上の写真は有名な写真でご覧になった方もおられると思いますが、必死に子供たちを守ろうとする母親の表情をよく捕らえていますね。今は皆元気でいるのでしょうか。
下の写真は初めて見ました。娘の死体を見て途方にくれる歳老いた母親、そして
母親を失って泣き叫ぶ子供たち。胸を締め付けられます。
今回に旅行の目的の一つだったテーマです。
ホーチミンにある戦争証跡博物館を訪れる事でした。ツアーには含まれていなかったので、旧大統領官邸見学をやめて、友人と二人でその間急いで行って来ました。
写真しか見られませんでしたが、ここには確か枯葉剤による被害を受けて亡くなった胎児の標本もあるのだと思いますが、一般人には公開していないのでしょう。
どれも皆悲惨な写真ばかりでした。
1960年に南ベトナム開放民族戦線が結成され、南ベトナム政府軍にたいする武力攻撃から始まったこの戦争は、翌年米大統領になったケネディの南ベトナム政府軍への支援もあって、
激しい戦いとなって行った。
1963年11月にケネディが暗殺されると、その後ジョンソン大統領が1965年に北爆開始。
1973年アメリカ軍がベトナムを撤退。
1975年 北ベトナム軍が前面攻撃を開始。南ベトナム政府軍崩壊。サイゴン陥落、
サイゴンがホーチミンに改名さる。
共産主義と民主主義との戦いだった。
この間ベトコンが隠れ場に使っている森林の枯死及びゲリラ支配地域の農業基盤の工作地域の破壊を目的に米軍が枯葉剤を撒いた。
この地域は中部高原のコントゥム省から南部に及んだ。
緑の箇所がコントゥム省 これより南にかけて撒かれた
枯葉剤を撒く米軍の飛行機
ホーチンミンのガイドさんの父親は(勿論戦後)軍の関係の仕事で枯葉剤によりそのままになっていた森林の伐採作業をしていたが、ある日井戸の水を飲んだら、突然体中が痒くなり体調を崩し、白い液体を吐くようになったそうです。その液体が物凄く臭く、耐えられないほどだったそうですが、暫くして当時のソビエトから来たビタミンC入りの薬の注射を一日三回し始めて次第に回復したと言っていました。その後どうだったのかは失礼なので聞きませんでしたが。
戦争は勝った方も負けた方も悲惨だと思います。
この戦争で、米兵も帰国後精神的に異常を来たし、未だに病院で過ごしている元兵隊達が大勢いると言うドキュメンタリーを以前見ました。
戦争なんて何一ついいことはないです。