blog Donbiki-Style

筆者:どんびき(地域によりカエルの意)

指導と指摘

2010-07-12 20:31:08 | 日記
今回の記事を書くにあたって、この2つの言葉の意味を辞書検索して調べてみた。
(検索結果は「大辞泉」より)

指導=ある目的・方向に向かって教え導くこと。
指摘=大切な点や注意すべきこと、欠点や過失などを具体的に取り上げて指し示すこと。

「指」という漢字の後の「導」と「摘」とでは、行って帰ってくるほどの差があるのではないか。
あくまで個人的なイメージだが、指摘という言葉には何となく「言いっ放し」の感じがしてしまう。
「摘」という漢字の訓読みは「つむ(摘む)」であるが、どうやら指摘という言葉は相手のやる気や思いを「摘んでしまう」という意味も含んでいるのだろうか。
何かを教えるまでは同じでも、その後の方向を示すか示さないかが2つの言葉の違いと言ってもいいのかもしれない。

世の中には、入ってくる部下をことごとく辞めさせてしまう上司が存在する。
両手でも足らないくらいの人数の人生を変えてしまっても、本人にはまったくその原因が分からない。
真剣に自らを省みることもしないで、「どうしてだ、どうしてだ」と悩んでいる。
悩んでいるならまだマシなほうで、自分の正しさを信じて疑わない人のほうが圧倒的に多いからタチが悪い。

指導者の器に残念ながら足らないと感じられる人は、指導のつもりでも指摘にとどまっている人が多い。
こういった「指摘型」の上司というのは「体育会系」が多い。
とりあえずプレイヤーとしては優秀な場合が多いので、人の欠点が目に付いて仕方がない。
しかし、間違っていることばかりをことさらに取り上げられるのでは、言われるほうは面白くない。
99%できていても、残りの1%についてネチネチ言われてはそれこそたまらない。
往々にして、言っている本人がけっこう雑な仕事ぶりだったりするから、まさに体育会系お得意のダブルスタンダードである。

先日私と一悶着あったサブリーダーのH氏が、今日は私の仕事上の間違いを見つけたのか、声をかけようとしてきた。
すぐに「私が間違っていない」ことに気づいて話が始まる前に取り下げたが、一悶着以来もまったく反省がないことが分かって残念な気持ちになった。
結局は、「何か一言言ってやろう」と、何かを日々必死で探しているのだと思うとつくづくかわいそうな気さえする。

私は、指導者がどんなにキツい口調であっても「指導」の意思が感じられれば決して反抗はしない。
H氏のように単なる指摘を指導だと勘違いしている人間には、ある程度の折り合いは前提としながらも、正直なところ話半分くらいの対応をさせていただこうと思うのである。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする