絵画指導 菅野公夫のブログ

大好きな絵とともに生きてます

吉本隆明

2012-03-17 | 読書
吉本隆明さんが亡くなりました。
私は、昨日まで、全く知らない人でした。
テレビのニュースで知りました。

吉本隆明さんは、知りませんでしたが、よしもとばななさんは聞いたことがありました。
すると、よしもとばななさんのお父さんだったのですね。

テレビの紹介では、60年代学生運動が盛んだったとき、学生たちの思想の原点になった人というようなことでした。
それで、興味を持ちました。私は昭和29年生まれで、大学生になった時は、学生運動が下火になった頃でしたから、あの頃の激しい大学生たちの活動には関係しませんでした。

しかし、その時代の学生たちがどんなことを考えて、どんな思想に動かされていたのかは、興味があるのです。
それで、図書館で借りて見ようと思いました。

名前を言って、尋ねると、図書館の係の人が10冊程探してくれました。
それで、簡単に読めそうなものを3冊借りて来ました。

その一つを今夜読み始めました。

それが、この「ひとり」です。



中に、「才能なんて関係ない」というのがありました。あれ???私と同じことを言ってると思いました。

もちろん、私よりずっと前から言っていたのでしょう。年上ですからね。

絵を描いていると、何度も耳にすることが、この才能という言葉です。
絵は才能ですよねと多くの方が言います。

吉本さんは、10年もやれば同じだということで、説明しています。
芥川と田山花袋を比べて、芥川は鋭い作家で、田山は鈍い作家だといいます。
しかし、最後はどちらがいいとも言い難いものになったと。

才能というのは最初の2~3年のときだけ違うように感じるだけで、10年もやっていればどっちがどっちだかわからなくなると言っています。

それは、私が高校生に教えていても感じました。
入学当時、かなり下手な生徒でも、3年が終わるころには、上手だった子に追いついてしまうということです。
本庄第一の美術部は、普通の人が10年かかってやるようなことを3年でやってしまいますから、3年間でほとんどの生徒が県展入選レベルになってしまいます。初めに上手で才能があるなあと思われる生徒も、そうでない子にほとんど追いつかれてしまうのです。

吉本さんがどんな思想の持ち主なのかわかりませんが、いま読んだ才能の話は、私と同じでした。
先を読んでみます。









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麓原会春季展

2012-03-17 | 展覧会
嬉しい批評

図書館の職員の方が絵を見てくれて「いい絵を見せていただいて、有難うございました」と挨拶されました。
よく図書館に行くので、言葉を交わしている内にお友達になり、私が絵を描いていることをご存知なので、
それなら、ぜひ絵も見ていただきたいなと思っていました。
でも改めてお礼を言われると嬉しいものです。

その方から「この先生は、年々うまくなるね」と話していた人がいたと知らされました。
それを聞いて嬉しくなりました。

毎年見てくださっている方から、そのように言われるのは嬉しいものです。
なかなか毎年いい絵を出すのは大変です。しかもそれが年々良くなるというのは、更に大変です。

これは、励みになる一言でした。会員の展覧会ですから、入選落選はありません。だから、心配はないのですが、やはり出すからには、良い絵を出したいと思います。
私の密かな魂胆は、この中で自分の絵が一番良いと思えるような絵が描きたいということです。
そう自分で思えたらいいなと思って、出しています。みんなハイレベルなので、そう思えることはほとんどありませんが。

でも、その中で、私の絵を一番だと言ってくださった方がいました。
その方は、私の名前と絵をご存じだったらしく、他の人に私を紹介しているところでした。
しかし、顔をご存じではなかったらしく、説明しているのを私が笑って聞いていたら、察知したらしく、「ご本人?」と訊いてきたので、「そうです」と答えました。
面白いですね。ときどき、そういうことがあります。

今日は「この先生は、年々上手くなるね」という言葉と、「この絵が一番だ」という言葉を聞いて嬉しかったことを日記に書いておきたいと思います。これも「小さな幸せ」ですね。







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