菅原貴与志の書庫

A Lawyer's Library

『禁酒番屋』 この偽り者めが

2012-02-19 00:00:00 | 落語と法律
新・落語で読む法律講座 第15講

 ある藩で、家中の者が酒の上で大きな失敗をしたため、怒った殿様が家中一同に禁酒を申し渡した。
 殿様の命令だから、当初は家来たちも辛抱していたが、日のたつうちに規律もゆるみはじめ、中には酔っぱらってお城に帰る者も出てくる。そこで、御門の脇に禁酒番屋をこしらえて、通る者を厳しく検査することになった。
 
 ある日、近藤という大酒飲みの家来が、城下の酒屋で飲み、さらに酒一升を城内にある自分の長屋まで届けろと注文した。
 思案の結果、店の一人が菓子折の底に五合徳利二本をしのばせ、菓子屋に化けて御門をくぐろうとする。
 しかし、菓子折を持ちあげるときに思わず「ドッコイショ」と声を出してしまったため、番屋の役人に中の酒を取りあげられたうえに、「この偽り者めがっ」と叱られ、逃げ帰ってくる。
 
 次に油屋だといって通ろうとしたが、これも見つかってしまい、「この偽り者めがっ」。
 番屋に二升飲まれてしまった酒屋は、仕返しに小便を徳利に入れて持って行く。「近藤様から松の肥やしにするというご注文を受けましたので」などと番屋に説明すると、タダ酒に味をしめた役人は、今度もまた酒が入っているに違いないと思い、口をつけるが……、
「けしからん、かようなものを」
「だから、はじめから小便だと申しました」
「このぉ……うーむぅ、正直者めが……ッ」。


     


 どんな社会にもルールはつきものだ。たとえば、酒類の製造にかかわるところは別としても、職場で白昼堂々と酒を飲む者はおるまい。
 労働基準法上、常時10名以上の労働者を雇用する事業所では就業規則を作成し、労働基準監督署長あてに届け出ることになっている(同法89条)。就業規則には、労働時間、休日、賃金などの労働条件のほか、服務規律や従業員の心構えまで盛り込んでいる例が多い。
 こうした職場の規律や秩序も、就業規則の重要な要素である。

     

 したがって、「職場で酒を飲むな」というのは大いに結構だが、禁酒番屋をこしらえた殿様のように「職場外の私生活でも、酒を飲んではならぬ」ということになれば、まったくもって余計なお世話だろう(少し以前の話であるが、どこかの政党で、セクハラ問題が発覚したため、党員に「自宅外の原則禁酒」の方針を申し渡したことがあったが……まるで現代の禁酒番屋の沙汰である)。
  
 ところで、昨今の経済社会では、相次ぐ企業不祥事を背景に、コンプライアンスという言葉が一種の流行語になっている。コンプライアンスとは、企業活動において、法令などのルールを遵守することだ(経営の適法性確保)。
 企業は、その事業活動を通じて、株主や投資家、顧客・消費者、取引先、従業員、そして地域社会などとさまざまな利害関係をもつから、経営者は、これらの利害関係者に対して、経営の適法性確保を約束(コミット)しなければならない。これがコンプライアンスの本質である。
 
 こうしたコミットメントによって、会社の不祥事を予防するのである。近年は、コンプライアンス・プログラムを策定し、そのプログラムの実践を組織的に徹底するため、従業員の行動基準を作成する企業も多い。
 
 ちなみに、従業員もまた、企業にとって重要な利害関係者だから、従業員の基本的人権を守ることも、企業の社会的責任であり、コンプライアンス経営の基本となる。
 そこで、経営者は、従業員に対して、労働法令を遵守する、セクハラが起きない職場環境を調整するなどをコミットしなければならない。

 ところが、コンプライアンスの一環と称して、「就業時間内の私用メールをやめろ」、「遅刻はするな」、さらには「職場で酒を飲むな」といった類いの企業内ルールを従業員の行動基準に掲げている例も見受けられる。
 しかし、これらは前述した就業規則で規律すべき職場秩序の問題であって、コンプライアンスとは直接関係がない。なぜなら、コンプライアンスとは、経営サイドから利害関係者に対して法令遵守をコミットするものであり、従業員に職務専念義務などをコミットさせることを本質としていないからである。
 これでは「コンプライアンスに名を借りた、経営者の悪ノリ」と揶揄されても仕方ないような気もするが、いかがであろうか。



     


【楽屋帖】
 士農工商の世の中、町民が権力に逆らおう、武士をからかおうとする一席。聞かせ所(見せ所?)は、菓子、油と酒を見つけ、酔っていく侍の姿。柳家小さん、桂文治などの高座で知られ、とくに小さん師匠の「禁酒番屋」は、聞いているだけで、酒がとてもうまそうに思えてくる。
 閑話休題。禁酒に関する法律といえば、アメリカの禁酒法(合衆国憲法修正18条)があった。飲酒を禁じた法律と思いがちだが、正確には酒類の生産・販売・輸送を禁止したものだ。密造・密売による弊害が多く、1933年に廃止された。
 法律も定め方と運用の次第によっては、アル・カポネの莫大な資金源となり、禁酒番屋の役人に二升のタダ酒をふるまうだけの結果となってしまうということである。


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