教師として責任のある立場を強く意識し、「できない自分ではいけない。」「何としてでもやらなければいけない。」「今の立場になった以上、自分を変えなければならない。」などと考えることがあります。
そして、自分の外側の問題に転嫁しても、自身の内側の問題とわかっているから、他人から言われたくないし、できないダメな自分を人に見せたくないという気持ちになります。
そのため、その事は、秘密にして、自分だけで何とかしようと思います。
まるで犯罪者が罪を隠ぺいしようとしている感じです。
「何とかしたいが、どうしよう。」と人と会話(外的対話)するのではなく、人を避け、内的会話(独り言)をすることがあります。
この独り言を言うのは誰でしょう。
他ではなく、「もう一人の自分」が、あなたに話しかけています。
私たちの心の中には自尊心や虚栄心等は、露骨に目の前に現れることはなく、心の奥深くに隠れて、最後の砦のように、必死であなたを守っています。
時には、嘘をついたり、ごまかしたり、隠したりすることもあります。
私たちは、いつもこの「もう一人の自分」と一緒にいます。葛藤するのもこのもう一人の自分とのやり取りになります。
しかし、この「もう一人の自分」は、もともとあなたの中にいた訳ではなく、あなたが生まれ育ちながら、次第に形作られました。そして、「快・不快」という感覚となってあなたの心の中に住みついています。
授業がうまくできない自分だと判断した時、何となく苦しくなったり、辛くなったりするあの感覚がもう一人の自分になります。
ただし、この苦しさや辛さの前提には、「自分はダメだ。」「できない自分は許せない。」等という価値判断があります。
この価値判断は、真実でしょうか、それとも思い込みでしょうか?どちらでしょう?
これは、過去の体験に基づいた長年培った価値判断が、不快感を作り出しただけです。だめなあなたという事実はなく、すべて思い込みになります。
「失敗なんて、誰にでもある。」「失敗ではない。これは学びだ。」と考える人ならば、決して「自分をダメだ。」という判断はしませんし、苦しさなどは感じません。
もう一人の自分は、不快感を作り出すことはありません。
できなかったことに焦点を当て続けると、次から次へとできないことが出てくるため、常に至らない自分に焦点が当たり、自己否定につながります。
もし、課題が成果を元にした「これができたから、さらにできるようにしよう。」ということならば、自己否定にはつながりません。
言い換えると、もう一人の自分が快・不快を決める前提として、「今の自分を否定して、目標を目指すのか。」それとも、「今の自分を肯定して、目標を目指すのか。」によって決まるということになります。
「できない自分」なのか、「できる自分」なのか、その判断がもう一人の自分に大きな影響を与えます。これも脳のはたらきによるものです。
脳は、もう一人の自分を作り出して、自分を守っています。
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ファミリーアシスト あすなろ教室では、子育てで悩みやストレスを抱える親さんや先生
向けのメール相談やスカイプ相談を承っています。
HP:http://asunarokyoshitu.jp/
E-mail:suda1016@mail.goo.ne.jp
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そして、自分の外側の問題に転嫁しても、自身の内側の問題とわかっているから、他人から言われたくないし、できないダメな自分を人に見せたくないという気持ちになります。
そのため、その事は、秘密にして、自分だけで何とかしようと思います。
まるで犯罪者が罪を隠ぺいしようとしている感じです。
「何とかしたいが、どうしよう。」と人と会話(外的対話)するのではなく、人を避け、内的会話(独り言)をすることがあります。
この独り言を言うのは誰でしょう。
他ではなく、「もう一人の自分」が、あなたに話しかけています。
私たちの心の中には自尊心や虚栄心等は、露骨に目の前に現れることはなく、心の奥深くに隠れて、最後の砦のように、必死であなたを守っています。
時には、嘘をついたり、ごまかしたり、隠したりすることもあります。
私たちは、いつもこの「もう一人の自分」と一緒にいます。葛藤するのもこのもう一人の自分とのやり取りになります。
しかし、この「もう一人の自分」は、もともとあなたの中にいた訳ではなく、あなたが生まれ育ちながら、次第に形作られました。そして、「快・不快」という感覚となってあなたの心の中に住みついています。
授業がうまくできない自分だと判断した時、何となく苦しくなったり、辛くなったりするあの感覚がもう一人の自分になります。
ただし、この苦しさや辛さの前提には、「自分はダメだ。」「できない自分は許せない。」等という価値判断があります。
この価値判断は、真実でしょうか、それとも思い込みでしょうか?どちらでしょう?
これは、過去の体験に基づいた長年培った価値判断が、不快感を作り出しただけです。だめなあなたという事実はなく、すべて思い込みになります。
「失敗なんて、誰にでもある。」「失敗ではない。これは学びだ。」と考える人ならば、決して「自分をダメだ。」という判断はしませんし、苦しさなどは感じません。
もう一人の自分は、不快感を作り出すことはありません。
できなかったことに焦点を当て続けると、次から次へとできないことが出てくるため、常に至らない自分に焦点が当たり、自己否定につながります。
もし、課題が成果を元にした「これができたから、さらにできるようにしよう。」ということならば、自己否定にはつながりません。
言い換えると、もう一人の自分が快・不快を決める前提として、「今の自分を否定して、目標を目指すのか。」それとも、「今の自分を肯定して、目標を目指すのか。」によって決まるということになります。
「できない自分」なのか、「できる自分」なのか、その判断がもう一人の自分に大きな影響を与えます。これも脳のはたらきによるものです。
脳は、もう一人の自分を作り出して、自分を守っています。
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