犬小屋:す~さんの無祿(ブログ)

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QOL:クオリティ・オブ・ライフ

2018年05月18日 | からだ
陶芸教室で、二十代半ばの女性数人がキャッキャと話している。
どうやら、高校時代の同級生のようだ。
結婚したとかするとか職場がどうとか誰かの噂とか、おしゃべりが続く。

一人が、QOLという言葉を使った。
「きゅーおーえる?何それ」
使った人は医師で、当人としては日常語だったが、
友達には伝わらなかったようだ。

医療とその周辺の業界には当たり前の言葉だけれど、
一般的ではないようだ。
友達同士の会話の中で「何それ」となるのは構わないが、
患者相手に使って伝わっていなかったりすると困る。
専門家同士の会話以外は専門用語を使わないようにする、
というのはけっこう大事なことだと思う。



[あらすじ]
母85歳の友人N83歳の耳が遠い。
おしゃべりが楽しめないので、クラブ活動を辞めた。
耳鼻科医は「面と向かっての会話ができるから補聴器は必要無い」と言う。

雑音の無い診察室で、
話題も限られている中で、
一対一で、
しっかり面と向かって
話ができればそれで聴力として十分か。

本人としては、かるた取りはできるけれど、ゲームの後のおしゃべりに加われないから
「つまらない」から辞めた、ということだ。

がやがやと、
様々な内容の、
複数人で集まって、
他愛もない
おしゃべりができないことは、つまらない。

聴力の低下が原因で、日々の中の楽しみが減っている。



こういうのを、QOLが下がった、と言う。
クオリティ・オブ・ライフ、生活の質が下がった、あんまり楽しくないのよね、ということだ。

生きている間は、何かの楽しみが必要だ。
ほんのオマケのような部分でも、それは必要なのだ。

年を取って身体が衰えていく中で、いろいろな機能が落ちて
楽しみが減ることも有る。
それが、補聴器ひとつで楽になるのなら、けっこうなことではないかと思う。



聴力の問題は、聞こえる聞こえないというだけの問題にとどまらない。

近所のおじさんは、耳が遠くなって、挨拶も聞こえなくなってから、
すっかりぼんやりしてしまった。
表情がどろんと眠たそうな顔になっている。

耳が遠くなったのだと気付いてからは、
大きく高く声を掛けたり、視野に入ってから挨拶するようにしている。



周囲の対応も必要だ。
聞こえにくい相手には高めに声を張るとか、聞こえる側に立つとか。
ただ、それも経験してみないと知らないことであったりする。

Nちゃんは言う。
「あたしは左側が難聴ですから。」
しかし、
「右側から話し掛けてください。」とは言わない。

経験の無い人には、後者のような表現でないと伝わらなかったりするものだ。



無口で、表情も固い、頑固そうで、あまり他人と関わりたくなさそうな
爺さんが陶芸教室にいる。

しかしまた別の日、今度は明るくにこにこと挨拶してくれ、
自分の作品や道具についても、自らあれこれ説明してくれた。

一見、機嫌のムラが有るようだが、違う。
補聴器を付けていたか、いなかったか、だ。

こんなにも表情が変わり、人との関わり方が変わる。
陶芸教室で、彼は割と黙々と作業するほうではあるが、
それでも、自分の好きな物について人に語る時、やはりきらきらとした様子が出る。

QOLが向上している。

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