簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
見たまま、聞いたまま、
食べたまま、書いてます。

日本のエーゲ海(赤穂線・乗潰しの旅)

2020-06-05 | Weblog
 牛窓は瀬戸内海に面した、静かで落ち着いた美しい港町で、「日本の
エーゲ海・恋人の聖地」とも言われる観光地だ。
嘗て当地を訪問したギリシャ大使館の関係者が、高台から見える瀬戸内
の多島美を、「故郷のエーゲ海に似ている」と話したことがきっかけと
なり、町がキャッチコピーとして採用したものらしい。





 目の前には、前島・黄島・青島・黒島などの島々が浮かび、それらの
小島を結ぶフェリーが長閑に発着している。
波の穏やかな海ではシ-カヤックによる無人島探検ツアーや、西日本最
大級を誇るヨットハーバーではヨットスクールやイベントなどが折に触
れ開催される。

 また町内には海水浴場もあり、付近の砂浜や堤防には釣りのポイント
も多く、大人から子供まで多彩なマリンスポーツを堪能する事が出来る。





 港町として栄えた町内には、歴史的な建物が数多く残る反面、海辺周辺
には異国情緒溢れるホテルやペンションが立地し、おしゃれなカフェやレ
ストランも多く、新旧の混在した町並は魅力の一つにもなっている。

 風光明媚で、豊かな自然と歴史的な文化の残るこの地は、「日本の夕日
百選(牛窓天神社、前島フェリー乗り場など)」、「美しい日本の歩きた
くなるみち500選(日本のエーゲ海・牛窓、前島の歴史みち)」などにも
名を連ねている。





 又、映画やドラマ、CM等の撮影地としても知られていて、「愛しき
日々よ(1984年)」「黒い雨(1989年)」「カンゾー先生(1998年)」
「釣りバカ日誌18(2013年)「魔女の宅急便(2014年)」「君と100回
目の恋(2017年)」等、映画だけでも枚挙に暇が無い。(続)



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朝鮮通信使遺跡(赤穂線・乗潰しの旅)

2020-06-03 | Weblog
 

 瀬戸内の島々に渡るフェリー港の前に、「牛窓海遊文化館」が有る。
樹齢が150年と言われる、見事な大ソテツが玄関前に植えられている。
これは江戸時代に、村の大庄屋であった「奈良屋」の庭に植えられてい
たらしく、この地に移植されたものだ。



 この建物は明治20年に建てられた旧牛窓警察署で、欧米建築に見ら
れる細工を施したモダンな和洋折衷疑似洋風建築である。
館内では、この地に伝わる「朝鮮通信使」の貴重な資料や、市内にあ
る指定有形文化財のだんじりなどを展示している。



 この「朝鮮通信使」に所縁の寺が、室町時代に創建された法華宗の
「経王山・本蓮寺」である。
石の門を抜け、少し崩れかけ歴史を感じる築地塀に挟まれた石段を上
ると山門が有り、潜るとその先にあまり広くはない境内がある。



 正面側面とも五間の本瓦葺寄棟造りの大屋根を見せる本堂は、国の
重要文化財に指定されている。
元禄年間に創建された高さ12.6mの三重の塔や、番神堂、山門が建ち、
寺域を低い塀が巡っている。
その塀越しからは眼下に牛窓港と瀬戸内に浮かぶ島々が一望だ。



 牛窓は江戸時代には岡山藩が朝鮮通信使を接待する港として整備し、
通信使が寄港の折にはこの寺の客殿が接待場所として、正使・副使・
従事官の所謂三使の饗応が行われていた。
江戸時代に朝鮮通信使は12回来日し、この地では4回、三使の宿館とし
て使われたとの記録が残されているそうだ。



 境内は国内では数の少ない「朝鮮通信使遺跡」の一つとして、国の
史跡に指定されている。
また、当地での交流の様子は、今では「唐小踊り」「太刀踊り」など
の郷土芸能に引き継がれ、色濃く反映し残されている。(続)



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潮待ちの湊・牛窓(赤穂線・乗潰しの旅)

2020-06-01 | Weblog
 夢二の故郷から7キロほど南下すると、瀬戸内海に面した牛窓が有る。
その昔は、岡山の城下から六里二十八町離れた「牛窓往来」の終点で、
商業地に指定された湊町でもある。



 この地は古くから風待ちの湊として、大阪に行き来する北前船の中継
停泊地、また舟乗りの疲れを癒す遊興地として、江戸時代には外国使節
である朝鮮通信使が寄港、船出のタイミングを待つ湊として栄えた。



 港の表通りから一歩足を裏通り「しおまち唐琴通り」に踏み入れれば、
そこには湊町特有の曲りくねった細い通りが抜けている。
格子窓の人家や洋風の木造建築、レンガ造りの洋館など小さな建物等が
犇めくように建ち並び、中にはレトロなお店も営業中で、どこか懐かし
い昭和の香りを楽しむことが出来る。



 通りの道ばたでは、井戸を見かけることもある。
ここは温暖で雨の少ない瀬戸内気候の地で、近くに大きな河川も無い事
から飲料水の確保のため、古くから井戸は重要視されると同時に、町中
に点在するその場所はコミュニティの場となって溶け込んでいたらしい。
上水道が整備されるのは昭和30年代の半ばで、それまで井戸を中心に町
並が発展してきたと言われている。



 通りで一際目を引くのが、赤い煉瓦造で国の登録有形文化財の指定を
受けている「街角ゼミ 牛窓文化館」である。
大正4年に旧牛窓銀行本店として建てられたもので、その後事業を継承し
た中国銀行が店舗の移転を機に牛窓町に譲渡された。
内部は公開されていて、折に触れイベントや展示会が開かれている。



 そんな通りをそぞろ歩き、フッと後ろを振り返れば、狭くて、不揃いで
雑然とした屋並みの上に古刹・本蓮寺の三重の塔が望まれる。(続)





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