簾 満月「バスの助手席」

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伏流水の流れる町(東海道歩き旅・伊豆の国)

2019-05-10 | Weblog

 三島は湧水の町である。
「三島水辺の文学碑」には、このように刻まれた碑も立っている。
「町中を水量たっぷりの澄んだ小川がそれこそ蜘蛛のすのやうに縦横無尽に
残る隅なく駆け巡り、(中略)三島の人は台所に座ったままで清潔なお洗濯
ができるのでした。(「老(アルト) ハイデルベルヒ」太宰治 昭和15年)





 「むかし富士が噴火してせりあがってゆくとき、溶岩流が奔って、いまの
三島の市域にまできて止まり、冷えて岩盤になった。(中略)融けた雪は山
体に滲み入り、水脈に入り、はるかに地下をながれて、溶岩台地の縁辺であ
る三島にきて、その砂地に入ったときに顔を出して湧くのである。
(「裾野の水」 司馬遼太郎 昭和61年)」





 街道を歩けば、御殿川や源兵衛川を越えるが、これらは川と言うよりも用
水で何れも源は富士の伏流水のようで、豊富な町であることが窺い知れる。
地図で確認すれば池・川・用水など、水色で表示される流れが随分と多いこ
とが見て取れる。この源兵衛川も伏流水をためる楽寿園の小浜池から引かれ
た人工的な農業用水で、河川工事に関わった人物の名に由来する。





 源兵衛川を渡るとすぐのところに三石神社と言うお社が有り、その境内に
時の鐘が有る。
コンクリート製の台座の上に建てられた鐘楼のような姿をしている。
これは江戸・寛永年間から宿場の人々に時を知らせた鐘らしく、今の鐘は第
二次大戦後復興されたもので、年末の除夜の鐘として撞かれると言う。
境内は川の流れに沿った公園のように整備された場所で、蛍の幼虫の放流も
行われていると言い、市民の憩いの場になっている。(続)

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