簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
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食べたまま、書いてます。

一里塚 (東海道歩き旅・遠江の国)

2020-09-28 | Weblog


 事任(ことのまま)八幡宮の本宮は、東海道を挟んだ右側の本宮山の
中にあり、両地は赤い橋で結ばれている。
本宮までは271段の階段を登るらしく、とてもこれから上る元気は無い。
同社は昔から「ことのままにかなう」と評判の神らしいので、街道筋か
ら歩き旅の安全を切にお願いした。



 左200mほど奥に道の駅「掛川」がありそれを望んで暫く県道を淡々
と歩く。掛川バイパスを越え、県道415号(旧国道1号線)の八坂橋の
歩道橋の有る辺りに、日本橋から223.3㎞の地点を示す距離札がガード
レールに掲げられていた。



 右にカーブする県道を外れ、左の旧道に入りそこから5分ほど歩くと、
57番目の伊達方一里塚がある。
江戸幕府は街道を整備する伝馬制を制定した後、江戸日本橋を起点に、
主な街道の一里ごとに塚を築くよう命じている。
旅人が行程の目安とし、休憩場所としても利用できるよう木陰を提供す
る木を植えた。
又この場所が、街道を行き来する人馬料金区切りの目安ともした。



 今日では一里は大凡3.92㎞とされている。
とすればこの地点は日本橋から223.4㎞となる。
先ほどの旧国道からは5分ほど歩いてきたから、この間に300m程進ん
だとすれば、この一里塚は223.7㎞の地点となる。



 単純比較で論じるのは早計かも知れないが、現在の距離と大差がない。
当時正確な測量地図があったのか歩測であった、どうやって計測したの
かは知らないが、土木技術は想像以上に優れていたのではと思えてくる。
宿内などに当り、意図的に位置をずらした例も少なからずあるようだが、
一里塚の位置も意外に正確な場所に置かれていたことが良く解る。(続)





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