Straphangers’ Room2022

旧Straphangers' Eyeや習志野原の掲示板の管理人の書きなぐりです

四国に特別警報が出なかったのは

2014-08-10 01:07:00 | ノンジャンル
台風11号は日本海に抜けましたが、近畿地方を縦断している様子をニュースで見ていたら、突然の、そして久しぶりの緊急地震速報に驚きました。
震度5弱を観測する強い地震でしたが、幸い大きな被害もなかったようですが、何もこんな時に、という地震です。

さて台風の方は動きが遅いこともあり、同じエリアで雨が続くというひどい状況でした。
そして台風本体の雨雲もさることながら、台風に刺激を受けた格好の遠くの雨雲が活発化して豪雨となるケースもありました。

九州を通過した台風12号では、四国南部で周辺部の雨雲による豪雨となったわけですが、今回も結構な雨になっています。

ところが今回発令された「特別警報」は対象が三重県でした。
確かに紀伊半島中南部の雨量も多かったですが、なぜあれほどの降雨となった四国、特に高知県と徳島県に発令が無かったのか。

台風12号と合わせると、1000mmをはるかに超える大雨であり、明らかに異常事態でしたが、発令はされませんでした。

三重県に発令、というニュースを聞いてまず思ったのが、高知県や徳島県はあれだけの豪雨でも「特別警報」の対象にはならないという結論であり、以前の大島豪雨の時と同様に、「特別警報」への信頼度を下げた格好です。


便乗叩きというかブーメラン

2014-08-10 00:55:00 | ノンジャンル
いわゆる従軍慰安婦問題で、朝日新聞が「軌道修正」をしました。
まあ30年来の話でようやく誤りを認めた、とはいえ、論拠の多くを事実上撤回し、今後は違う切り口で批判していく、と言わしめたのは大きいと言えます。

その事実上の敗北宣言に勢いを得たのが産経などの保守派ですが、ドサクサに紛れて朝日叩きにいそしむ勢力も目立ちます。
その典型が大阪市長で、自分の拙い発言で混乱を招いたことを棚に上げて、自分の問題提起が云々、とはよくぞ言ったもんです。

今回の朝日の「軌道修正」で特に不評だったのは、「慰安婦狩り」の「誤報」について、産経など他紙も取り上げていた、という言い逃れで、「他所もやってたんだから」という言い訳は見苦しい、と批判が集中しています。

その伝で言うと、大阪市長のあの慰安婦「発言」はどうだったか。
要は「他国もやってたんだから」という大阪のオバチャン論理ですが、今回の朝日の言い逃れと同じ手法なんですよね。朝日をここぞと叩くのもかまいませんが、叩いている対象が自分の姿見のような状況に気がついているのでしょうか。

69回目の原爆忌

2014-08-06 23:37:00 | 時事
広島は69回目の原爆忌を迎えました。
43年ぶりとなった雨中の式典。予定稿だったのか平和宣言で炎天下を想定した表現があったのは何でしたが。

今年の平和宣言では集団的自衛権への言及があると言う声があり、左翼のシンパ系メディアが期待してようですが、言及はありませんでした。
左翼系メディアはよほど悔しかったのか、言及がなかった、とわざわざ見出しを立てていましたが。そもそも原爆忌に別の話題を持ち込んで抱き込む姿勢が不純であり、被爆者や犠牲者をダシにしているようで不愉快です。

その平和宣言ですが、絶対悪としての核兵器に対する批判を軸に、当時の記憶に耳を傾けて欲しい、という切実な思いが、生々しい証言を語ることで伝わってきました。

どうしても政治的産物にならざるを得ないとはいえ、こういう「事実をきちんと伝えていく」という基本に立ち返った平和宣言は重みがあります。そして左翼系メディアの想いとは逆に、いろいろと取れるとはいえ、ある意味左翼系のお花畑的、自虐的発想とは一線を画した表現に感じました。

厳しさを増す安全保障体制と言う表現は、言及すると言われていた集団的自衛権を肯定すると言う受け止め方も可能であり、未来志向という表現も、過去にこだわり関係改善に背を向ける中国、韓国への牽制とも取れる面があるわけで、それを基調にしてなお平和と核兵器廃絶を追及していく、という姿勢は、うすら甘い「平和主義」にはない重みがあります。

原爆投下から来年で70年。あの日のことを直接聴くことが出来なくなる日が近づいている中で、イデオロギーで粉飾されたものではない、真実をどう伝えていくのか。残された我々の課題と言えます。



唐突な検証が開く扉

2014-08-06 23:33:00 | 時事
朝日新聞が唐突に掲載した従軍慰安婦の検証記事ですが、これまで朝日の報道内容を批判してきた勢力の中でも、一定の評価をする動きと、見せ鰍ッだけとする動きに分かれています。

まあ一読して感じたのは、秦郁彦氏の「一勝一敗を狙った」と言う評価が妥当であると言うこと。
捏造と証明されている「慰安婦狩り」証言の記事で譲るが、他では譲らない。もともと勝ち目が無い部分、決着がついている部分で譲ってるから、足下の影響はない、というところでしょうか。

ただ全体的に言える事は、今後は論点をすりかえます、ということでしょうね。
人権問題にシフトすると明言することで、軍の関与や強制連行と言った論点を超越して考えるべき、としていますから。

これは巧妙な手口で、批判してきた勢力も、「慰安所」があり「慰安婦」がいたと言うことまでは否定していませんから、そこでの境遇を殊更に論う事で、日本(政府にとどまらない日本全体をターゲットにしている)は極悪非道、と言う流れに持ち込もうとしています。

あの当時は公娼制度があり、女性が「商品」になっていたと言う、今の価値観で見たら許されない話ですが、それで過去を裁くというわけです。ならば公娼制度全体を批判するのならまだ筋も通りますが、なぜか外地の、植民地出身の女性だけをターゲットにして論じるのですから、為にする議論です。

まあそうしないと全面敗北、となるからでしょうね。
「慰安婦狩り」の記事を取り消し、戦時徴用としての挺身隊と混同を図った部分も否定したわけです。
あまり今回の記事で指摘している人がいませんが、軍関与についての部分も、その真否ではなく、記事化したのは政治的意図があるタイミングではない、という結論にスライドしており、ここでも「広い意味では」と言う苦しい言い訳に終始しているように、論拠が半ば崩れています。

そうなると「従軍慰安婦」とは何か、と言う話になるわけで、「慰安婦狩り」は無かった、挺身隊として強制的に集めてもいない、軍関与も軍が自ら管理売春に手を染める、と言うレベルではなく、出入り業者の管理程度の関与でしかない、となると、売春が合法で公娼制度があった当時、戦地で軍隊相手に営業を行った売春業者、という話になってしまうのです。

苦界に身を置く女性たちの悲惨な境遇は同情すべきところが大きいですが、それは公娼制度の問題であり、それを温存してきたことに限定して批判することは可能ですが、一方で絶対悪とまでは言い切れなかった時代であり、当時の政府の施策をなで斬りに批判することはできません。

もともと「慰安婦」は日本人のほうが多かったわけで、なぜ特定の国の女性だけが悲劇のヒロインのようになるのか、と言う批判があったわけです。それを正当化してきたのが、植民地の女性を国家が強制的に、というもはや朝日新聞ですら依拠できない「虚構」となると、特定の被害者だけに厚巻きに対応するように求められた、他の被害者が軽んじられてきた、という新たな論点が発生します。

なぜ政府はそういう「差別的待遇」を許したのか。これはまさにパンドラの箱であり、それを開けるように至ったのが、「特定の被害者」が所属する国家等の執拗な行動というのは、なんとも皮肉な話です。



山手線の信頼度

2014-08-04 23:55:00 | 交通
前に最終バス連絡の電車が勝手に時間調整をして遅れた話をしましたが、運転間隔の調整がダイヤ回復の特効薬のように扱われているのは一理ある反面、電車に対する信頼性を実は下げています。

あまりダイヤを意識しない山手線がその典型なのですが、どこかで何かあると運転間隔が乱れるため、時間調整をかけて所定に戻していきます。それは確かに有効ですが、時間調整が入ることで所要時間がばらつくのです。

10分強で走る区間が5分余計にかかる、と言うのもザラですが、そうなると他線連絡の客にとっては5分もずれると言うのでは時間が読めません。

最近駅ではドアが閉まります、と言った後に「次の電車をご利用下さい」と放送が入りますが、確かに山手線だけを利用する分には「次」でもいいのですが、多くの乗客は乗り継ぎ先があるわけです。
それも近郊電車ではなく、新幹線や特急と言った長距離電車であることも少なくなく、ここで時間が読めない、ロスが発生する、と言うのはかないません。

悪いことに、山手線の時間の読めなさは随一であり、だからこそ余計に今いる電車に駆け込もうとするインセンティブが働きます。
だいたい、乗ったとしても、いつどこで時間調整がかかるか分からないわけですし、もともと山手線は何時何分発、と意識していないだけに、いつ来るか、と言う段階で不確定さがあるわけです。そこに所要時間も不確定、ときます。

「次の電車をご利用下さい」と言うアナウンスや、山手線なんかすぐ来るのに、という批判は、実は山手線こそそこにリスクが存在する部分であり、利用実態を見ない議論です。