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斬、【監督:塚本晋也】

2018-12-31 22:52:30 | 映評 2013~

細かい話から始めるが、音の使い方にまずゾクゾクした。
刀を握りしめているだけで、チリチリと金属音が響く。刀の音といえば、普通は「抜く」「斬る」「収める」あと鍔迫り合いてのガキーンとかそんな音が定番だけど、本作ではただ握っているだけの時にも音がなる。
本物の刀は持ったことないので実際に持ってるだけで音がするのかは知らない。しかしこのチリチリする音は、すごい力で柄を握りしめていることを表し、それは緊張感を伝え、刀を持って向きあうという行為が命のやり取りであることを伝える。
思えばオープニングのカットは、剣を鍛える窯の音や焼けた鉄を叩く音や水が蒸発する音だったりと、音の洪水のような場面から始まった。

刀で人を殺す映画で、人の台詞は少ない分、刀に沢山喋らせているように思えた。

刀が表情を見せた瞬間もある。
蒼井優が真夜中に塚本晋也に見せる、憎しみなのか愛なのか、感情未満のむき出しの本能のように迫る場面。刀のそばに顔をグイと押し付けられた蒼井優の吐息で刀身が染まる。それはまるで刀がハアハアと息をするどころか、感じているように見える。

人間たちはいっぱしの人間らしく、人を罵り、恨み、怒る。池松壮亮は自慰までさらして生き物であることを確認しようとしているようだ。その実、3人の主要人物の欲求や行動は人を斬ること、殺すことへと向かい、そこに人間らしさ、正の感情とでも言おうか、そういうものは微塵もない。
むしろ剣が、声を出し、感じている。
もちろん刀の音も、吐息も、それに関わる人間の反射でしかない。
それは人を殺したいという人間の醜い欲望の反映なのかもしれない。

そしてこの映画での斬り合いはひたすら醜悪だ。殺陣はきわめて泥臭く、斬る側には一片の格好良さ(ヨウシキビってやつ)はなく、斬られた方は醜く血を垂れ流して死ぬ。
血が流れきれば死ぬ。それだけ。
殺し合いには思想とか正義とか責任とか時代とか大義名分を皆掲げようとする。この映画でも、まず江戸へそこから京都へと向かい政変に加わろうとするが、幕府側か新政府側のどちらに着くかということで誰ももめない。塚本晋也以外はそもそもどことどこが戦っているかすらよくわかってないようにもとれる。

美しい武士道精神とか、様式的な殺陣とか、そんなもの剣を握ったもの同士が向き合えば消滅する。美しさなど後付けだったり言い訳だったりでしかない。
そして人を斬り良識ある人間、生きる命であることすら消えた、殺しの道具となった人間は野に放たれる。
オープニングの剣を鍛える場面は、剣ではなくそれを使って人を殺す物を作っていたのだ

話は変わるが、もしかすると池松壮亮と蒼井優と塚本晋也の3人はものすごくコンパクトにその当時の日本の空気を反映しているのかもしれない。別に誰が幕府で誰が長州でとか、そういう意味ではなく。
殺さざるを得ない状況が三人の関係性の中で作られる。天下国家のためという大義名分もやがてどうでもよくなり、とにかく斬ることに執着しだす。こうして他者を殺し破壊し侵略する国が作られていったということを表しているように思えた。

蒼井優という人は新しい映画に出るたびに新境地を開いているように思える。ラストの醜い雄叫びはいつまでも耳に残る。
池松壮亮の弱さ脆さも非常に印象深い。
そして塚本晋也のセルフプロデュースかって言うくらいの圧倒的存在感。圧倒的に狂っていて、問答無用で狂うことを強制させていく恐怖の存在。
3人の演技と、剣から響く金属音と、汚らしい血と死体で彩られた殺しと暴力の詩のような作品。

『斬、』
監督・脚本 塚本晋也
出演 池松壮亮、蒼井優、塚本晋也
2018年12月31日 ユーロスペースにて
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