簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
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食べたまま、書いてます。

黄瀬川の対面(東海道歩き旅・伊豆の国)

2019-05-17 | Weblog

 その先で国道1号線を越えしばらく行くと、右手奥の林の中に長沢の八幡
神社が建っている。ここは「対面石」で知られたところだ。



 伊豆を平定した源頼朝は、平家との富士川の合戦の為、この黄瀬川八幡に
本陣を構えた。そこに駆け付けたのが、奥州平泉で藤原氏の保護の元、機が
熟すのを今か今かと待ち焦がれていた腹違いの弟・源義経である。



 二人はこの地で、これまでの辛苦と打倒平氏・源氏再興を語り合い、共に
懐旧の涙にくれたと言う場所だ。少し高さと大きさの違う石が二つ向かい合
うように置かれていて、これに二人が腰かけて対面を果たしたと言う記念の
石だ。



 その後義経は源氏の最前線で戦い、壇ノ浦で平家を追い込み、終には海の
藻屑と葬った、いわば源氏勝利の立役者となる。しかしどこで釦が掛け違っ
たのか、その後の兄の冷たい仕打ちは兄弟の確執に変わり、追い詰められた
義経は劇的な最後を平泉で迎えるのである。



 そんな末路は、この時の光景からはとても想像できないものである。
しかしここに残された、高さの違う大小の石を見ていると、その後の二人を
既に暗示していたのかも知れないと思えてくる。

 実は、この大きさも高さも違う二つの石の存在が、悲劇の序章を伝えてい
たとは考えられないだろうか。兄は歓待するふりを演じながら、弟を見下し
ていたのだと思う。その証が、この石の形に込められている。
そんな風に考えると、何かしら感慨深いものがある。



 その先で黄瀬川を越える。
右手に潮音禅寺を見れば、街道は旧木瀬川村から下石田戸村へ入って行く。
丁度この辺りに「従 是西沼津領」と書かれた傍示杭が立てられていたようで、
東海道はいよいよ伊豆の国から駿河の国へと入って行く。
(東海道歩き旅・伊豆の国編 完)




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