アメノチハレ

都志見隆の果てしない日々の日常

秋日傘

2015年10月08日 | Tsushimi Takashi
長い道のりだった。

約2年程前に作品作りを始めた。
作詞家の康珍化氏と何度もやり取りを繰り返しながら
半年かかって歌が出来上がった。

歌い手を探しながらそこからまた一年が過ぎ
それでは作曲した僕自身がこの歌を唄ってわれわれの自主制作で
この歌を被災地に届けましょうと準備を始めた矢先
『僕が唄ってみましょうか」と『最後の雨の」中西保志が
手を上げてくれた。
彼の歌でやっと「秋日傘」をひらく事が出来た。


10月7日発売『秋日傘』NHKラジオ深夜便 10~12月 深夜便の歌

ある打ち合わせが終わって帰りの地下鉄の中
「つっくん、作りたい歌があるんだけど」と康さんが話し始めた。
先の震災で子供を失くしたおばちゃんの歌なんだけど と始まって
僕は地下鉄のうなり声を払いのけながら、ずっと耳を傾けて聞いた。

以下 康氏コメントより


< もみじと、りんごと、おばちゃんの家 >

震災から、もうすぐ2年が過ぎようとしていた冬のある日、
津波で子供を亡くしたお母さんたちの、その後の日々を伝えるテレビ番組を見ました。
「復興、復興っていう声を聞くのが辛い。
だって復興できないものを失くしてしまったから」と言った、
ひとりのお母さんの嘆きが深く心に刺さりました

歌を愛し、その仕事に携わる僕らは、震災直後、
たくさんのエールを歌に込めて被災地に届けました。
でも、それらの歌がひとつの役目を終えて静まったあとも、
相変わらずたくさんの人たちが、
厳しい環境の中で日々を送らなければいけない現実は何も変わっていません。
そんな人たちの心に寄り添えるような次の歌を、
僕らはもう作り終わったのだろうか、
もう届け終わったのだろうかと、そんな自問をしている頃のことでした。

何か大げさな歌を作ろうと思ったわけではありません。
ただ、おばちゃんの家にお線香をあげに行く少女の姿を、
歌に描きたいと思いました。
そして彼女の目を通して、かけがえのない命を失ったおばちゃんの悲しみと、
それを気遣う周囲の人たちのやさしさや、
おばちゃんの悲しみを静かに見守って過ぎてゆく季節の流れを描けたらと思いました。

山の色を変えて、3年目の秋が過ぎてゆきます。
厳しい冬には海も色を変えるでしょう。
4年目、5年目と時間が積もることでやわらぐ痛みの傍らに、
癒されることのない悲しみがあることも事実です。
そんな悲しみを見守っている人たちが近くにいることを、
じっと見つめている歌があることを、
伝えられたらと思っています。        作詞家 康珍化

このコメントは2014年当時、この楽曲の媒体へのプレゼン用に氏が
書かれたものです。
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