簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
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旧三日市宿へ(四国遍路の旅・高野山編)

2015-12-14 | Weblog
 酒蔵通りを抜け西条橋を渡り別久坂(べっくざか)と呼ばれる急坂を上る。
標高182メートルの烏帽子形山東麓に沿って進む高野街道への登り道だ。



 かつてこの山の頂上には「烏帽子形城」が有ったと言う。
楠正成が築いた城の一つとも言われ、高低差のある堀や土塁を、幾重に
も廻らした堅牢な構えの城跡が今に残されている。
 安土桃山時代には、キリシタンの城主が、およそ300人のキリシタン領民
を治めていたと言う歴史を秘めている。
当時は南河内におけるキリシタン文化の拠点となっていたらしい。



 丁度その麓に鎮座するのが、烏帽子形八幡神社だ。
神域として伐採の禁じられた鬱蒼とした森に向け、石段が延びていて、そん
な緑に守られるように建つ本殿は、重要文化財に指定されている。



 しばらく行くと増福寺があり、その境内に真新し高札が建てられている。
この宿場に隣接する上田には、河内鋳物を生業とする技術者集団が住ん
でいたとされるから、合流地からここら辺りの街道筋には、賑やかな町並
みが展開し、この高札場に続いていたのであろうか。



 丁度この辺りが、旧三日市宿の北側入り口に当ると言う。
当時の宿場には20件余りの旅籠が有り、問屋場や本陣代わりの屋敷など
が軒を連ねていたらしい。



 河内長野からこの三日市宿の間は、ハイキングコースにもなっていて、
案内板もよく整備されている。
そんなせいか、これまで街道を歩いてきてほとんど人に出会うことも無かっ
たのに、ここに来て何人かの観光風の人々を見かけることがあった。(続)





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