【改題】ひとり公論(IT公論)

アラフィフとなりIT土方卒業したのでタイトル変更しました
こちらはどちらかといえば再録中心

「勝手に安息を取ってはいけない。」

2017-10-24 19:01:49 | 再録
https://ameblo.jp/stevengerrardjp/entry-12201680534.html
8月17日



 「ヘプル人への手紙」4の9について。実際、今日のような騒がしい、全般的に落着きのない時代にぉいても、そのような人びと(神の民)には、つねに安息がある。しかし彼らにとっても、働いたり務めに従ったりするように定められている時には、安息は与えられない。そんな場合に、時ならぬ休息をのぞんだりすると、かえって心の安らぎを失い、そればかりか、ときには、最高かつ最善の事を怠るようになる。

 ルカによる福音書22の46。



 およそ安息は神から贈られたものでなくてはならない。あなたが勝手に安息を取ってはいけない。老年においても、さらに病気のときでもそうである。しかし、一般に命じられており、たいてい今日ではだれにでも許されている休息、すなわち、夜半前からの眠りと日曜日とを、一貫して利用しなさい。これは、十分な休養感を得るのにたいへん役立ち、また、そのうえ神の祝福が与えられる。そうでなくて、あまり休みすぎたり楽にしすぎたりすることも、働きすぎたりあせったりするのと同様に、疲労のたねになるものだ。

 「暇な時間」や「休暇」も、何か無益なことや、それどころか時には有害なことを行うためにあるのではなく、むしろ心身のためによい事をなすためにあるのだ。人の一生は、その大部分をまったくむだに過ごすには、あまりにも短かい。よい目的も意味もない楽しみ、そればかりか、悪い結果をさえともなうような楽しみは、楽しみとはいえない。ベンジャミン・フランクリンは実にズバリとこう言っている。

 「余暇とは、何か有益なことをするための時間である。」

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