ファミリーアシスト あすなろ教室(輝く瞳と素敵な笑顔を求めて)

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忙しい

2009-07-31 | 育児
 「忙しい」・・・この言葉は、とても便利だ。何かを依頼されても、この言葉を使って話をすると相手は、遠慮して依頼をしなくなる。そして、壁を作って自分を守ってくれる。それだけではない。相手の思いやりをも引き出してくれる。しかし、この言葉を使うことで、入ってくるものがなくなってしまう。今の自分で満足してしまう。相手は、固定的に私を見てしまう。
 だから、私はこの言葉を使わないようにしている。新しいことに挑戦しようとするときには、時間は気にならない。無我夢中になって取り組んでいる時には、時間がほしくてたまらない。そして、そんな時には、効率を上げ、自分で時間を工面する。依頼されたことは、自分を変える可能性があることだと思えば挑戦する価値はある。時間を作って挑戦する価値がある。
 依頼されるには、それなりの理由がある。期待を込めての依頼のはずだ。可能性を見ているから依頼されるのだ。可能性がないと思っている人には依頼はしないものだ。今の自分が本当の自分なのかは自分ではわからない。ひょっとしたら、もっと違う自分なのかもしれない。考えている自分よりももっと素敵な自分なのかもしれない。思い込みで自分をみているのかもしれない。このように考えると、依頼されることを断ることは自分の可能性を自分自身で奪っていることになる。依頼を受けるとどんな自分が出てくるのだろう。そして、どんなことを考えることになるのだろう。どんな人と出会うのだろう。広がりは無限だ。「今、忙しい」と決めるのは、今の自分だ。その今の自分が未来の自分を決めてしまっているのだ。これは、もったいない。つまり、忙しいと言わないことが、新たな自分を作り出すのだ。
 「忙しい。」の他にも、「面倒だ。」「何で自分が?」「私には関係ない。」「私には無理だから。」などという言葉が見つかる。これらは、どれも自分を固定し、自分の可能性を奪う言葉になる。この言葉を吐き出すときの自分に意識を向けてみると、自分と距離を置こうとしている感じはしないだろうか。自分に近づけて考えることが危険を伴うことだと思えば避けようとするのが人間だ。物事には危険も安全もない。それを危険と考える自分だから避けるのだ。安全と考えれば受け入れることができる。依頼する人を信じ、安全なものをもってきたと思うか、いやなものをタライ回しにして危険なものをもってきたと思うかは、自分次第だ。人は自分を生かすために存在していてくれると思えば、決して危険なものはない。何か自分が試されているのだと考えれば、興味をもって前向きにとらえることができる。つまり、物事には肯定的な意図があると考えるだけで、見えるものが違ってくる。前向きさは、人や自分の可能性を信じて生きようとするところから始まる。素敵な人が自分の回りには一杯いる。私に幸せを運んでくれる人が一杯いる。そう考えたら、どれだけ幸せな人生を送ることができるだろう。すべてが自分次第なのだ。