絵画指導 菅野公夫のブログ

大好きな絵とともに生きてます

ユニフォームの思い出

2009-11-28 | 思い出
今日、ヘルパーさんとの会話の中で、小学校の字別リレーの話になりました。

私は、4年生の時は、補欠で字別の選手になれませんでしたが、5年生と6年生は選手になって走りました。字別リレーは、午前の終わりに予選があり、午後の終わりに決勝が行われます。その時になると、出る前に自分の字のユニフォームに着替えるのですが、その時の興奮を思い出しました。確か字の人がユニフォームを持ってきてくれて、選手が一緒に着替えたような気がします。
さあ、今から出陣だというような気がしました。そして、代表だけが着られるユニフォームということに嬉しさがあり、なんとなく誇らしく感じだものでした。

全部で8チームあり、予選は4チームづつに分かれ、それぞれ1チームが落ちて、決勝は6チームで戦うのだったかなという気がしています。
午前の部の予選が終わると、お昼は教室に戻って給食を食べたのだと思いますが、そのときは、ユニフォームのまま食べました。同じクラスにやはり同じようにユニフォームを着た他の字の選手がいました。しかし、そのユニフォームを着た人が速い人だという気がして、そのときも誇らしく感じたものです。また、隣の席の女の子が別の字だったので、その時だけ敵だと思いながら給食を食べました。

字別リレーは、やはり運動会の花型でした。このときばかりは、大人も子供も興奮して、身を乗り出して応援していました。

私はどういうわけか、黄色のユニフォームに縁があるのでしょうか。私の字の本町は黄色でした。その後、私は学校代表のリレー選手になるのですが、学校対抗でも私の児玉小学校は黄色でした。
これは、余談ですが、中学になって、バスケット部に入りましたが、児玉中学のユニフォームが黄色でした。3年生が引退して、私は1年なのにレギュラーになって、3年生から大きな黄色のユニフォームを頂いたことを覚えています。

もっと、余談ですが、本庄第一高校の先生になって、与えられた美術室のエレベーターホールの色が黄色でした。それで、部活対抗リレーのためのユニフォームを黄色で作りました。作ってから、負け知らずで、体育祭のリレーで文化部では美術部が、6連覇を果たしました。最近もリレーの連勝を続けているらしく、もう8連覇かもしれません。しばらく体育祭がなかったので、何年も間隔が空いてしまったのですが、美術部はリレーも強いのです。
エレベーターホールと言いましたが、本庄第一は、8階建ての特別教室があって、それぞれ階毎に色が違うのです。美術室のある4階は黄色なのです。黄色に縁があるんですね。

しかし、ユニフォームというのは、いいものです。特に新しいものは、その色に興奮します。そのユニフォームを初めて着るときの気持ちを思い出しました。

ここまで、書くとバスケットの思い出を書きたくなります。それは、また、後で。






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11月の終わり

2009-11-28 | 日記
最近、よい天気が続きます。この時期の天気の良い日を小春日和というのでしょうか。午後は風が出て来ますが、午前中は穏やかで静かです。布団を干すのに丁度良いでしょう。土曜日は、ヘルパーさんが来てくれるので、とても有難いです。布団を干してもらいました。明日から、寒くなるようです。私は決まって冬になるとのどがからからになって、風邪を引きます。そのため加湿器を使っています。3日前から使い始めました。そのお陰で、危なかったのですが、のどが楽になりました。

枕元には、ペットボトルに水をいれて置いてあります。私は起きて水を飲むのはとても大変なので、これはいつでも手が届くように用意しています。

布団の下には、かいまきを入れています。かいまきとはどんな字を書くのでしょうか?首の周りが温かくて寝がえりを打っても大丈夫です。
それと、電気毛布を敷いていますが、まだ使っていません。これから必要になるので、もう入れてあります。

部屋の方は電気のカーペットがあり、その上に電気炬燵があります。今はまだ、炬燵をつけなくても、カーペットだけで済んでいます。

しかし、安住さんのようにはいきません。TBSラジオのアナウンサー安住さんは北海道出身ですが、東京へ来てから暖房器具を使ったことがないそうです。
北海道の寒さに比べたら、東京の寒さはへでもないと言っていました。そういう人もいるんだなと驚きました。



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ジャンヌダルクと自由の女神

2009-11-27 | 美術
ジャンヌダルクと自由の女神を混同している人はいませんか?

実は、私は同じ人かと思っていました。
あの民衆を率いる自由の女神の絵を見て、フランス革命の絵だと思ったり、自由を獲得したということが、100年戦争を勝利に導いたジャンヌダルクと印象がダブルので、ジャンヌのことを女神に例えて描いたのかと思ったりしていました。

しかし、どうも調べてみると全く関係がないようで、勘違いだったことがわかりました。

ジャンヌダルクは、フランスとイギリスの100年戦争を終わらせた女性です。確か19歳じゃなかったかな?そんな少女のような女性がどうして?と思いますよね。しかし、彼女の勇気がフランス軍に力を与えて、戦況を変えたことは史実のようです。後に、魔女ではないかと疑われて、火刑になってしまったのですが、私はイギリスで火刑になったのかと思っていました。調べたところ、フランスのルーアンの大聖堂の前なのですね。驚きました。ルーアンの大聖堂と言えば、モネが連作をした絵で有名です。へええ、あそこだったのかと認識を新たにしました。

では、自由の女神は?あのドラクロアの絵は7月革命の時の様子を象徴的に描いているらしいです。本当の自由を獲得したことを示したかったのでしょうか。
自由の女神については、以前書きましたよね。覚えていますか?
アメリカ独立100周年の記念にフランスから贈られたものでした。内部構造をエッフェル塔を作ったエッフェルが担当したという話をしたと思います。そして、自由の女神像は、セーヌ川の中州にもあるとお話ししました。そうしたら、それは、フランス革命100周年の記念にフランスに住むアメリカ人が寄付をして作ってくれたものでした。それは、今回調べてみて初めて知りました。
また、日本におけるフランス年の時に、この像がお台場に来ていました。その後、東京にもそのレプリカが作られて、今立っているそうです。また、奥入瀬にも自由の女神があるそうです。これも初めて知りました。

もっと、余談ですが、その自由の女神が来ていた時、その代わりと言っていいのかわかりませんが、日本から法隆寺の百済観音像がパリに行っていたそうです。私は、全国大会で奈良へ行きましたが、それがパリに行っていたため見られませんでした。その年の冬にパリに行きましたが、その時は、もう日本に帰ってしまったそうで、やはり見られませんでした。百済観音に会えそうで会えない年でした。


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クリムトとシーレ

2009-11-27 | 美術
ウィーンの画家です。

クリムトは私の好きな画家ですが、なかなか真似をしようとは思えない画家です。
私にとって、私のアイデンティティと重なる部分が少ないからです。しかし、一つだけ真似をしてみたいのは、ベートーベンフリーズです。自分のこれからの作品作りの一つに、フリーズを描いてみたいと思わせてくれたのは、クリムトだからです。


クリムトは、生涯結婚をしませんでした。でも恋人はたくさんいたようです。
ウィーン分離派というグループを作って活動したことは、美術史的にも掴んでおきたいです。それは、古典技法や伝統的な絵画との分離を意味していました。新しい絵画を求めたということです。ウィーンにいたために、印象派などの影響を受けることなく、独自の感覚で、現代絵画を求めたのでしょう。

上の絵は、私の家の二階の廊下に複製画が飾ってあります。もう15年以上も前から飾っていますが、一向に飽きません。魅力がある絵です。

ウィーンにはクリムトと同時にシーレがいました。年齢的には28歳も年下なので、世代が違うように思われますが、二人は出会っています。やはり同じように古典技法に対する反発があって、美術学校を退学までしていますが、亡くなったのは同じ年です。1918年です。クリムトもシーレもスペイン風邪で亡くなったそうです。


クリムトは、たくさんの裸婦などを描きましたが、自分にはあまり興味を持たなかったのに対して、シーレは自分の内面に興味があって、たくさんの自画像を描きました。シーレの描き方には、他の人にない独特の味があります。私は、質感において薪を思い浮かべてしまいます。

二人は同じように、古典技法にたいしての反発を持っていましたが、シーレはウィーン分離派には、入りませんでした。象徴派にも入らず、独自の制作をしました。

世紀末に活躍したウィーンの画家として、二人を覚えておくといいでしょう。
二人とも魅力があるので、いろいろなところでデザインとして利用されることが多いようです。
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ココスのランチ

2009-11-27 | 日記
久しぶりの通院です。
いま、昼食で、ココスに来ました。日替わりランチです。
これは、全部で1050キロカロリーくらいあるので、少し残します。
私のカロリーは、一日2000キロカロリーと言われているので、或る程度それを守っています。

朝と晩は、野菜中心の食事が多いので、昼食は、ハンバーグなどの動物タンパクを取ることも考えます。しかし、朝晩が豪華なときは、昼食を簡単にします。昨日は、パンを一つでした。しかし、おぐらとマーガリンのコッペパンだったので、それだけで、600キロカロリーもあったのです。驚きですね。

今日は、午前中眼科でした。眼圧も正常で、なかなか良いとのこと。それで、次は3ヶ月後で良いと言われました。午後は、内科です。血糖値や甲状腺の血液のデータを見ます。ステロイドの後のインシュリンが終わると良いのですが。

ハンバーグとサーモンフライとライスを少しづつ残して、300キロカロリーくらい減らしました。700キロカロリーくらいで抑えておけば、いいかなと思います。とにかくインシュリンを終わりにしないと、面倒でたまりません。毎食前にするのですから、大変です。でもお陰で、薬を忘れなくなりました。以前は、お昼の薬をしょっちゅう忘れていましたから。
今日は、この後リハビリです。リハビリは神川です。火曜日と金曜日に行っています。ステロイドの影響で、かなりよくなった足もまた痺れが出て、元に戻ってしまいました。常にステロイドを使っている訳にはいかないのでしょうか。その方が足が楽なのですが。

内科の受診の結果、血糖値は164、ヘモグロビンA1Cは、6.4でした。
インシュリンを打っての値ですから、まだまだですが、前回よりもずっと良くなりました。そのため、夕食の前のインシュリンは無くなりました。昼も減らすことになりました。
まだ、インシュリンは、朝と昼に打つことになります。次の通院は1月です。





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