簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
見たまま、聞いたまま、
食べたまま、書いてます。

間の宿・西倉沢 (東海道歩き旅・駿河の国)

2020-03-06 | Weblog
 桜エビでパワーを蓄え、漁港から再び旧道に戻り歩きだし、左に
JR由比駅を見て、その先で県道を横断歩道橋で渡る。
この辺りの標高はおよそ15m、これから目指す先は標高80mを越え
る薩田峠だ。



 緩やかに上り下りを繰り返す狭い街道の両側には、低い屋並みが
びっしりと連なり、何だか懐かしい雰囲気のする通りに入って来た。
度重なる津波の被害で、この高台に移された寺尾の集落である。
すぐ右手には山肌が迫る急峻な所で、街道を何本もの幅の狭い急な
流れの川が横切り、海に向かって流れ落ちている。
架かる橋は何れも凝った作りで、古街道の雰囲気を盛り立てている。



 その村で代々名主を務めた小池家の屋敷が通りに残されている。
建物自体は明治に建てられたものらしいが、建築様式には当時の名
主屋敷の面影が良く残され、国登録有形文化財の指定を受けている。
その向かい側には古民家を利用した東海道あかりの博物館が有る。





 一旦集落が途切れる辺りで、上りの勾配がさらにきつくなると倉沢
の集落である。大名が休憩した川島家、明治天皇のお休み所は柏屋、
文人墨客が富士を望み、磯料理を楽しんだと言うのが藤屋・望嶽亭だ。





 薩田峠への登り口に当たるこの地域は「上り下り立場なり」と言われ
た間の宿で、10軒ばかりの休み茶屋が軒を連ねていたと言う。
この先に一里塚跡の碑が建っている。由井宿から3.6キロ、薩田峠へ1.3
キロの地点で、ここからがいよいよ峠に向けた本格的な上り道となる。(続)

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桜エビ (東海道歩き旅・駿河の国)

2020-03-04 | Weblog
 由比本陣跡にある東海道由比宿交流館で、一人の男性と出会った。
前々から東海道歩きが悲願で、定年を迎えるとすぐに飛び出したのだ
と言う。全行程2週間ほどが目標らしく、京都から東海道を歩き始め、
今日は行けるところまで行き、明日から残り三日で東京・日本橋を目
指すと意気込んでいた。





 「150キロもあるのに?」と訝ると、「ここまでも一日40キロのペー
スで歩いてきた」とこともなげに言ってのける。
足に肉刺ができている風もなく、足元もしっかりしている。
「一人だと自分の写真が写せ無くて」とお互いの写真を撮り合い、エー
ルを交換し、西と東に別れたが、その後ろ姿は元気そのものであった。





 国の登録文化財指定の銀行の建物を見て、由比川の橋を渡るここら辺
りが西の桝形跡らしく、宿場の西の出口に当たる。
この先で街道を左に逸れ、海に向かい由比漁港を目指す。
お目当ては春のシーズンを迎えている桜エビである。



 港には漁協の直売店「浜のかきあげや」が有り、土日には大勢の県外
からの来客で行列ができると言う。
ここでは名物のかき揚げやそれを乗せた丼をはじめ、桜エビやシラスの
生や釜揚げをふんだんに使った丼などのメニューが揃っていて、港を望
む屋外で食べることが出来る。



 ふわふわにまとめられた「かき揚げ」は、煎餅をかじるような感覚で、
そのサクサクとした食感がたまらなく美味い。
「桜エビ丼」はまずそのまま食べ、残した半分ほどには用意された昆布
の出汁をたっぷりとかけ、お茶漬けのようにサラサラとかき込む。
磯の香りがなんとも贅沢なうまさである。
「桜エビドーナツ」にも心が動かされたが、さすがにそこまでは食べら
れなかった。(続)

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由比宿 (東海道歩き旅・駿河の国)

2020-03-02 | Weblog


 蒲原の西木戸跡を過ぎ向田川を渡り、宿内を出て県道に合流し次の
宿場由比に向かう。
そこまでは1里足らず、およそ1時間の行程である。
東名高速道路を潜った先で左の旧道に入ると、由比の集落に入る。



 しばらく道なりに行くと電柱の足元に一里塚を示す石柱が建ってい
たが、うっかりしていたら見逃してしまうほど、目立たない。
その先には桝形が良く目立つ形で残されていた。
これは宿場の出入り口などに造られた鉤の手状に折れ曲がった道路の
ことで、万一の攻撃を防ぐなど治安維持を目的に設けられたものだ。



 由比宿に入ってしばらく行くと「お七里役所の跡」と言うのが有った。
紀州徳川家が江戸と国元との連絡用に、七里ごとの宿場に中継ぎの役所
を置いたといい、ここは由比の役所が置かれた跡だ。
ここには健脚で弁舌と剣術にたけた五人一組の飛脚が置かれ、御三家の
威光を示しながら往来していたそうだ。



 宿場の中央には本陣跡が有る。当時の建物は無いが、約1300坪と言
う広大な敷地は公園のように整備され、庭内には「東海道広重美術館」
や「東海道由比宿交流館」などが有り、観光情報の発信、訪れる人々
の休憩施設となっている。
この先にはテーマパークのような「おもしろ宿場館」もある。



 由比宿は宿内人口700人余りの小さな集落で、本陣、脇本陣が各1軒、
旅篭は32軒ほどで有った。
こんな小さな宿場から、幕府転覆を企てた首謀者が生まれている。
由井正雪で、「正雪紺屋」の暖簾を掲げた民家が、本陣跡の前には今
も残されている。(続)



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