Straphangers’ Room2022

旧Straphangers' Eyeや習志野原の掲示板の管理人の書きなぐりです

マスクをする自由を「依存症」扱いするダブスタ

2023-03-27 21:09:42 | 時事
「マスク着用は個人の判断」で反マスクのメディアがキャッキャ騒いでいたのに、ふたを開けてみると大半がマスク着用という現状に半狂乱になってますね。
マスク着用は同調圧力という出し物では説得力がないと悟ったのか、今度は「マスク依存」と言い出して、マスク着用は病気のような物言いです。
そもそも「個人の判断」なんですから自由なはずですが、メディアなど反マスク界隈には「自由」とは「マスクをしない自由」だけであり「マスクをする自由」はあり得ないという偏った評価しかできていません。「マスク依存」のレッテルを貼り、積極的にマスク外しを促さないといけない、個人の判断にしてはいけない、と真顔で言うような偏向思考ですからね。そもそもCovid19の「毒性」は政府がマスク着用を緩和したから下がるというわけはなく、同じレベルのリスクに対し、リスク回避手段を緩和したらどうなるか。マスク着用を継続する国民はそういうごくごく当たり前の損得勘定が出来ているにすぎません。

もちろん花粉症の時期と重なっているという事情はありますが、本来であれば「花粉症だからマスクをする」のであれば、Covid19のような感染症での着用と違い、自分だけの事情での着用であり、Covid19であれば外すというのであれば、他人に感染させるという可能性にまったく配慮しない、自分勝手な論理です。自分が重症化する、家族や親族が重症化する、というリスクを勘案することを「依存症」のように言われるのであれば、花粉症でマスクをすることなんかあり得ないでしょう。感染リスクに晒されるべき、というのであれば、自分が耐えれば済む花粉症「ごとき」でマスクを着用するのは、それこそ「表情が分からない」「免疫が付かない」とかCovid19でのマスク着用を躍起になって否定してきた理由をそのままぶつけるべきでしょう。

そもそも今回の変更は個人の判断、事業者などの判断と、医学的、疫学的内容を示さずに国民の側に丸投げした最悪の政策です。
しかも「個人の判断で」マスクを着用しているとメディアにケチを付けられるというわけで、感染リスクを負ったり、あるいは感染リスクを回避するために行動を制約するしかないといった、なんで感染リスクを避けたい側がここまで譲歩するのか、という不公平極まる事態になっています。

それでもマスクの着脱がTPOを弁えているのであればまだしも、そうでないですからね。マスクを着用しなくてもよいシチュエーションに置いて着用を求めない、というだけの話なのに、その条件が全く頭から抜けている人が多いのも問題です。「3月13日からマスクを着用しなくていい」という部分だけしか頭に入ってこないという都合のいい脳ミソの持ち主の多いこと。まあこれに限らず何回話しても、説明しても理解する気もない愚か者が世の中に多いことはCovid19に限らず頻繁に見るわけです。密な公共交通の中でノーマスクで咳込んでいたり、先日見かけた最悪のケースは、咳き込むときだけマスクを外すろいうテロリストであり、こういう「話も満足に聞かない、理解する気もない」というボーンヘッドが少なくない現状では、規制を徹底することが必要で、少々の馬鹿が出ても大丈夫なレベルまで統制することが最終的にあらゆる規制を除去する近道になります。

ちなみに季節性インフルエンザ並みの扱いに、といってますが、季節性インフルエンザで30年くらい前に起きた「悲劇」も無視していますね。これも都合のいいところだけしか聞かないという都合のいい脳ミソのなせる業でしょう。

あの時はメディアとトンデモがタッグを組んで反ワクチンを振りまき、学校での集団接種を廃止に追い込んだことで、児童生徒が家庭内感染源となりました。
超過死亡のピークがインフルエンザ流行期と重なるようになったのはこの時ですし、廃止後数年経って免疫が消えたころに大流行となり、乳幼児の脳症発症とそれによる死亡や後遺症が大きな問題になりました。この時点でメディアも反ワクチンも完全にだんまりを決め込み、リスクに晒された国民は自費扱いのワクチン接種をするという誰得の状況になって今に至っています。





またもや「不幸」に乗じた廃線なのか

2023-03-24 21:53:07 | 交通
さあこれ幸いと廃線に向かうのでしょうか。
芸備線の「全国最悪」の収支区間でもある東城-備後落合間に含まれる備後八幡-内名間で列車が線路上の石と接触して脱線しました。
運輸安全委員会の調査もあり、東城-備後落合間を当面の間運休としていますが、原因次第では落石等を防止する投資が出来ません、として廃線に向けた「運休」が続きそうです。

こういう不幸に乗じた人質作戦はさすがに「やり方が汚い」というか「卑劣」というしかなく、復旧させてから正々堂々と廃線を訴えるべきですが、過去全国で見られる「悪しき慣行」でもあり、予断を許しません。まあ例外として山田(山)線は長期間の運休を経て復旧しましたが(接続する岩泉線は災害による長期運休から廃線)、ただでさえ「お布施」が無いと動かないJR西日本ですから。

当該は日没後の列車ですが、そもそも法面の養生といった問題よりも、落石を発見する、列車を抑止するというごくごく当たり前の行動が出来ない事業者の問題です。要は「雨15」に代表されるような保線体制の問題であり、運転士が目視でチェックする、という前提での運行が夜間では当然ながら十分に機能しない、という当然の帰結です。

落石の原因を除去するために大規模な土木工事が必要でお金がありません、という前に、線路上の安全が確認できないので年間を通じて明るい時間帯しか走らせません、とでも言い出すかもしれませんね。西日本ですから冬場はそれこそ朝7時台でも薄暗いので、通勤通学時間帯の列車は取り止めです。そして誰も乗らなくなって廃線というストーリーすら考えられますし、あながちうがちすぎでもないでしょう。

そうそう、現状だって「雨15」などの異常な速度規制で所要時間が大幅に伸びているわけで、そういう競争力をさらに損なう施策で乗るわけないですからね。安楽死政策をとっているなかでの「アクシデント」です。北海道では利用者を増やしたら積み残して大惨事、ということもあったわけで、「ご利用ガー」といういつもの言い訳もまさに方便ですからね。一定の水準以下であれば利用が増えようが維持できません、と正面から申し出ないといけません。一方でそうした路線の維持に伴う赤字を織り込んでの債務負担や固定資産計上(減価償却費負担)というメリットも当然見直さないといけませんけどね。



帝国憲法にも劣る体制

2023-03-24 21:51:44 | 時事
首相のウクライナ電撃訪問で大統領に「しゃもじ」を送ったことが話題になっています。
広島出身の首相ならではの「お土産」ですが、「勝利」を祈念するという趣旨のようです。

これは実は微妙で、そもそも宮島名物となったのはご神木での作成で「福運」をもたらすという縁起物としてであり、決して「勝利」ではありません。
しゃもじが「勝利」の縁起物になったのは実は新しく、明治期に日清、日露の戦争で出征した兵士が「敵を召し取る」(飯とる)のダブルミーニングというかダジャレで奉納したのが起源とされており、両戦争で日本が勝利を納めたこともあり定着しましたが、その意味では「近隣諸国」のクレームも真っ青などストレートな戦争グッズでした。

勝利の縁起物という部分だけが残った格好でカープの応援グッズとして定着し、それを「勝利の縁起物」として送ったんでしょうが、もしそもそもの「戦勝祈念」の縁起物として送ったとしたらどうなんでしょうね。宮島さんも「戦勝祈念」をよしとしているのか。あるいは黒歴史として封印したいのか。被爆地として平和都市を謳う広島の名物としてそもそも微妙な立ち位置になるわけで、それを広義の縁起物ではなくもともとの意味である「戦勝祈念」の含みで戦争の一方当事者に送るというのは、宮島さんにとっても迷惑な話かもしれません。

なお日本の今回の行為、というか「テロとの戦い」もそうなんですが、事実上の参戦です。図らずも「しゃもじ」がそれを表した格好で、その意味では「戦勝」でなく「勝利」の祈念であっても一方当事者への支持として「中立」の枠を超えます。そして非殺傷兵器であろうと後方支援であろうと一方当事者への「軍事支援」であり、他方当事者からは「敵国」とされる可能性は高いです。

ところで米国も英国も(英国は慣習法)参戦、宣戦における議会承認が事前あるいは直後に求められることが確立していますが、戦争に関する法規が無い日本では明文規定がありません。ちなみに大日本帝国憲法では宣戦は天皇の大権ですが、憲法学では内閣の意思決定(国務大臣の輔弼)により天皇が宣戦するという仕立てが有力で(美濃部達吉もその解釈)、今回の「参戦」は閣議決定ですらないという意味では米英はもちろん、帝国憲法時代の我が国にも劣る体制ともいえます。



長子相続でないから就いた皇位なのに

2023-03-24 21:48:32 | 歴史
またぞろ皇位継承で「長子相続」への変更を主張する記事がネットに出てましたが、当たり前のように「長子相続=敬宮殿下」となっているのには恐怖を感じますね。秋篠宮殿下が皇位継承第1位で「皇嗣」となっていて、第2位が悠仁親王殿下なんですが、上位者の「誕生」ではなく法令改正で順位が変わるのですから。
昭和天皇即位時点で第1位は秩父宮でしたが、上皇陛下の誕生で順位が繰り下がりました。これは当然ですが、じゃあ現状はどうなのか。もちろん皇后陛下に男子が誕生すれば皇位継承第1位になりますから繰り下がりますが、それ以外での変更は現行ルールではあり得ませんし、歴史的な皇位継承でもあり得ません。


誕生による繰り下がりは可能性が極めて低いので、それが無い前提で話をするとして、「長子相続」に変更すると何が起きるのか。
敬宮殿下が第1位になるということは、現行ルール、いや、歴史的ルールで皇位継承権が上位の悠仁親王殿下(および秋篠宮殿下)が「繰り下がる」わけで、歴史的に見るとこれは「廃太子」に等しい行為です。
百歩譲って長子相続への変更が必要であっても、それは歴史的ルールでの継承が不可能になった段階での話です。その場合起点は悠仁親王殿下であり、悠仁親王殿下に男子があれば歴史的ルール通りの継承となり、女子しかいなければその女子への皇位継承をもって「ラストエンペラー」となり、その次の女系継承から「新王朝」になります。

すなわち悠仁親王殿下に男子が無いケースは、悠仁親王殿下の女子が第1位(複数いれば誕生順に1位、2位・・・となる)、悠仁親王殿下の姉である佳子内親王殿下が降嫁していなければ第2位となり、敬宮殿下は「従姉」ですから第3位です。
敬宮殿下の即位を前提としている議論はこの順序を歪めるわけで「廃太子」を目論んでいるわけです。これは世が世なら「ナントカの変」が起こりかねない事態ですし、いわんやそれを臣下が目論んでいるとしたら何たる不敬でしょうか。

これ、歴史的ルールからの「逸脱」ですが、それによる「新王朝」発足はもちろん、タイミング次第では現皇室の正当性にも疑いが出てきてしまいます。
歴史を紐解くと、歴史的ルールでの皇位継承権者の順序を変えることはありましたが、あくまで権利者同士の順位変更でしたが、これが今回は無権利者が権利者になるわけで、時の権力者による恣意的変更と見做し得る事態です。

実は現在の天皇陛下こそ長子相続ですが、上皇陛下には「姉」が4人いました。(1人は夭折)
しかも長姉は当時の宮家、今でいう「旧皇族」である東久邇宮家に「王妃」として嫁いでいます。もしこの時点で長子相続になっていたら皇位は東久邇宮系になっていたわけです。(昭和天皇は長子、大正天皇は事実上の長子だった)

そもそも現皇室の系統の始祖になる光格天皇は閑院宮家から即位したわけで、歴史的ルールに基づいて長子ではない皇位継承を繰り返してきて、今になって歴史的ルールでの継承権者を差し置いて長子継承の理屈が立つのか。そもそも変更タイミング次第では敬宮殿下(天皇陛下も)は「長子」ではなかったのですから。
政府はこれしかないと思っていると推測していますが、まさに「結論ありき」「つまみ食い」の論理であり、さらに言えば昨今具体的な名前が出て来た「馬の骨」候補の家系による「簒奪」が待ちきれなくなったのでしょう。



公共交通とは見做し難い

2023-03-23 20:54:29 | 交通
四国といえば、牟岐線の末端区間が「廃止」されてたんですね。もともと半分以上が高速バスと「共通化」されており、バス転換が妥当としか言いようがないのですが、通学需要対応とかがあるんでしょうか。それでも1両2両のレベルであれば常時バス転換の方がいい区間がありそうです。

末端区間は共通どころか阿佐海岸鉄道に移管されてDMV化となっていますが、こちらは満席の場合は乗れません、という予約制の乗り物になっており、輸送力、乗車券の購入スタイルといい公共交通ではなくなった感じですね。もともと海部までが牟岐線だったのですが、1駅手前の阿波海南までを移管しています。
モードチェンジをやりたかっただけです、というしかない感じで阿波海南文化村まで伸びていますが、こちらはまだマシな方で、高知県側はもともとの終点甲浦でモードチェンジを行った後R55側の海の駅東洋町に出るまでは理解できますが、そこから今来た方向に戻って道の駅宍喰温泉を終点にしています。

これでは全線通しで乗る意味が全くないわけで、世界初の交通機関というアトラクションです。
土休日は1往復室戸岬方面まで往復しますが、観光タイプのバス1台の定員の半分程度しか乗れないわけで、片道ツアーというしかない運行です。
そもそも高知東部交通と徳島バス南部の路線があるわけで、阿波海南文化村(海南病院)や宍喰駅前も含めて全線カバーされています。しかも牟岐-東洋町、甲浦岸壁-室戸という系統ですから流動にも即しており、甲浦と阿波海南で乗り換えが必要なDMVって何?となっていますね。DMVという乗り物のショーウィンドー以上のものでもないのですが、それを地元負担でする意義はどこにあるんでしょうか。路線バスですら地元が支えていかないといけないのに。

一方でJR四国は鉄道線と並行するローカルバスの時刻表をまとめて掲示して公共交通としての維持を前面に押し出しています。
牟岐線では阿南ー浅川間の一部駅間相互で高速バスとの乗車券共通利用サービスも開始しており、今後これがローカルバスとの並行区間でも進むことが期待されます。そして牟岐線に関しては海の駅東洋町までのバス時刻を出していますが、DMVは出ていません。まあある意味当然とはいえ、ローカル鉄道と路線バスがタッグを組む中で無視される(戦力外)のDMVはいったい何なのか。「税金で電車ごっこ」どころじゃない感じです。

まあ牟岐線は運行形態、さらには著名な岬に向かう途中まで、というスタイルまでJR北海道の日高線(区間廃止前)と似ていますが、日高線は昔から時刻表にJRバス日勝本線を併記したりして一体化を意識していましたが、廃止に伴い幹線バス(高速バス)と路線バスを組み合わせた対応になっています。このやり方は沿線に高規格道が並行する留萌線の今回の大部分廃止でも踏襲されていますが、牟岐線も遠からずこの道を歩むのでしょうね。徳島口ですら1連、2連という輸送量ですから、阿南以南を鉄道で維持する意味合いがどのくらいあるのか。バス会社に体力があるうちに決断すべきでしょうし、その意味では支える側の自治体も「お遊び」に限られた資金を垂れ流すことは許されないでしょう。