「東へ行け行くほど男尊女卑文化は激しくなる」と指摘した、アジア諸国をよく旅するアラブ人の指摘は全くそのとおりだと思ったが、日本にいてよく気になる表現は「混血」とか「ハーフ」と言う表現だ。
人類はどうやら本当にアフリカで進化した一組の男女から始まったらしい説が有力なっているなら、人類には元々「血の純潔」など言う発想そのものが殆ど意味がない事にもなる。
大陸から切り離されて長い日本列島に棲んできた人々は、広い大陸にあちこちで様々に変わっていった値域の人々と遭遇する機会は少なかったから、容姿の違う者達との付き合い方はまだ上手ではないのは自然だろうし、仕方ない。
大陸にくっ付いてはいるものの、半島部分の人々も殆ど似た様な状況だった事は想像できる。
他所の土地に棲んできた容姿の血がう人々と交わる事で「混血」や「半分の血=ハーフ」になってしまうと感じる心理は興味深い。
実際には違う地域の人々と交わる後とは、更に広い地理範囲の情報や文化風習の考え方に触れ学び、理解を深める訳なのだろうから、半分になるんじゃなくて「倍=ダブル」になる筈だ。
また更には、全く別の地域に人々から「養子」をとるフランス人カップルを立派に育て事への尊敬のしかたもなんだか違う。
狭い地域に細々といろいろな人々が住んでいる欧州は、世界中からの人々がより集まって出来上がっているアメリカの社会や、同じく多くの容姿の違う様々な人々が住んでいる地域と繋がっている中東地域の社会には「混血」も「ハーフ」と言う発想は殆ど存在しないに等しいと言っていい。
全く無い、と言う訳ではない。
地球上どんな地域へ行っても、容姿が違い、言葉も生活習慣も文化も違う者同が違和感を感じるのは自然な事だ。ただ科学や技術や知恵が支える文明が拡がっていくと、違った人間達が交わり、共通の利益を見出して通商交流始めると、お互いに理解を深め、許容力も寛容力も育まれ、交換による共通の利益を求めた方が得だと言う事も学んでいく。
そこから結局は「人間」の素と原点、底辺の部分でやはり変わらない「人間性」と言うものを見出すから、同じ赤い色の血が混ざっても、半分になる訳でもなく、何か根源的なものが変わってしまう訳ではないから、「混血」とか「ハーフ」と言う感じ方、発想は人類にとって殆ど意味をなさないものなのだ、と学んで来たのだろう。
生き物である人間の基の素を感じることで、地球上全体に拡がっていった「アダムとイブ」の遺伝子を受け継いだ「子孫」なのだと感じるとれる動物的な感性を呼び覚ましたい。