具象と抽象の違いを考えているわけですが、抽象には出てこない問題の一つとして、視点ということがあります。
これは、透視図法ということで多くのみなさんがご存知のはずです。しかし、展覧会で批評を求められたときに、お話しすると知らないで描いている人があまりに多いので驚きます。
これは、ルネッサンスの時に、ブルネルスキーなどが発明したと言われますが、
「水平な面の上にある平行線は地平線上のある1点で交わる」ということです。
それが、画面の中央に来る時、1点透視と言います。少しでも左右にずれると、それは2点透視になります。
普通は、それで良いのですが、見上げたときや見下ろした時は上下に集まるので、左右と合わせて3点透視と言います。普通は4点が全て見える場合はありません。(例外は、凸レンズのような表現をするならあり得ます。)
ーーーーー
透視図法を正しく使って描いていることが良いとは一概に言えません。しかし、それを知った上で描くのと、知らないで描くのとでは大きな違いが出て来ます。
まず、知っていると、写真に近い表現ができます。要するに見えるとおりに近い、上手な絵が描けます。そして、利点は、世界が統一して安定した大地を感じさせることができるということです。
このことは、逆を言えば、それを知らないで、間違って描くと、台地が不安定になったり、建物が水平に立たなくなったり、いろいろなものがぎくしゃくして、直方体のものが、台形の形になったり、歪んだりしてしまうということになります。
それでも良ければそれで構いませんが、その点を指摘すると、実は、きちんと描きたいのだけれど描けないのだという人が多いです。だから、それなら透視図法を一度頭に入れて、視点の統一を覚えてくださいとお話しします。
このことは、抽象画では出てこない問題です。
余談ですが、高校生に教えていると、この透視図法がきちんと描けないために、抽象に逃げる生徒がいます。抽象ならそんな面倒なことは言われないで済むと考えるようです。それは、逃げですよね。
よくわかっていて、描けるけど、自分は抽象をやりたいのだということであってほしいです。
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一応ここまで、抑えて、では、という話になりますが、透視図法を正しく使うか使わないかは本人の自由です。
使えば、古典技法のようなしっかりした安定した絵になります。言いかえると写真のような上手な絵になります。そういう絵を望むなら、しっかりそれに則ってください。
もし、使わないなら、透視が狂っていますねと言われないような使い方をしてください。分かっているけれど、敢えて透視図法通りには描かないのですと言えるような絵です。作者が自分で言うのではありません。絵がそのように語るのです。
絵を見ると、明らかに分かっているけど、使わないで描いたのだと分かるものがあります。それは、それで良いのです。狂っているからそこが不安定でおかしいねと判断された場合は、失敗です。
人物画などでは、かなり人物が良く描けているのに、床が平らで落ちてしまっているなどという絵があります。原因は透視を知らないためです。
キリコの絵のように、明らかに透視の狂いを利用してそのために出てくる違和感を出そうとしている絵なら、狂っているとは言いません。また、わざと平面的に見せるために透視を無視する場合があります。その場合は、それ以外の物も平面的に見せる工夫をしています。
そこは、その技法をどのように利用するかという問題で、それも作者の意図によります。さじ加減という問題でもあるでしょう。
とりあえず、抽象では出てこない、透視図法に関係するお話をしました。
これは、透視図法ということで多くのみなさんがご存知のはずです。しかし、展覧会で批評を求められたときに、お話しすると知らないで描いている人があまりに多いので驚きます。
これは、ルネッサンスの時に、ブルネルスキーなどが発明したと言われますが、
「水平な面の上にある平行線は地平線上のある1点で交わる」ということです。
それが、画面の中央に来る時、1点透視と言います。少しでも左右にずれると、それは2点透視になります。
普通は、それで良いのですが、見上げたときや見下ろした時は上下に集まるので、左右と合わせて3点透視と言います。普通は4点が全て見える場合はありません。(例外は、凸レンズのような表現をするならあり得ます。)
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透視図法を正しく使って描いていることが良いとは一概に言えません。しかし、それを知った上で描くのと、知らないで描くのとでは大きな違いが出て来ます。
まず、知っていると、写真に近い表現ができます。要するに見えるとおりに近い、上手な絵が描けます。そして、利点は、世界が統一して安定した大地を感じさせることができるということです。
このことは、逆を言えば、それを知らないで、間違って描くと、台地が不安定になったり、建物が水平に立たなくなったり、いろいろなものがぎくしゃくして、直方体のものが、台形の形になったり、歪んだりしてしまうということになります。
それでも良ければそれで構いませんが、その点を指摘すると、実は、きちんと描きたいのだけれど描けないのだという人が多いです。だから、それなら透視図法を一度頭に入れて、視点の統一を覚えてくださいとお話しします。
このことは、抽象画では出てこない問題です。
余談ですが、高校生に教えていると、この透視図法がきちんと描けないために、抽象に逃げる生徒がいます。抽象ならそんな面倒なことは言われないで済むと考えるようです。それは、逃げですよね。
よくわかっていて、描けるけど、自分は抽象をやりたいのだということであってほしいです。
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一応ここまで、抑えて、では、という話になりますが、透視図法を正しく使うか使わないかは本人の自由です。
使えば、古典技法のようなしっかりした安定した絵になります。言いかえると写真のような上手な絵になります。そういう絵を望むなら、しっかりそれに則ってください。
もし、使わないなら、透視が狂っていますねと言われないような使い方をしてください。分かっているけれど、敢えて透視図法通りには描かないのですと言えるような絵です。作者が自分で言うのではありません。絵がそのように語るのです。
絵を見ると、明らかに分かっているけど、使わないで描いたのだと分かるものがあります。それは、それで良いのです。狂っているからそこが不安定でおかしいねと判断された場合は、失敗です。
人物画などでは、かなり人物が良く描けているのに、床が平らで落ちてしまっているなどという絵があります。原因は透視を知らないためです。
キリコの絵のように、明らかに透視の狂いを利用してそのために出てくる違和感を出そうとしている絵なら、狂っているとは言いません。また、わざと平面的に見せるために透視を無視する場合があります。その場合は、それ以外の物も平面的に見せる工夫をしています。
そこは、その技法をどのように利用するかという問題で、それも作者の意図によります。さじ加減という問題でもあるでしょう。
とりあえず、抽象では出てこない、透視図法に関係するお話をしました。
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