簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
見たまま、聞いたまま、
食べたまま、書いてます。

道後温泉の思いで(JR全線乗潰しの旅)

2010-09-22 | Weblog
終点の伊予市で乗り換える。
ここから先は電化区間で、松山の都市圏、本数も多くなり、駅々での乗客の乗り降りも
忙しくなってくる。
松山には15分余りで到着する。

松山に来ると何時も思い出す。
入社して間の無い昭和44年秋、会社の慰安旅行で道後温泉に泊まったことを。

当時は新幹線がまだ新大阪までしか開通していなかった時代である。
仕事を終え夜遅い便で名古屋を発ち、新大阪で宇野に向かう夜行の急行列車に乗り換えた。
連絡船の待つ宇野へは4時間弱。ここで土佐丸に乗り換え、高松には早朝4時半に着いた。
ここからは貸切りの観光バスで、栗林公園や金毘羅さんなどに立ち寄って、夕方道後温泉
に到着した。

当時のアルバムを見ると一行30名余り、その内半数以上が背広にネクタイ姿で写真に収ま
っている。
ネクタイを締めていない者の多くもブレザーを着こなし決め込んでいる。



 【写真:古い写真】

まだまだ個人で旅行する時代ではなく、職場の慰安旅行が一大イベントであり、一年間こ
つこつと旅行費用を積み立てて、皆この日を待ちわび、精一杯の正装をして出掛けていた。
今では考えられないようなことだが・・・。

最近は温泉地の大きな観光旅館の経営が振るわないらしい。
それは、このような団体旅行がめっきり減ってしまったからだと聞く。
しかし原因はそれだけでは無いように思う。
たとえば、朝夕の食事の時間、旅館サイドの都合で決められている事が多い。
また、最近はだいぶ変わってきているように思うが、一人旅の受け入れ拒否も多い。
これはほんの一例だが大きな観光旅館は、世の中が個人旅行にシフトしていく中でその
多様なニーズへの対応に立ち遅れているからだと思う。

そんなことを思いながら、松山からは特急で一気に岡山に向かう。(続)




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