菅原貴与志の書庫

A Lawyer's Library

『花見酒』 花見に往ったり来たり

2011-03-20 00:00:00 | 落語と法律
新・落語で読む法律講座 第4講

 春といえば桜、桜といえば花見の季節である。

「おい、源ちゃん。この間、花見に行ったんだって?」
「おう、行ってきたぜ」
「で、どうだった?」
「酔っ払いは唄いだす。おばあちゃんは酔って踊りだす。子供たちは走り回って大騒ぎだ。花見の酒は旨いなぁ。とっても楽しかったぜ」
「そうかい。それで、花の咲きぐあいはどうだった?」
「えっ、花? 花はァ……見なかったなぁ……」

 お江戸の桜の名所といえば、上野の山、飛鳥山、向島、御殿山。
 落語にも花見を題材にした噺は多い。『長屋の花見』、『花見の仇討ち』、『花見小僧(『おせつ徳三郎』の前編)』、『崇徳院』、それに『あたま山』というのもある。このうち、上野(台東区上野公園)を舞台とするのが、『長屋の花見』や『崇徳院』。ちなみに、もともと『崇徳院』は上方落語であり、大阪の高津神社を二人の出会いの場所とする演出が多いが、それが東京では上野公園内の清水堂となっている。
『花見の仇討ち』の舞台は飛鳥山(東京都北区)だ。上野で演じる三遊亭や柳家の例もあるが、江戸のころ、上野では鳴り物が禁止で、騒ぐこともできなかったらしい。したがって、仇討ちという趣向で花見客から評判をとろうとすれば、鳴り物や余興の許されていた飛鳥山を舞台とする、古今亭の演出のほうが正しいように思う。

 また、向島(墨田区向島)も、花見で人出の多かったところである。『花見小僧』、『百年目』そして『花見酒』は、この向島が舞台となっている。

     *  *  *

 辰五郎と兄貴分の熊五郎という、いたって酒好きの二人。花見酒に行きたいところだが、先立つものがない。
 そこで、横丁の酒屋から酒二升を借り、花見で賑わう向島の堤(どて)に行って、一杯一貫で売ろうということになった。

 三割(みつわり)の樽に酒を入れ、これに天秤棒を通して出かけるが、後棒をかついでいる熊の方へ酒の匂いが流れていくから堪らない。
「商売物だから、ただで飲んぢゃあ悪いけれども、買う分には不思議はなかろう。まことに済まねえが、一杯売ってくんねえな」
「だれに売るのも同じだ。じゃあ樽を下ろそう」
「ホラよ、一貫」
 歩きだすと、今度は辰が堪らなくなって、
「おれも金を出すから、一杯売ってくんねえ」
と言いだす。
 こんなことを繰り返しながら、かんじんの向島に着いた時には酒樽はカラっぽ。二人ともへべれけに酔っ払ってしまった。

 客に売ろうとしたが、酒は売り切れだ。
 そこで、二人で売上げをみてみると、たった一貫しかない。あそこでおれが一杯買って、ここでおめえが一杯買ったと思い出してみる。
「それだから一貫のゼニが往ったり来たりして、そのうちに一升みんな飲んじまったんだ」
「あぁそうか。してみりゃァ無理はねえ」。

     *  *  *

 熊五郎と辰五郎、この二人の間で一杯の酒の売買を繰り返しているから、売上げが伸びたような気もするが、結局のところ、酒二升分の借金だけが残ってしまった。
 このような取引が行われている経済をして、最初に「花見酒経済」と呼んだのは、笠信太郎『花見酒の経済』(1962年)である。

 一杯一合に相当するに過ぎない、たった一貫の銭が往ったり来たりすることによって、その二十倍にもあたる二升の酒を売り切ってしまうのである。これが経済学でいうところの「貨幣の流通速度」であり、ここから銀行信用の創出倍数などといった理屈へと発展していく。
 そして、かつてバブル期の日本を評価するときにも、よくこの「花見酒経済」が引合いに出された。この時期、土地価格の騰貴と土地の担保による銀行の信用増大が結びつき、多額の金が日本経済に供給されたからである。



 ところで、会社を設立するときにも、まさしく『花見酒』を地でいくようなことが行われる場合がある。
 株式会社を設立するためには、会社の根本ルールである定款を作成し(会社法26条)、これに公証人の認証を得て(同法30条1項)、経営を担う取締役等を選び(同法38条・40条・41条・88条・90条)、また、出資によって会社財産を形成しなければならない(同法34条・63条1項)。その出資を確実にするために、発起人(会社設立の企画者しとて定款に署名した者)は、銀行などを払込取扱機関と定め、そこに金を払い込むことが要求される。
 ところが、この払込みを『花見の酒』的に仮装する輩(やから)がいる。

 たとえば、甲株式会社の設立手続に参画した発揮人のAが、第三者であるBから払込資金を借り入れ、自分が引き受けた株式の払込みに宛てたとしよう。Aが甲社の代表取締役社長に就任し、設立登記の直後、払込取扱銀行からその払込相当額の払戻しを受けて、貸主のBに返済すれば、見かけ上は、たしかに金銭の払込みがなされているようだ。

 しかし、実際のところ、出資金は「往って来い」の状態であり、会社の財産的起訴は何ら確保されていない。これを「見せ金」という。
 したがって、一連の行為があらかじめ計画されたカラクリなのであれば、この出資は無効となる。

 ちなみに、会社法上、従前は株式会社に1,000万円の最低資本金というルールがあったが、平成17年改正で撤廃されている。最低資本金制度が廃止されたため、たとえ資本金が0円でも会社を設立できることとなり、起業や新規事業の進出には都合が良い。ただし、資本金が0円の場合であっても、印紙代などの設立費用は必要だから、まったく「ただ」で会社ができるわけではない。
 その一方で、資本金も計上できないような連中に安易な会社設立を認めてしまうと、悪用の懸念もないわけではないだろう。

 それはさておき、平成の花見はどうだろうか。夜の上野や靖国神社の境内などでは、ここそこでサラリーマンやOLさんたちが一気飲みに興じ、果ては警察官の厄介になる光景もしばしば見られる。
 しかし、飲みすぎにはご用心。現代では、「すべて国民は、飲酒を強要する等の悪習を排除し、飲酒についての節度を努めなければならない」と法律にも定められている(酒に酔つて公衆に迷惑をかける行為の防止等に関する法律2条)。

 ただし、この春は事情が異なるだろう。今回の大震災の被災者に配慮し、上野公園や井の頭公園などでも、花見の宴を自粛する動きが広がっている。



【楽屋帳】
 やはり落語の中に登場する江戸っ子たちは、酒飲みでオッチョコチョイと決まっているようだ。噺の中の向島は、隅田川の東岸側。いまの向島桜の中心地は隅田公園だが、このあたりは旧水戸家下屋敷の庭園部分であった。
 ところで、本文中に引用した『花見酒の経済』の著者である笠信太郎(1902~1967)は、当時、朝日新聞の論説主幹だった。そして、これが書かれた1960年代の日本は、まさしく高度経済成長の時代である。「酒に酔つて公衆に迷惑をかける行為の防止等に関する法律」が、紅露みつ参院議員をはじめ女性議員らの提案で成立したのも、昭和36(1961)年のこと。紅露議員は、その審議のなかで「家庭の婦人や子供を、悪い癖のある酩酊者、飲酒家から守ろう」と立法の趣旨を説明し、「日本は酩酊者に寛容過ぎる」、「酔っ払い天国だ」と厳しい口調で訴えたという。