blog Donbiki-Style

筆者:どんびき(地域によりカエルの意)

民主党が何を考えているか

2009-07-10 23:05:47 | 日記
民主党の「沖縄ビジョン」という政策。

http://www.dpj.or.jp/okinawavision/(民主党ウェブサイト)
http://www.youtube.com/watch?v=BADq6pkw2JU(動画)

いろんな解釈があるとは思うが、私はこれを見て背筋が凍った。
民主が大好きな方はともかく、「自民が頼りないから・・・」あたりの認識の方、ぜひ立ち止まって一度考えていただきたい。

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県境の話

2009-07-09 22:58:28 | 日記
前回の記事で、自宅では本を読むことが多いということを書いた。
読書といっても机に向かって姿勢正しくということはなく、だいたいはフトンの上に寝転がって読む。
それが証拠に、いろんな本はいつの間にかフトンの周りに集まっている。
横になっているから、いつの間にか眠ってしまうこともある。

読む本の中にはいわゆる「本らしい本」もあるが、私の場合は地図や時刻表などを眺めることも多い。
人によっては、地図や時刻表というのはただ細かくて無味乾燥なものだろうが、案外時間つぶしには格好である。
勝手な旅行計画を立て、時にはお金がいくらかかるかまでやることもあるが、頭の体操という意味でも楽しい作業だ。

さて、今日たまたま見たNHKの番組で「不思議な県境」の例をいくつか紹介していた。
客観的に不思議な形で引かれているように見える境界線が、実は地域住民の長年の運動によって獲得されたものである例など興味深く見た。
自宅にある地図帳で確認すると、なるほど番組で言っていた通りであった。
河川や峠といった自然の地形に由来する県境ももちろんあるが、中には人間の働きかけが大きく作用している所もあるということで、大いに勉強になった。

私が住む富山県は、明治の初期は一時現在の石川県と一緒にされていた。
有志の懸命なる独立運動の結果、現在の富山県にあたる地域が分離したことは、県の公文書館の展示を見て知った。
明治初期の廃藩置県では、最終的に3府35県まで統合が進んだが、この段階で逆に全国で独立運動が頻発して結局8県が分離して3府43県となった。
単位としての「46」という数字は、現在の北海道を除いたものだから、現在の47都道府県の原型がこの時に完成したことになる。

TVでは今「首長連合」なるものが頻繁に登場して、「道州制」の導入を必死でアピールしている。
地方分権という文脈の中での主張ではあろうが、県境をとっぱらって行政区分として一体になる必要性がどこにあるのかが全然分からない。

富山県というコンパクトな県に住んでいても、東部と西部の「人間の違い」は肌で感じる。
あくまで個人的な感覚だが、東部の人間である私は、高岡市を中心とした西部の人間は「がめつい」というイメージを持っている。
逆に西部の人間から見て、富山市や魚津市の人間はのんびりしていてイライラするらしい。
同じ北陸の福井県に至っては、TVやラジオではローカル番組といえどもいわゆる「福井弁」は使えない。
若狭地方の言葉は関西方言に近く、福井市を中心とした地域の言葉はなじまないため、福井弁を放送で使うと苦情が来てしまうらしい。

かように今の都道府県のくくりの中でも文化の違いがある中で、今から大きな自治体を作ろうという話はどうなのか。
歴史上すでに失敗している話ではないのか。
行政区分としてひとくくりにされたところで地域がまとまるわけではないことは、近年の市町村合併を見ても明らかだろう。
それぞれの地域の「違い」を認めつつ、交流・協力できる分野は大いにやったらよい。
明治の先人達の運動の中身を知れば、わが国が現在の47都道府県に落ち着いていることの「偉大さ」が分かるような気がするのだがいかがか。

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晴読雨読?

2009-07-06 22:17:23 | 日記
もともとの言葉は「晴耕雨読」だが、あいにく耕す土地はなく、自宅にいる時間は天気に関わらず本を読むことが多い。
最近は、アジア外交やマスコミの腐敗といった比較的硬いテーマのものを集中して読んでいる。
今さらながら、自分自身いかに不勉強であったかを思い知らされる。

学校時代は、表面上の成績はよかったが、勉強が楽しいと思ったことはまったくなかったと言っていい。
今から思えば文字通りの受け身専門の生徒・学生で、授業と宿題だけが私にとっての勉強であった。
要するにやれと言われることだけを義務感だけでやっていたに過ぎない。
教師に質問に行ったりもしなかったから、あまり印象に残らない生徒・学生であったのではないか。

極端な言い方をすれば、その頃は1人の人間としての「軸」がなかった。
こうありたいという人間像のイメージを持てていなかった。
周囲に受け入れられることばかりを気にするあまり、いとも簡単に「ブレる」人間であった。
ずる賢い人間にとっては非常に都合がいい存在ということになってしまい、適当に利用され振り回されたあげく最後は捨てられるという経験を懲りもせず重ねることになった。

たびたび書いていることではあるが、自分で何かを欲し、自発的に動くことの楽しさや重さを知ったのは、学校を出てから数えても10年近く後、30代に突入したあたりである。
「自分の心に従う」という簡単なことを、それまでは放棄しなくてもいい場面でも放棄して生きてきた。
そんな生き方を少し修正して、音楽などのやりたいことを始めたら、不思議とよい出会いに恵まれだした。
やりたいことをやっている人間には、当然ながら「意志」がある。
意志が固まってくると、人間としての軸ができる。
こうなると、真に自分を思いやってくれる人間と、自分を適当に利用しようとする人間との見分けが付くようになる。
自分にとって本当に必要なものが見えてくるということである。

とはいえ、本当に確固たるものが私の中にできていると言い切れる自信はまだない。
時間のある今をうまく使って、少しでもいろんな意味でのバックボーンを自分の中に醸成したい。
恥ずかしながら、最近読んでいる分野は今まである意味「避けてきた」部分でもある。
日本が日本でいられるかという危機に直面している今、知るべきを知り、自分の意見を持ち、時には孤独を恐れず行動できる、そういう人間でありたいと思う。

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ぶらぶら歩き

2009-07-05 19:20:40 | 日記
今年はややカラ梅雨ぎみながら、この時期らしいはっきりしない天気が続いている。
今朝はけっこう日差しが出たので、たまには外に出ようと思った。
特に目的は決めず、富山市内のにぎやかな場所ということにした。

富山駅の北側では、地元・北日本放送(KNB)の公開イベントがあって、たくさんの人が歩いていた。
いったんそこは通り過ぎ、「サンフォルテ」という施設に行った。
日頃の情報はTVやネットで取るが、たまに新聞をじっくり読みたくなるので時々足を運ぶ。
全国紙は読売・朝日・日経、地元紙は北日本・富山と揃っている。
どれを読むかは気分しだいだが、今日は地元紙の一方を選んだ。
ちょうど東海北陸自動車道が全線開通して1年が経ったところでの記事があった。
まだ4車線化されていない区間も多く、本格的に機能するにはまだ時間がかかるだろう。
観光客の数はやはり中京圏を中心に伸びているようだ。

イベント会場に取って返したが、社屋に入ると係の方がいて、スタジオ見学ができることをアピールしていた。
本当にちらっとではあるが、通常のテレビやラジオの番組で使われているスペースを見ることができた。
出店やステージは恒例のことだが、まさか建物の中を見られるとは思わなかったので少し得をした気分である。
ステージでは、多忙なはずのアナウンサーの皆さんが「ナベザイル」(と聞こえた)というグループとなって見事なパフォーマンスを見せていた。
いつ練習したのだろう。

自宅に帰るにはまだ時間があったので、今度は市内の中心商店街に行った。
全国の地ビール祭のようなイベントが行われていて、これまたにぎやかな雰囲気であった。
このエリアに来ると決まって総曲輪フェリオの中の紀伊国屋書店に行く。
最近は東北アジアがきな臭い感じになっていることもあって、いわゆる隣国と日本との関係に絡む書籍を多く買っている。
中韓関連だけでもたいそうな数があるが、いろいろな立場の本があるのでよくよく吟味して選ぶことにしている。

特に運動というわけではないが、外に出て歩くだけでずいぶん気分は変わるものだ。
またしばらく雨模様らしいが、出られる日はなるべく外の空気を吸いたいと思う。

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芝居かはたまた宗教か

2009-07-02 22:24:49 | 日記
いつ頃かも忘れたような話だが、TVのニュースで「居酒屋甲子園」とやらで優勝した店を紹介していた。
名前はすっかり記憶にないが、愛知県の一宮市にある店ということだけはなぜか覚えている。
何をもって優勝なのかと思って見ていたら、やたらにテンションの高い「接客パフォーマンス」とでもいうのがその内容であった。
一瞬怪しい団体かとも思えるような絵だったので、どんなものかはだいたい想像していただけると思う。

かつて大阪に用事があって行った時に夕食に入ったラーメン店もかなり強烈であった。
ラーメン一杯一杯ができていくある過程で、必ず店の人間が全員で「ヨイショ!」という掛け声をやる。
店に入ってから出るまで何度も何度も「ヨイショ!」を聞かされるハメになり、ラーメンの味は忘れてしまった。

今の自宅の近くにもかなり気合の入ったラーメン店がある。
ウェブサイトをのぞいたら動画が出てきて、従業員が円陣を組んでいる。
店長とおぼしき人物が何やら大声で言っている。
まるで今からどこかに戦いにでも行くような感じだ。

客商売ということで元気があるに越したことはないのだろうが、あまりにわざとらしい店はやはり少し考えてしまう。
最近伸びているチェーン店などを見ると、ここまでしなくてはいけないかと思えるような「ムリヤリっぽい」接客スタイルに出会うことがある。
おそらくは精緻なマニュアルのようなものがあって、それが徹底されているのだろう。

飲食業界に限らず、最近は少し芝居がかったというか、宗教じみたようなオペレーションをする会社が増えている気がする。
厳しい世の中だから、気合と根性で乗り切ろうということか。
私のような人間は、こういった集団主義的、体育会系的な環境にはまず縁はないだろうが・・・。

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正直すぎる求人広告

2009-07-01 22:16:56 | 日記
現在の立場上、求人サイトをのぞくことも多いのだが、「リクナビNEXT」に驚くべき広告が載っていた。
広告の最初から「休みはない」と書いてある。
のっけから労働基準法違反を公言している求人広告は初めて見た。
もしやと思い、「2ちゃんねる」で検索してみたら、案の定スレッドが立っていて、すでに100件近い書き込みがされている。

広告主は「㈱レイル」といって、パソコン検定や教材販売を手がける会社となっているが、業務内容などこの際どうでもいい。
広告の詳細をたどっていくと、社長自ら「違法行為」や「パワハラ」をほのめかすような内容であったり、自己陶酔としか思えないような精神論であったりする。
ある意味正直すぎて笑ってしまう内容だから、怖いもの見たさに一度ご覧になっていただきたい。
いわゆる「ブラック企業」と噂されるような会社でも、求人広告では実際のムチャクチャぶりがバレるような書き方はしないものだが、ここまで堂々としているのはある意味珍しい。
リクルート社も、広告が激減しているであろうこの時代とはいえ、よくもまあこんな恐ろしい内容を載せたものだ。
残念なのは、だらだらと長いばかりの文章に「電通鬼十則」や「海外の著名人の言葉」の引用が多いことである。
オリジナリティーのある内容ならまだ読む気もするが、要するに借り物の理論でしかないことが図らずも明らかになってしまっている。

「電通鬼十則」が出たついでの話。
私が富山市内のメディア会社でわずかの間だけ付き合った上司は「大東建託㈱」出身であった。
かりにも一部上場会社、ほのぼのとしたCMのイメージとは裏腹に、あまりいい噂を聞かない会社であるが、「大東十則」という社則は電通鬼十則そのまま、つまり「パクリ」であるらしい。
また、当のKという上司は「行動力基本動作10か条」というものに異常にこだわっていたが、これとていわゆる管理者養成学校(=㈱社員教育研究所)で作られたものである。

自前の社是や行動規範も作れない会社の中身がどういうものかは、Kという人物を通して身をもって勉強することができた気がする。
「レイル」にしても「大東建託」にしても、組織を動かすためのノウハウを自前で構築することを放棄してしまっていることは、すでに「ブラック度」が高いと言わざるを得ない。

今日の記事で書いた「電通鬼十則」などは、検索するとすぐに見つかるので興味のある方はぜひ調べていただきたい。

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