blog Donbiki-Style

筆者:どんびき(地域によりカエルの意)

評論家では…。

2016-12-10 20:53:53 | 休日
先週末は土曜は京都で母校のラグビーを応援、日曜は中京競馬と動いたので、今週末はどちらかというと静かに過ごすことにしていた。
今日は昼食以外は外に出ず(初めてのラーメン屋さんに行けたので収穫は収穫)、自室で雑事やら昼寝やらで終わり、通常よりも早めながら本欄に手をつけている。

今日がズルズルのダラダラで終わってしまったのは、昨夜やや勢い込んで外で遊んでしまったというのが大きいのだが、最近は回数はともかくも一回一回が豪快に深夜までというパターンになりつつある。
誰に文句を言われるでもなく、月に数回はただのエロオヤジに返ることが当地で暮らしていく上では必要なのかもしれない。
現在の職場で一年経った今だからこそ見えて来たものにイライラすることも多くなったからである。

師走だからというわけでもないだろうが、今週は狭いわが部署の荷捌き場が入荷物であふれ返ることが多かった。
スペースが限られる中、時には理屈抜きで体を動かして少しでも早く元のスペースを確保しなくてはならない場面もある。
そんな中、忙しく体を動かしている人間がいる一方で、あろうことか同じ場所で腕組みをしながら口だけが動いている人間がいる。

かつて、私は仕事が「できないひと」の方が「やらないひと」よりは好きだ、と書いた。
要領が多少悪くてもスピードがいくらか遅くても、まずは目の前のことに向かっていける人は何はともあれ役に立つ。
対して、その場にはいるのだがなぜか汗を流すことなく評論家のようになってしまう人を見ると、一時的に物事が集中して混乱している場面には「入っていく自信がない」のだろうと感じる。
自分がこなせる実力以上の場面に触って自らの実力のなさが露呈することを恐れるから評論家にならざるを得ないのである。

事業所には多くの人がいるし、年齢や経験も人それぞれ、人によって仕事に対する思いは違っていて当然であろう。
ただ、私が今いる部署のような体が資本の職場にあって、何とか他人よりラクをして1日をやり過ごそうという考えがミエミエの人と気持ちよく一緒に仕事ができるかと言われるとその答えはノーである。
ラクをしようと思うのは、単純に体力が落ちて思うように体が動かなくなって来ているからであろう。
昨日などほんのちょっとの手作業で息が上がってしまっていたくらいだから、原始的な手作業は回避してフォークリフト作業で時間を稼ぐほうに走ってしまうのも無理はない。

旧組織とはいえ管理職まで張った人であれば、体力が追いつかないとなれば他にもいろいろできることはありそうにも思える。
他のところがイヤなのなら、いちいち年齢や立場を言い訳にしないで真摯に汗をかいてほしい。
朝の情報番組で仕入れたばかりの付け焼き刃の知識を職場でひけらかすチャチなプライドを、朝一番、始業のチャイムと同時に動き出すくらいの情熱に振り向けてほしいものだ。

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