blog Donbiki-Style

筆者:どんびき(地域によりカエルの意)

堪忍袋も在庫切れ

2014-07-09 21:48:24 | 日記
仕事が終わってさあ帰ろうかという時に、ベテランのM女史に呼び止められました。
何の話かと思えば、私と同じ年度に入ったM氏に相当きつい言葉を投げたとのことでした。
氏はもともとくだらないミスが多く、やがて在籍4年になろうかという今に至ってミスの頻度がむしろ増えているという我が部署きってのツワモノです。
内部でおさめられるものならいいのですが、思い切り出荷間違いをして外部に迷惑をかけたり、注意散漫から製品を大量に破損させたりと、致命的な例が突出して多いのが氏の特徴です。

出し間違いや破損は長くやっていれば誰しも経験するもので、ミスそのものは起きないに越したことはないにしても「起こりうるもの」として考えられます。
大切なのはミスをしてしまった後にどういう態度を取るかであって、しっかり反省をして、かつ可能な限り自ら時間を使って後処理にあたるのならば、その後はそうそうメッタなことにはなりません。
しかし氏の場合は、ミスの事実を自らのものとして認めようとはしないために同じことを何度でも繰り返します。
ミスそのものが減らないのに加えて、時に責任転嫁やウソまでついて平気な顔をしているので、周囲は堪忍袋がいくつあっても足りません。

ずいぶん前に書いたかもしれませんが、氏の内面には一種の「万能感」があるのではないかと思います。
自分は他人と違って特別で何でもできる人間だという、全く根拠のない自信と言えばいいでしょうか。
実際の姿はと言えば、さすがに全くの無能とは言いませんが、仕事ぶりは軽率でいかにも雑、光るものが果たしてどこにあるのかという感じです。

本人とすれば実際の姿というのは到底認められないものであるため、万能であると思い込むことで精神的なバランスを取ろうとします。
万能でありたい人間は、少し手間取りそうなことや努力が必要なことには「手をつけない」という奇妙な選択をすることがよくあります。
万能であることを維持するためには「できないこと」があってはいけないからです。
そんな考えでは新しいことに挑戦できるはずもなく、何年経っても仕事がうまくならないのは当然です。

氏が気づくべきは、万能な人間などどこにもおらず、たいていの人間は現在与えられた能力に何となくでも納得しながら生きているということです。
背伸びをし過ぎるでもなく卑屈になり過ぎるでもない「そのまま」の状態を受け入れるだけでいいのです。
そのままの状態がつかめれば、足りているものいないものがハッキリしますので、足らないものは補えばいいのです。

氏はいまだ「非正規」ですが、次の機会には私と同じように登用されるという、これまた根拠のない確信を持っているようです。
しかし、いちばん近くで氏を見てきた私もさることながら、周囲の評判はもはや地に落ちており、むしろ「契約打ち切り」の心配をしたほうがいいように思います。
女性陣にまで「給料ドロボウ」などと言われて悔しいのならば、ひとりのいい大人として今一度歯を食いしばってがんばってほしいですし、それがイヤなら大人としてひとつ「決断」すべきだと、同期としては感じています。

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