簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
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下津井電鉄線 (JR乗り潰しの旅・宇野線)

2019-01-21 | Weblog



  かつて宇野線の茶屋町駅は、瀬戸内海に面した港町・下津井とを結んでいた
下津井電鉄の乗換駅であった。当時下津井港は、丸亀など四国連絡の主要な海上
交通の拠点として賑わいを見せていた。

 1910年に国鉄の鉄路が宇野まで敷設され宇野線が開通し、同時に対岸の高松と
の間に宇高連絡線が運行されると、新路線に乗客を奪われ港町の状況は一変した。



 そこで四国連絡の旅客を取り戻そうと計画されたのが、下津井と国鉄の駅とを
結ぶ鉄道路線の建設であった。地元有力者の支援を受け、茶屋町から味野町(後
の児島駅)の間で先行営業が始まるのは、宇野線の開通から3年後のことである。
そして翌年には味野町と下津井の間が開通し総延長21㎞の下津井電鉄が全通した。





 しかし思惑とは裏腹に、利用客を取り戻すことは叶わなかった。
国鉄が宇野まで直行できるのに比べれば、茶屋町での乗り換えが有るのでは何と
も分が悪い。そこで山陽本線の倉敷駅まで路線の延伸や、本線へ乗り入れ運転を
可能にするため、現行の軌道を改める事などがしきりに検討されたが、何れも資
金難や、難行が想定される工事の負担増などから計画は頓挫した。



 1988年に瀬戸大橋が開通し、それ目当ての観光客による観光路線としての期待
も膨らんだが、効果は限定的で思ったほどの伸び無かったようだ。
その3年後には努力の甲斐もなく、77年に渡る歴史は使命を終え、鉄道は全線が
廃止された。(続)



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