菅原貴与志の書庫

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商法(旅客運送関係)改正に関する意見 その2

2015-01-11 00:00:00 | 空法
第2 運送人の責任
 1 旅客に対する責任
(1)過失推定と旅客保

 国内旅客航空運送おいては,約款上,旅客の死亡・傷害について,当該損害の原因となる事故・事件が航空機内または乗降のための作業中に生じたものであるときは,運送人が賠償責任を負い,その損害を防止するために必要な措置をとったこと(または,とることができなかったこと)が証明された場合には免責されると規定するのが一般的です(過失推定責任)。

 したがって,国内旅客運送の立法化に際し,現行商法の旅客に対する責任と同様に(商法590条1項・786条1項),過失推定責任を維持することは,従来の実務にも適っているものと考えます。

(2)精神的損害に対する賠償責任
 ところで,国際航空運送においては,身体の傷害(bodily injury)に,純粋な精神的損害(pure mental injury)を含まないというのが,実務で定着した取扱いとなっています(条約17条1項参照。Eastern Airlines v. Floyd, 499 U.S. 530 (1991)。ちなみに,“bodily injury”の日本語公式訳は,従前の「障害」から「傷害」に変更されたため,わが国では純粋な精神的損害を除外する趣旨と解することもできそうです)。
 この点,国内法においては,民法710条が非財産的損害に対する賠償を認めていることから,純粋な精神的損害に対する賠償も認められる余地がなくはありません(東京地判昭和61年9月16日判時1206号7頁)。

 しかし,純粋な精神的苦痛が損害賠償の対象たり得るのは,判例上,債務者に故意・重過失による注意義務違反があり,それが信義則に著しく違反する行為態様であった場合(最判平成16年11月18日民集58巻8号2225頁)や被害者の生命・身体に危険が迫るような過酷な状態に長時間おかれた場合(健康の毀損(impairment of health)レベル。東京地判昭和61年4月30日判時1231号117頁,東京地判昭和61年9月16日判時1206号7頁)など,人格的利益が侵害された事例に限られているように見受けられます(奥田昌道『債権総論〔増補版〕』(悠々社・1992)209頁)。

 したがって,商法規定を検討するに際して,身体の傷害に純粋な精神的損害を含まない旨を明確化することをご検討いただきたいと考えます。

(3)延着責任
 航空貨物運送の実務では,延着が問題となる事例は多くありません。航空運送において実務的に問題となるのは,むしろ旅客および手荷物が延着した場合です。

 国内旅客運送約款上は,延着責任を認めた明文規定を設けていない例が多く,大幅な出発遅延・延着,欠航等の運航イレギュラーが生じる場合,運送人は,自社便・他社便その他交通機関への振替による輸送,または未使用航空券の払戻しなどの措置を講じることとするのが一般的です。

 確かに,国内航空運送における定時性・定刻性は,航空運送契約の重要な内容ですが,それが運送契約の本質的な要素であるのか否かについては,さらなる考察が必要でしょう。旅客運送契約では,運送人が人の「場所的移動」という仕事の完成を引き受けます。この所定の場所的な移動と運賃の支払いは,いずれの要素が欠けても旅客運送契約が成立しないという意味において,運送契約の本質的な要素です。

 これに対して,航空運送人が時刻表等に表示された予定時刻どおりに場所的移動を行うという意味での「定時性の確保」は,航空旅客運送契約の内容に含まれる一つの重要な要素ですが,かかる定時性が欠ければ運送契約も成立しないというわけではありません。特に航空運送の場合は,空中という特別な区域を航行することから,①天候等の自然的要因に強く左右されるほか,②高度な技術の集積を必要するために,航空交通管制システムその他の技術的・人為的な影響を受けやすく,③安全への高度な配慮および慎重な対応も講じる必要があるからです。特に航空機事故により発生する損害の深刻性を考えれば,運航の安全性の確保が第一義であり,これは定時性に優先せざるを得ません。

 したがって,運送人の支配できないリスクの顕在化等により,定時性に優先する事情が生じた場合には,債務不履行責任を否定すべきではないかと考えます(東京高判平成22年3月25日(判例集未登載・平成21年(ネ)第2761号)。なお,原審の千葉地裁松戸支判平成21年2月25日(判例集未登載・平成15年(ワ)第1131号)は,航空運送の定時性は手段債務であると判示しています)。

 ちなみに,実務において,延着から生じた損害(damage occasioned delay)とは,本件延着が発生しなかったならば得られたであろう利益(得べかりし利益)の喪失を意味することが大半です。そして,得べかりし利益の算定は,種々の証拠資料に基づき相当程度の蓋然性をもって評価せざるを得ません。すなわち,かかる損害の算定・評価は,あるべき状態への回復という観点からして,旅客個々人の具体的事情を考慮して行うこととなります(最判平成9年1月28日民集51巻1号78頁)。

 このように,延着損害については,その性質上,画一的に賠償額を定額化することが困難なのが通例です。近年,欧米を中心にゲートおよび滑走路・駐機場(tarmac)における大幅な遅延や欠航発生時等における旅客の権利および運送人の義務が詳細に規律される状況もありますが(EUにおける航空便の搭乗拒否・遅延・欠航に関する規則として,Regulation (EC) 261/2004 of the European Parliament and of the Council of 11 February 2004, establishing common rules on compensation and assistance to passengers in the event of denied boarding and of cancellation or long delay of flights, and repeating Regulation (EEC) No 295/91。同規則に基づき,3時間以上の延着に対して金銭補償義務を認めたECJ判決が,Judgment of the Court (Forth Chamber, Joined Cases C-402/07 Sturgeon v. Condor Flugdienst GmbH and C-432/07 Bock and Lepuschitz v. Air France SA), 19 November 2009。福村麻希子「EUにおける欠航・遅延に対する航空運送人の責任について」空法54号81頁),国内法制化に際しては,延着損害の賠償額に係る規律を当事者間の契約に委ねるべきものと考えます。

(4)商法590条に反する特約
 商法590条1項の規定に反する特約(旅客の死傷に関する運送人の責任に限る)で旅客に不利なものを無効とする規律を設けることは一考に値しますが,わが国の裁判実務において,事案に応じて適切な対処がなされてきた経緯等にかんがみますと,消費者保護法8条・10条による保護で足りるものと思われ,商法に新たな規律を設ける必要性は低いのではないかと考えます。

 なお,運送約款の締結時に旅客が約款の内容を確認しているかどうかは実務的に重要な視点ではありますが,これを過度に強調いたしますと,消費者間の公平や交渉コストの軽減といった約款の有益性まで損なわれてしまう場合もあり得ます。約款における各条項の拘束力は,運送約款ごとに検討することになりましょうが,旅客側の合理的な期待に合致する限りは当該約款に合意したものと扱い,それに反する条項には拘束力が及ばないと解釈すべきものと思います。この点,法律の定めに基づく行政認可を得た約款については,原則的に政令・省令を補完する規範性を認めてもよいと考えております(笹本幸祐「普通取引約款」北居功=高田晴仁『民法とつながる商法総則・商行為法』(商事法務・2013)394頁)。

(5)商法590条2項の削除
 この点は、削除に異議はありません。