簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
見たまま、聞いたまま、
食べたまま、書いてます。

旧呉鎮守府庁舎(海上自衛隊呉基地見学記)

2019-08-07 | Weblog

 潜水艦訓練センターの見学を終えた後、再びバスに乗り一旦施設外に出て
その後に案内されたのは、旧呉鎮守府の庁舎であった。現在の海上自衛隊呉
地方総監部である。これは呉市に残る歴史的な建造物で、毎週日曜日には一
般公開(事前の申請が必要)されているらしい。





 明治40(1907)年に竣工した延べ面積1,990平方メートル、地下一階、地上
二階のレンガと御影石を使った造りの建物で、外壁はイギリス積みと言われる
レンガ積みである。
屋上にドーム屋根を載せ、規則正しく配置された窓が特徴的で、正面のエント
ランスにある御影石の角柱でくみ上げた車寄せが、如何にも重みがあり堂々と
して、軍の施設らしい威風を感じさせる。屋根に乗るドームは、空襲で喪失し、
復元されたものだと言う。





 建物を回り込むと目の前は海に面している。
これは先ほど目にした車寄せが、馬車によるアプローチを想定しているのに
対し、こちらは海軍らしく艦艇から降り立ってのアクセスを想定したものだ
からだそうだ。従ってこの建物にはファサードと呼ばれる「正面」が、陸側
と海側に設けられているのも大きな特徴になっている。





 海側には、両サイドに後から建て増したという建物が張り出している。
建屋の前には如何にも明治風の外灯も建っていて、正面が二つあるとは言え、
海軍らしく海に面したこの側に重きを置いている風にも感じられる。
建物の周囲には手入れの行き届いた緑地があり、木々の緑と煉瓦の赤、御影
石の白、そのコントラストが実に美しく、青い空を背に映えていた。(続)



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呉潜水艦訓練センター(海上自衛隊呉基地見学記)

2019-08-05 | Weblog


 戦後の日本の潜水艦教育は、昭和29年に米海軍に訓練隊を派遣したことに
始まると言う。そして翌年に米国から潜水艦一隻の貸与を受け、横須賀に術
科学校が開校された。
この艦はその後、海上自衛隊の潜水艦「くろしお」として凡そ15年余り活躍し、
3600回以上の潜航実績を残し、昭和45年アメリカに返還された後解体された。



 ここ呉の潜水艦訓練センター基地内には「おやしお型」と「そうりゅう型」
それぞれの訓練施設が独立して設けられている。
当日は「そうりゆう型潜航訓練講堂」に案内されたが、内部での撮影は極秘扱
いの深度計などが映り込むことは禁止されていたので、写真を撮ることを極力
控えた結果が、この唯一の一枚である。



 これは「潜航操縦訓練装置(D/T)」と言い、潜入、浮上等の模擬体験が出
来る装置である。建物とは独立して切り離されていて、操舵により装置が忠実
に動作するのだそうだ。
定員15名の内部にはステップから乗り込むことになる。



 内部の三面の壁には、モニター、計器、スイッチ、ハンドル、レバー、コッ
クなどが立錐の余地もないほどに並べられ、それらを結ぶ配管や配線が縦横に
張り巡らされている。それらは手探りでも操作ができるように、敢えて異なっ
た形状を取り入れていると言う。
訓練では、触った感触を身体にたたき込むのだそうだ。



 「おやしお型潜航訓練講堂」にも同じような装置が有り、訓練生達はここで
両型潜水艦の内部の様子と疑似動作を体験する中で「相互信頼と団結心を育み、
過酷な任務遂行に耐えうる心身を鍛練」するのだと言う。(続)





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海自のまち・呉(海上自衛隊呉基地見学記)

2019-08-02 | Weblog
 広島県の南西部に位置する呉は、人口は22万人余りで、広島県内では広島市、
福山市に次ぐ第三の市である。
瀬戸内海に面していて、その海岸線を辿るようにJR呉線が走っている。
この路線は先の西日本豪雨では、94カ所もの被害を受け運休が続いていたが、
約五ヶ月ぶりとなる2018年12月に運転再開となった。





 この地では明治時代に旧日本海軍の呉鎮守府が開設して以来、戦前は海軍最大、
東洋一の軍港として知られ、海軍工廠では世界最大と言われた「戦艦大和」など
が建造された。
その為太平洋戦争では米軍の大規模な空襲を受け、町は大きな被害を受けている。





 戦後の昭和29年には海上自衛隊呉地方隊の基地が置かれ、今では東の横須賀、
日本海の舞鶴、西の佐世保、北の大湊等と並ぶ海上自衛隊の重要な基地の町だ。

 町に海軍や工廠などが置かれた事から、造船や機械、金属、鉄鋼等の重工業が
発達し、それらの関連企業も多く、今でも町の発展を支えている。
町中を国道31号線や487号線が貫いていてそれらを走行していると、行く先々の
至る所から、巨大な造船所に林立するクレーン群や、海自基地内の昭和ふ頭など
に繋留された潜水艦、色々な艦艇等をごく普通に目にすることが出来る。





 某年某月某日、「呉潜水艦訓練センター等研修会」に、某団体の一員として
海上自衛隊呉基地の研修という名の見学会に参加する機会を得て、大型バスに
乗り同基地を訪れた。
当地の同隊は、「潜水艦要員の教育及び乗員の訓練指導並びに潜水艦に関する
術科等の調査研究」を目的に、昭和35年横須賀基地から移管開講されたものだ。(続)



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