3月13日にはノーベル文学賞受賞者の大江健三郎氏の訃報もありました。
氏はどちらかというと難解でとっつきにくい作品が目立ちましたし、思想信条では毀誉褒貶激しかったのですが、文学者として超一流だったことは間違いありません。正反対の政治スタンスですが、石原慎太郎氏も文学者としては政治家としての評価とは別次元でしたし。
その蓋棺録となるべき文章をいろいろ見ますが、やはり国士様系の劣化が目立ちます。
もちろん氏の政治的スタンスは「戦後民主主義」の権化であり、平和への姿勢ですら戦前生まれの保守政治家のそれが持つ経験に裏打ちされたリアリズムに溢れるものとは程遠かったです。しかしながらそれで文学者としての氏の評価を左右することはあり得ないですし、いわんや否定する理由にはなりません。
まあ氏の文学が難解であったということもありますが、作品を読まずに露出度の高い政治的主張だけで評価していることがバレバレのケースが目立ちます。難解だからと読まない正当化をしている向きもありますが、であれば政治的主張だけを取り上げて本業を無視した評価はお引き取り願うしかありませんが。
前世紀、平成初期までは保守系の評論家やメディアであっても革新系、左派思想を持つ文化人に対してその本業ではリスペクトを隠しませんでしたよね。古くは小林多喜二、戦争を挟んでは宮本百合子でしょうか、その作品が「プロレタリア文学」のジャンルであってもその思想を持って否定するようなことはしていませんでした。(プロレタリア文学そのものを文学ではないと否定する剛の者はいましたが)
その意味でも保守の劣化は深度化していますね。
氏はどちらかというと難解でとっつきにくい作品が目立ちましたし、思想信条では毀誉褒貶激しかったのですが、文学者として超一流だったことは間違いありません。正反対の政治スタンスですが、石原慎太郎氏も文学者としては政治家としての評価とは別次元でしたし。
その蓋棺録となるべき文章をいろいろ見ますが、やはり国士様系の劣化が目立ちます。
もちろん氏の政治的スタンスは「戦後民主主義」の権化であり、平和への姿勢ですら戦前生まれの保守政治家のそれが持つ経験に裏打ちされたリアリズムに溢れるものとは程遠かったです。しかしながらそれで文学者としての氏の評価を左右することはあり得ないですし、いわんや否定する理由にはなりません。
まあ氏の文学が難解であったということもありますが、作品を読まずに露出度の高い政治的主張だけで評価していることがバレバレのケースが目立ちます。難解だからと読まない正当化をしている向きもありますが、であれば政治的主張だけを取り上げて本業を無視した評価はお引き取り願うしかありませんが。
前世紀、平成初期までは保守系の評論家やメディアであっても革新系、左派思想を持つ文化人に対してその本業ではリスペクトを隠しませんでしたよね。古くは小林多喜二、戦争を挟んでは宮本百合子でしょうか、その作品が「プロレタリア文学」のジャンルであってもその思想を持って否定するようなことはしていませんでした。(プロレタリア文学そのものを文学ではないと否定する剛の者はいましたが)
その意味でも保守の劣化は深度化していますね。