相比,它預算低、時間短,更可以印刷、複製、大量發表。而且視覺超越語言,直接進入到人的當中去。最重要的一點,沒有受到政府的管理。在攝影中,比如說使用未成年兒童而違反兒童福利法呀、暴露陰毛的問題呀什麽的,存在各種問題。但是,如果做得聰明的話,可以表現得相當自由。因爲上面沒有辦法全面控制媒體。沒有比這更自由的現代表現媒介了。如果是電波的話,最終是由郵政省來管理的。
而說到大量印刷、低價的特點,周刊雜誌所具有的意義非常之大。所謂周刊雜誌,就是拍攝、沖洗、第二天發稿、一周後在報亭出售、兩天後賣完這麽一個過程。接著是下一期出來。這就是速度。這才是今天的表現方式。而對美術以前所具有的原作信仰,這可是不能接受的事。

問:是的。我對美術中的波普藝術有著特別的興趣,英國波普的創始者、藝術家理查·漢密爾頓曾經發表過波普藝術十條這樣的東西。面向大小⒀u作流行的東西。因爲製作費用低,所以以青年人爲目標。可以大量生産,魅力十足。
答:說到魅力的話,那是情色。就是非常色。對攝影來說這是很重要的。攝影是一種情色的媒介。

問:也就是說,漢密爾頓說現在只有可以大量消費的東西才能成爲藝術。如果是這樣的話,雖然流行音樂、攝影等不被認爲是藝術,但反過來說,波普藝術以後的藝術才是正道。因此,可以說攝影才是先進的藝術風格。
此外,繪畫與雕塑保留了它們從零開始的一種創造性神話,這與原創性的想法有聯繫。而攝影則不同。它是一種把已經存在的世界最好的地方裁剪下來的作業。說真的,只有優秀的美術家才會有攝影式的想法,從這個意義上來說,如果不認識到繪畫與雕塑至少是一種落後時代的東西的話┅┅
答:從零開始做的想法已經不行了。在攝影還沒有的時代也是如此。

問:你有本以新宿的照片爲中心而構成的攝影集《東京未來世紀》。這本攝影集一定要經過一段時間再來看它,才可以思考那個時候東京的事。就像現在的《睛天》刻錄了1970年代那樣。
答:這本攝影集越是讓它束之高閣就越是有意思。攝影真正令人著迷之處是魔性、情色、不知不覺中的妖豔這種東西,是這些東西使事物成爲事物。只要能夠感覺到這種東西的話,就拍得到照片。著名的人還是默默無聞的人、男女老少、人人皆知的建築、無人知道的建築、散落在街道上的垃圾、只要有某種東西吸引了我,我就會快步上前拍攝下來。結果,是神降臨了或者說是神在那裏出現了,儘管我並不知道,但會發生特別的事情。

問:你說的特別的事情的確是有的。前幾天,我在夢中到一個島附近圍海造田的地方去,那裏有某種聲音在響。“滋──”這樣的討厭聲音,聽著聽著頭就疼起來了,感覺到眼珠子要飛出來了。後來問了人家後,說是地上的蟲子。不管這是真的還是假的,但卻有奇妙的說服力。在《東京未來世紀》裏,你不也是在看著這樣的地方嗎?
答:不光是圍海造田這樣的地方,整個東京全部都變得怪異起來了。我本能地感覺到有什麽怪異的地方。但是,光是去新宿拍攝是不行的,因此我在夜裏讓裸體的女人站在那裏,打了燈再拍攝。在取景時借用各種各樣的東西,來強調微妙而又瘋狂的怪異。

問:在拍攝這些照片的時候正好是東京都市政廳剛好建起來的時候。
答:那時正好是泡沫經濟最繁榮的時候,因此各種建築像毒蘑似地“嗖嗖”地躥了出來。在事物出現的時候,它的磁場就會湧現能量。因爲是把舊的事物破壞掉,所以在新與舊之間就會湧現能量。我就一路聞著這種氣息去拍攝的。

問:現在還在拍攝東京嗎?
答:與其說是拍攝東京的事物,還不如說是拍攝住在東京的怪人。希望大家不要産生誤解,所謂“怪人”只是“住在現在的東京的人”這個意思。就像我剛才說的那樣,因爲東京這個都市本身已經怪了,因此,如果人不怪的話就住不下去。也就是說,我也怪,你也怪。
因爲在爲各種各樣的雜誌拍攝人物,因此當我的直覺感覺到“這個人怪”的時候,我就用8×10英寸的相機、白膠片來拍攝他。這可真是有意思的工作。都是我很喜歡的人,從某種意義上來說,他們象徵了現在的東京。因此,我給這些照片起的題目是“東京人”。

問:你就這樣在不斷地大量拍攝被消費的圖像呢。幾十年過去後,隨著時間的累積,這些照片會作爲完全無法消費的東西再次出現。尾忠則(譯注:日本當代平面設計師,畫家)最近把自己在20年前拍攝的東西整理而成一部名爲《記憶的透視法則》的攝影集,從某種意義上來說,這些照片還是現在來看更有意思。在這本書裏出現的人中,已經有20多個人去了另一個世界,儘管如此,他們卻活在了這本攝影集中。
答:如果在量方面積累龐大的話,就會成爲一樁不得了的事。因爲在那個時候也許我已經死了,但照片卻留了下來。不過,如果帶著要留照片下來的意識的話,結果反而留不下來。攝影就是每天認真地不斷拍攝,攝影就是這樣的東西。

撮影が上達する7つのヒント5-7 FROM ZDNET

2005-10-02 | 写真

 

http://review.japan.zdnet.com/feature/0509_digicam/feature0509_isopy-02.html#5

その5:遠景は望遠で迫り近景は広角で引き寄せる。クローズアップで“広がり”を想像させるべし

 山々が連なるような広大な風景に出会ったとき、それをカメラに納めようと全体像にこだわるあまりに、仕上がった写真がなんだか漠然とした風景になってしまうことはないだろうか。そもそもヒトが実際に感じた風景の大きさは写真という小さなフレームには収まりきるものではない。それを無理矢理、広角レンズを使って写真に収めたとしても迫力のない傍観的な写真で終わってしまう。

 そのようなときに試していただきたいのは、その風景のなかから一番強く惹かれる箇所だけを選び出し、そこを望遠レンズでクローズアップさせ、敢えて周りを見せないことで本来の風景の広がりを見る者に想像させてしまうという方法だ。そうすることでより明確に印象を伝えることができ、同時にそこに広がっているであろう、広大な風景を予見させることができるのだ(9)。

 一方、比較的近いところにある被写体を広角レンズを使用して撮ることで被写体との距離感を縮め、手で触れることができるようなリアルな印象を与えることもできる。日常のなかにある自然を感じさせることもできるのだ。

 このようにともすれば正反対とも思えるレンズの選択ではあるが、実はヒトの視野というものは遠景においては狭い範囲を、また自分に近いところは広い範囲で捉えているものである。それと同じような画角で被写体を捉えることで、写真を見る者に疑似体験させることができるのだ(10)。

 このように写真というものは、撮影者が感じ取った印象をいかに見る者へと伝え感じさせるかということが大事なのである。

9(左):雲間から伺える湖面は夕日に照らされ金色に輝く。広大な景色の一部分に迫ることで山全体の幽玄さを感じさせている。

10(右):足下に積もる落ち葉。腰を落とし目線をさげ自分の身内にまで被写体を引き寄せることで、より実体感のある写真となる。


その6:時にはレンズフィルターなどアクセサリーを効果的に使用するべし

 写真を趣味にされている方ならよくご存知だとは思うが、各アクセサリーメーカーからはいろいろな効果を生み出すレンズフィルターが販売されている。たとえば、風景写真には必須アイテムとも言われているPLフィルター。このフィルターを使うと、その偏光効果により、水面や葉っぱ等の反射を抑え色彩を強調するなどの効果が得られるほか、青い空をより青く深く写し撮ることも可能だ。また、エンハンサーフィルターといって赤い葉をより赤く、緑の葉をより緑に際立てるといった効果のフィルターなどもある。もちろんこれらは撮影者の好みによって使用していただきいのだが、これらを効果的に取り入れていくことで写真に味付けをしていくこともできるのだ。

:レンズフードの効果は意外と知られていない

 また意外とその効果が知られていないものにレンズフードが上げられる。レンズフードとは、レンズの前玉部分を覆うようにつける、いわば“ひさし”のようなもの。たとえば、望遠レンズを付けたカメラでは実際に写るのは狭い角度の範囲であるが、それ以外の直射日光などが直接レンズに差し込んでしまうとレンズ鏡筒内で光の乱反射が起こってしまうのだ。それによって白っぽく絞まりのない画像となってしまう。とくにデジカメはその構造からハレーション(乱反射)が起きやすいため、しっかりと余計な光をカットしてやる必要がある。これらに効果的なのがレンズフードなのである。これに関してはつねにカメラに着けておくことをお勧めする。


その7:常に心はニュートラル。自分の身丈で周りの美を見つけるべし

 よく自然写真を撮るとなると、山とか海だとか大きなものに目が向くかもしれない。しかしどんなところにも自然はあって、隣の家の垣根にも自分の足下にもあるものだ。常に目線をニュートラルにしておき、見たものを楽しい、おもしろい、きれいと思える余裕を持とう。そして気になるものに出会ったらいつでも写真を撮るように心がけよう。そうすることでもっと写真は楽しくなっていくだろうし、きっとそんなあなたが撮影した写真はそれを見た人の心にも届くようになることだろう(11)。

11:大輪の花。その肉厚の花弁が女性を思わせる。この花は民家の垣根に咲いていたもの。
自然とはいつでもそこにあるものだ。


礒村 浩一 (Isopy)礒村 浩一 (Isopy)
1967年福岡県生まれ、千葉県君津市育ち。小学生のときに自分専用のカメラを手にしてから写真の世界に魅せられる。東京写真専門学校(現、東京ビジュアルアーツ)卒業後、広告写真プロダクションにて撮影の基礎を学ぶ。現在はフリーカメラマンとして人物、商品、雑誌、舞台撮影など活動範囲は多岐に渡る。デジカメ専門誌においては撮影と記事を担当。 ZDNetにおいてもデジカメ新機種のレビューを担当する。さまざまな経験から導かれた撮影心情は、すべての被写体に愛情をもって接すること。どうやら、子どもと動物には好かれるらしい。


撮影が上達する7つのヒント3-4 FROM ZDNET

2005-10-02 | 写真

その3:デジタルだからできる技。ここぞという時にはRAWデータで撮影するべし

 写真においてイメージを構成する大きな要素として、露出とならびその色合いも大事となる。とくにデジカメではホワイトバランスという光の色温度の調整も必要となってくる。光の色温度とは光の色であり、簡単に説明すると、晴天の太陽光(約5500K)を基準とし、夕方の光や電球光では黄色みを帯び(約 3000~ 4000K )、晴天の日陰や晴れた早朝の光(約7000K~)では青みを帯びるようになる。デジカメでは、それぞれの光のもとでその色温度に設定を合わすことで白いものを白い色として表現できるようになっている。またホワイトバランス設定をオートで合わせてくれる便利な機能 (AWB)もある。だがこのAWB(オートホワイトバランス)が逆効果になる場合も多い。なぜならば自動でホワイトバランスを合わせてしまうために、夕景を撮影しても昼間のような写真になってしまう場合があるからだ。

 そこで私は主にホワイトバランスは太陽光(5500K)に固定して撮影することが多い。そもそも人間の目は太陽光のもとで白を白と認識するようにできている。写真フィルムに関しても太陽光に合わせたデーライトフィルムで撮影することが基準となっているのだ。つまりホワイトバランスを太陽光に合わせることで、一番自然の状態に近い状況を写し撮れるわけだ。早朝は青白く、夕方は黄昏れる。それでいいのだ。

 しかし、時には撮影時の色味の記憶と撮影された写真の色味にズレが生じることがある。実はヒトというものは実際に見た色とは別に、そのときに受けたイメージから生まれた「記憶色」というものを重要視する生き物である。そのため機械的に正直モノであるカメラが記録した画像の色と撮影者の「記憶色」が合わないという事態に陥ってしまうのだ。

 だが写真を表現する以上、撮影時に受け取った「記憶色」を大事にして欲しいと私は思っている。なんと言っても撮影者の持っているイメージを表現することが、なによりも大事だからだ。

4:山の中の倒木に明け方からの雪が積もる。まだ薄暗い森の寒々しさを表現するために、RAWデータからの現像時に若干の色温度調節を行い青みがかった画像に仕上げた

 そこで私は、ここぞという時にはRAWデータでの撮影をオススメしたい。なぜならばRAWデータで撮影しておくと、PCに画像を取り込むことで色温度設定の変更ができるからだ。つまり撮影時、デジカメではAWBもしくは太陽光設定で撮影しておき、RAWデータ現像処理の際に撮影時の記憶色に合わせるための微調整が可能なのである。また敢えて撮影時の状況から色温度を変化させることにより、より自分のイメージに近い写真を造り上げることもできてしまうのだ(4)。

 ほかにRAWデータでの撮影をするメリットとして、JPEGなどに圧縮保存する前の状態のまま保存されていることから、撮影したときのデータがそのまま残っていることが上げられる。そのためレタッチソフトなどでレタッチする場合にも画像劣化が少なくてすむ。またPCでの現像時に画像の明るさを調整することができるのも大きな利点だ。このようなメリットをうまく利用することで、高品質でイメージ通りの画像を手に入れることができるのだ。

 これらはデジタル写真であるからこそ可能となったものである。しかしデジタルであれば何でもできるということではなく、デジタルという絵筆をうまく使いそれを自分の表現として活用することが大事だ。それこそがデジタルならではの面白さだとも言える。


その4:あれもこれもと欲張らず、焦らずのんびりじっくりと贅沢に撮るべし

 旅行に出かける時、ツアーパッケージなどを利用する人も多いだろう。また、最近では写真の撮影を主な目的とした撮影ツアーも多く用意されている。これらのツアーは比較的安く、何カ所もの観光名所を巡ることができる楽しいものだ。しかしその反面、団体行動のために時間や行動に制約を受けるため、旅先で素敵な景色に出会えたとしても、そこで1時間も2時間もカメラを構えると言うわけにはいかないだろう。

 だが「自分の作品」と言える写真を撮りたいのであれば、できるだけ贅沢な時間の使い方をして欲しい。一日に何カ所も巡りいろいろな場所で写真をいっぱい撮ろうというのではなく、その日一日で1枚か2枚、気に入った写真が撮れればいいかな、というぐらいの気持ちでいて欲しい。それにはやはり、ひとり旅をお勧めする。どんなに仲の良い友人や家族であっても、やはり一緒にいる人に気兼ねしながらでは落ち着いた撮影は難しいと思うからだ。そういう私も、撮影に向かう場合にはできるだけ一人で行動するようにしている。私の場合、気になる光景や風景に出会うと、その場にカメラを据え付けたままで数時間撮り続けることもある。特に早朝や夕刻の光景というものは、その光の変化により刻一刻と変化していくからだ。普段はあまり気がつかないかもしれないが、実は日の光と言うものつねに動いていて、そのスピードには驚かされるほどなのだ。その明るさや日差しの変化を捉えるためにもぜひとも時間を贅沢に使って撮影して欲しいと思う。

 そのように時間を贅沢に使うことで、日の光や風、時には雨なども味方に付けることができるのだ。たとえば、強い雨が降った後なら空気中の塵なども洗い流してくれるから空気がクリアになり、遠景をハッキリと写すことができる場合もある。また、濡れた草の生き生きとした色など、晴れているときには見ることのできない光景にも出会うことができるのだ。雨が降ったから撮影ができないではなくて、雨が降っているときにしか撮れない写真、雨上がりだからこそ撮れる写真もあるのだ。同じようにこれから先の季節でも寒いから撮らない、ではなくて、その状況の中での素敵な光景を見つけ、写真に撮っていくことが大事だと思う(5・6)。

5(左):直前まで降る続いていた雨がやみ、空を覆っていた雲の割れ目からは夏の日の青空が見えた。雨と青空と夕焼けの入り交じった神々しい瞬間だ。

6(右):北海道では秋には初雪がおりる。前夜から泊まり込んでいた山頂では足下の小さな草でさえもその寒さを受け止める。

 このように腰を据えてじっくり撮影する際に、ぜひとも用意していただきたいものがある。それは三脚である。それもできることならば少し重量のあるガッシリとしたものを用意してほしい。早朝や夕刻など薄暗い中での撮影のみならず、風景などの自然に向き合うにはカメラを三脚にしっかりと固定して、撮影する側もどっしりとした心構えで自然と向き合いたい。なぜだか不思議なもので、そうやって一つ一つの写真を大事に撮っていくとそれが写真にも現われてくるのだ。それにスローシャッターにもなりやすい風景写真においては、三脚にカメラを据え付けることで手ブレ予防にもなる。その際にはカメラ本体に触れることなくシャッターを切ることができるリモートケーブルやワイヤレスリモコンを使うようにしよう。たとえ三脚にカメラを固定していたとしても、直接レリーズすることでカメラがブレてしまう恐れがあるからだ(7)。

 このように一見面倒だと思えることであっても、それをしっかりと準備していくことが大事なことだと思う。また、それが自然という大きなものに向かい合う礼儀だとも言えるであろう(8)。

7(左):刻一刻と変わりゆく夕景が、ある一瞬世界を深紅に染め抜いた。

8(右):夜空を彩る星ぼしが暁の光にかき消されていく。三脚上のカメラを確実に水平に合わせることで水平線の広がりを美しく表現することができる。


撮影が上達する7つのヒント1-2 FROM ZDNET

2005-10-02 | 写真

その1:いい写真を撮るにはコンパクトではダメ?

 800万画素クラスのCCDを搭載するタイプまで登場してきたコンパクトデジカメ。その描写力は、一眼レフデジカメにも肉薄するくらい素晴らしく、また各社共に色再現にも力を入れて開発されているおかげで、時にはハッとさせられるくらいの美しい写真を撮ることができる。そんな高い画質が低価格で手に入るのだから、世の中よい時代になったというもんだ。しかし、もしもあなたがもう少し本格的な撮影に取り組みたい、気に入った作品ができたら写真コンテストにも出してみたいなど、より深く写真を楽しみたいと思っているのならば、やはりここは一眼レフタイプのデジカメをオススメしたい。ここでは単純に画質の善し悪しということだけで両者を比較する訳ではない。一眼レフカメラを使用することで、撮影者の意識にも大いに影響があるからだ。一眼レフカメラのファインダーを覗いて見えるものと、液晶画面に映った被写体とではおのずと違いが出てくる。なぜならば、一眼レフカメラではファインダーを覗き被写体を見る場合、撮影レンズを自分の目とすることでその像を「主観」として受け取ることができる。しかし、多くのコンパクトデジカメでの撮影方法は被写体を背面液晶に映しながら撮影するため、どうしても被写体を「客観」的に見てしまうのだ。みんなでワイワイ楽しむ写真ならばそれでも良いかもしれないが、写真作品を造り上げていくには、やはり自分なりの世界にどっぷりはまり込んで行くことも必要なのだ。

 しかし、コンパクトデジカメは、一眼レフには敵わない優れた点がある。それはその名の通りコンパクトで軽いことだ。どんなに高性能なカメラでもその重さや大きさのおかげで持って歩くことが億劫になってしまっては元も子もない。このようにコンパクトデジカメにも一眼レフデジカメにも良いところがある。大事なのは自分にはどのカメラが合っているかを知ることだ。そしてそのカメラで楽しみながら写真を撮って欲しい。なんと言っても楽しみながら写真を撮ることが一番の上達への近道なのだから。


その2:撮りたい写真に最適な露出モードを選ぶべし

 多くのデジカメには、撮影する時のいろいろなシーンにあわせて選べるシーンモードが用意されている。風景モード、人物モード、スポーツモード、マクロモードなど。最近では動きの速い子どもに合わせた、子どもスナップモードなどが搭載されたカメラも出てきている。これら各種シーンモードはその撮影目的に最適化されているのでデジカメ初心者でも簡単によい写真が撮れるようになっている。けれども逆に言えば、標準的な写真で終わってしまうとも言えるのだ。
 そこで、ワンランクUPヒントとして、マニュアルモードでの撮影を試してほしい。カメラまかせのオートモードで撮るのではなく、あえて露出を自分で決めていくことで、写真に撮影者のイメージを織り込んでいくことができるのだ。

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1・2:同じ被写体を露出を変えて撮影したもの。
明るさを変えるだけで違う表現となる。

 たとえば、撮りたい風景に山の稜線があったとして、上半分が明るい空だった場合、それをそのままカメラ任せの露出で撮ると、カメラは明るい空の露出に合わせてしまう。そうすると山の緑が暗くなってしまうのだ。ここで山の緑の色もちゃんと出したいと思うなら、露出を+2/3絞り~+1絞り半ぐらい明るめにしてみよう。それによって山の緑も明るく写る(1)。
 では、露出補正をかける前の暗い山の写真は失敗作なのか。実はそうとも言い切れないのだ。もちろん山の緑を写したいという写真としては露出補正をかけた明るい写真のほうがふさわしいだろう。しかし、あえて補正をかけずに山を暗くすることで山の存在感を強調した写真とすることもできる(2)。

 実は、このように写真は露出の掛け方ひとつで大きくそのイメージを変えられるのだ。このような表現には、やはりマニュアルモードでの撮影が適している。慣れないうちは同じ被写体に明るい露出から暗い露出まで数段階かけて撮影しておき、後から自分のイメージにあった明るさの画像を選んでもいいだろう。その際にはあえて明るい画像や暗い画像を選んでみるのもいいかもしれない(3)。


3:湖の静寂を表すために露出抑え湖面の明るさに合わせた。
森の木々のシルエットが生きる影の写真


大夫山ハイキング

2005-10-02 | ニッキ

衣服是俺们家店的广告服,怎么样,还不错吧.

今天去了大夫山,这是我第二次去.第一次是在差不多一年前,我第一次参加JWJ的大型FB.一年前在大夫山烧了烤.

其实,那天的心情还是蛮惴惴不安的,因为我之前在jwj的网站上和他们刚刚吵过架.最后发现其实也没什么,每个人都蛮和善,后来有人说,当然辣,至少在FB的时候不会表现出来对你的不满,想想也是.嗨,不理也罢.

不过那天最最惊讶的是裙子,我坐在裙子傍边,我和裙子初次见面应该是在大夫山FB之前,一年之前!,而且还是没有打招呼的那种见面.裙子坐在我边上,我便问他,你知道我是谁么?

知道,你是圪塔呀.

大惊,一年前才见过一次面而已啊.....我倒是觉得自己有点不太好意思了.比较裙子还是很亲切可人的,是个男孩子都会去喜欢的那种女孩子.

 

时过境迁,广州10月的阳光依然刺热,今天下午去爬大夫山可不是个好主意,可是似乎无处可去,也只好和阿晖,阿标,娃娃,公子,花花猪夫妇去了.

娃娃今天当然是郁闷异常的,她喜欢花花猪,自然看不得人家小两口子手牵手的亲热,唉,对于我来说这个感觉又何尝不能体会呢.

大夫山挺多人,免门票,少了道门槛,自然去的人也就多了,再加上是国庆放假.

我总结我去过的广州的山,大部分都一个样,没什么特色,而且大部分都已经修好路,只能说是徒步,决不能说是爬山.广东的山不像浙江的,都太野了,浙江的山,非常秀气,似乎是有人修剪过一样,散发着自然的魅力.

我们用了差不多一个小时的时间从北门开始穿越了整个大夫山风景区.之后花了20RMB驱车前往qi'fu新村的食街,阿晖定下的湖北菜馆,"手拉手"味道很一般,也许湖北菜的味道,确实如此?总之,这个馆子的味道确实不怎么滴.不过,同样人多!!!

 吃完饭差不多才8点30,回丽江去了阿晖家看了下今天拍的PP,看了周星驰,刘华的<赌侠>.似乎15年前的香港电影了,依然觉得好看.

差不多00:30分的时候,我们已经在渔人码头附近的木船上闲聊了.其实,像这么晚了,还一帮人喝酒聊天我现在是越来越拒绝的,因为搞的太晚,时间拖的太长.当然,主要是没有咪喵在,我一点兴致也没有.也许,我这样是不好的,不过,谈话的内容我是一点也不关心.在JWJ认识的当然讨论的还是以JWJ发生的事儿为主,问题是,我对JWJ全无好感,对八卦也毫无兴趣.坐在那儿只能是比较郁闷的喝酒了.

娃娃今晚当然是不太开心的,烟灰同志是比较倒霉的.娃娃找了烟灰一个碴儿,便故意赌气回家了.搞的烟灰十分郁闷.连连说"娃娃还是太小,还是个小孩子".大家都对烟灰说,不是你的问题辣,是娃娃自己的问题.小白对娃娃自然是有意思的,在那里说,这几天娃娃心情一直不好,我在家一直不敢招惹她,你撞到枪口上了.

阿晖JJ观察入微,无心的说了一句,今天娃娃一整天都不开心,而知道娃娃为什么不开心的,估计也只有我和花花P两个人.

我发现像这样的情事,我这样一个旁观者实在相当有趣味,我知道其中的奥秘而其他人不知道,花花猪当然也不知道我知道他和娃娃的事儿.但,当时,娃娃赌气回家,花花猪表现的相当的镇定.其他人根本看不出来,娃娃其实是因为花花猪在赌气回家的.我在那里仔细观察花花猪的面部表情,非常镇定自若.我对我自己说:换了我,我也许做不到这样.当然,也有另外一种可能花花猪对娃娃并不在意,只是玩玩,那么花花猪这个家伙其实也是喜欢沟女,而以前我以为他是不喜欢的.....

真是相当好玩......