簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
見たまま、聞いたまま、
食べたまま、書いてます。

補陀落渡海(四国遍路の旅)

2014-12-08 | Weblog
 87番札所・長尾寺までは凡そ7キロ、海から外れ、県の中央部、南の山に向かう
平坦な道程である。
 これから向かう長尾寺も、先の志度寺も山号は同じ「補陀落山」である。
「補陀落」と聞くと、思い浮かぶのはやはり「補陀落渡海」のこと。
これらのお寺もかつては、「補陀落渡海」の入り口として信仰を集めたのであろうか。



 「補陀落渡海」と言うのは、中世において南方にあるとされる浄土を目指し、渡海
船に乗り海に乗り出す捨身行の一つである。
 行者の乗った渡海船を曳航し、沖で綱を切り送り出し見送る。
行者は船上に作られた箱に身をひそめ、ひたすら南方の浄土を目指すが、それは
死への旅立ちを意味する物に他ならない。








                 (上4枚の写真は、何れも那智熊野・補陀落山寺)

 良く知られているのは、世界遺産・那智熊野の補陀落山寺で、記録に残るものは
二十数件を数えると伝えられている。
そのほかにも行われたと言う記録があるらしいから、海に面した志度寺でも行われ
たので有ろうか。しかし陸地から島々の見える瀬戸内では・・・?である。
まして、海から遠く離れた長尾寺ではどうであったのか・・・。

 しかし世の中に、「補陀落」信仰が広まると、それを「山号」「寺号」に掲げる寺院も
増えたと言われている。
ただ単に極楽浄土をイメージした、案外そんなところで落ち着くのかもしれない。

 そんなことを思いながらひたすら県道を歩く。
ここら辺りまで来ると、遍路道にはやたら「〇○氏の道標」と言う看板が目に付く。
志度寺と長尾寺を案内する古い道標の脇に、どこの何某が立てた道標だと言う謂
れが書かれたものだ。



 こうした道標が現れる反面、面白いことにこの付近では、今まで電柱やガードレ
ールに張られていた、赤い遍路シールを見ることが殆どない。
と言うか剥がされたような痕跡は認められるがシールそのものを目にする機会が
全くないのはどうしたわけであろうか。(続)




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名菓 竹林糖(四国遍路の旅)

2014-12-05 | Weblog


 原から国道を左折、志度街道を直進して来れば、その行き当たりが志度寺である。
その手前の右角、また、丁度国道から進入してきた道と交差する左角に、赤いテント
に「元祖 名菓 竹林糖 三浦でんぼや」と書かれた古い店が有り、気になったので
覗いてみる。





 竹林糖は、水飴を原料に黒砂糖、白糖を煮詰め、生姜で香り付けし、型に入れ固
めた、いわゆる板状の生姜糖と言うお菓子の一種である。
 その昔、志度寺塔頭で修行した「竹林上人」と言う名僧を偲ぶお茶会の茶菓子とし
て造られたものらしい。店は今四代目で、暫く休んでいたが、最近又造りはじめたと
言う事で、100年以上も前から続いているものだと言う。



 少し割って口の中に入れて溶かすと、砂糖菓子だから甘いのは当たり前だが、
ほのかな黒砂糖の味と、生姜の程よい辛みと刺激が口一杯に広がる。
遍路の疲れた身体を癒してくれそうな、そんな気のする名菓である。



 こうして遍路道の行きがけで、「門前の美味いもの」に巡り合えると、なんだか疲
れも吹っ飛んでいくようで嬉しくなる。
昔の歩き遍路もこうして歩き疲れ、門前でホッと一息ついたのであろう。



 しかし最近は車やバスで回る遍路が大半で、お寺はそのため広大な駐車場を
用意する。ところがその駐車場の位置が問題で、山門前に開けた門前町とは全
くかけ離れて場所に出来てしまうと、多くの参詣者は、門前に集う機会が無くなっ
てしまう。
その結果、こういった歴史あるお店を知ることも無く、ただお参りだけを済ませ、
次の札所へと慌ただしく去っていく。
こんなことで人足の遠のいたお店は衰退していく。(続)


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86番札所・志度寺(四国遍路の旅)

2014-12-03 | Weblog
 志度の駅前で昼食を済ませ、ゆっくりと休んだ後、国道を折れて海に向かい暫く
歩く。虫籠窓のある民家、古い醤油屋さん、昔の門前通りの風情を残す通りを歩く
と右手正面に五重塔が見えて来る。86番札所・志度寺である。



 寺域に入るとすぐ右手に塔頭・自性院常楽寺が有り、境内に檀家である平賀源
内のお墓が残されている。
源内は当地の出身で、旧志度街道沿いには生家や記念館等所縁の場所があると
言う。





 木造の金剛力士像の立つ仁王門は、堂々たる大屋根を構えるもので、江戸時代
に高松藩主が寄進したものと伝えられている。
 境内は広く樹木に覆われた中に石畳の参道が、堂宇へ導くように敷かれている。
左手に聳える五重塔は、高さ33m、塔屋の間口4.5m、五層総檜造りで、昭和50年
5月に落慶した。
当地出身で大坂に出て成功を収めた篤志家の、私財3億円の寄進によるものだ
そうだ。



 その右手に構える入母屋造り本瓦葺の本堂も、江戸時代に高松藩主が寄進した
もので、国の重要文化財に指定されている。その右手には大師堂が建っている。



 広い境内に人影はなく、聞こえるのは時折木立を揺らす風の音と、鳥の声ぐら
いで、寺は閑静でひっそりとした佇みを見せている。
 参道脇には大石が無造作に置かれていて、そんな一つに腰を下ろしていると、
吹く風も心地よく、これから迎えるクライマックスへの心の高ぶりを静かに抑えて
くれるようだ。(続)




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牟礼の町 (四国遍路の旅)

2014-12-01 | Weblog
 ケーブルの山上駅を右に見て、裏参道の車道を下る。
この道は県道らしいが、お寺の下で行き止まりになり、そこに十分な駐車スペース
が無いものだから、参詣の車の路上駐車で大混雑している。



 長くうんざりするような下り坂をひたすら歩き続ける。
背後の屋島は次第に遠ざかり、時折眼下には牟礼の町並みが見え隠れする。
40分ほど下ると、二つ池親水公園の噴水が見え、その先に碧い瀬戸内海が見え
てきた。





 ようやく平坦道に戻った琴電八栗新道駅辺りで、国道に出て左折、ここからは琴
電志度線と並走して歩くことに成る。
途中、原辺りで左折すれば志度街道と呼ばれる旧道で、どちらを歩こうか選択に
迷ったが、食事をするなら国道だろうと判断、そのまま国道を進む。



 左手はすぐそこに、瀬戸内海の志度湾が広がっている。
ここ志度湾は、昔から牡蠣の養殖が盛んな海で、冬のシーズンともなると周辺は
牡蠣を食べにくる観光客で大層賑わうところである。



 食べ方は豪快で、畳半畳は有ろうかと言う大きな火鉢の上に、金網を敷き、そこ
にスコップで掬った殻つきの牡蠣を乗せ焼いて食べる。
 軍手をはいて、焼けた牡蠣を掴み、反対の手に持ったナイフで殻をこじ開け、好み
の調味料をかけて食べると、これが中々に美味しくていくらでもいけてしまう。
店により仕組みに違いはあるが、大方は時間制限があるものの食べ放題で、締め
に牡蠣ごはんが付いてくる。



 現役の頃同僚たちと、何回か足を運んだところで、懐かしく思い出しながらひたす
ら昼食場所を求め牟礼の町を歩くのである。(続)




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