Straphangers’ Room2022

旧Straphangers' Eyeや習志野原の掲示板の管理人の書きなぐりです

なぜに座席指定制

2014-06-26 21:24:00 | 交通
近鉄バスの京都八尾線が7月1日から座席指定制になります。
もともとあんな近距離高速バスで予約制を導入したこと自体が驚きですが、座席指定とは更に驚きです。

このレベルの距離だと、前もって予定を決めて、というよりも、当日の思いつきでしょうし、前もって決めていても時間までは決めていないのが普通でしょう。
それに予約制を導入するばかりか、座席指定制とはどういうニーズがあっての話なのか。経営判断が気になります。

それでも多くの高速バスのように、始発ターミナルのカウンターでチケットを購入し、その際に座席が指定される、というのならまだ分かります。1ヶ月前から予約を受けていても、実際に埋まるのは発車直前、という路線も少なくありません。

ところがこの路線はそういう発券方法を取らず、前日の18時で予約を締め切るのです。(7月からは19時に「延長」される)
こうなると当日往復分を予約したくても対応できないわけで、なんとも中途半端です。

何回か試乗してみても、予約乗車は極めて少ないです。一方で何とか予約発券に誘導したい理由として垣間見えるのが、この路線、車両に運賃箱が無いのです。
片道大人900円の運賃ですが、運転手も心得ており、100均で売ってるようなプラケースに100円玉を入れており、1000円札を握り締めて乗ってくる乗客からお札を受け取り、100円玉を返す、という繰り返しです。

現金客が多いのか、近鉄八尾駅では首からがま口を提げた案内員がバス停に立ち(2人も)、誘導と発券をしているわけで、よほど予約制が定着していないとしか思えない状況での座席指定制といえます。
それでも八尾駅のような対応を久宝寺駅、京都駅で取ればまだしも、それがなく、運転手に手渡し、というやり方ですから、更に不明です。

で、座席指定制ですが、どういうメリット、需要があるのか。強いて言えば近鉄八尾駅から乗車する際に、久宝寺駅発の乗客が思い思いに座ってしまい、2人並びやグループでの着席が出来ない、という場面しか座席指定が有効に働くケースが見えません。
でも現状は久宝寺駅からでそんなに混んでいるのかというとあまり考えられないわけで、逆にガラガラなのに妙な配置で固まって指定されてしまう、という弊害すら予想されます。

だいたい、久宝寺駅から無予約で乗車した際、どの席が近鉄八尾駅で埋まるのか、という情報が無いと安心して座っていられないわけで、「スワローサービス」のような中途半端さが見えますが、それとも座席指定エリアを前何列か、というように決めて、「指定席」とでも札を出したりシートカバーに印字するのでしょうか。それだと分かりやすいですが、指定したばっかりに固められて窮屈、というリスクが高まります。

ついでに言うと、経路もなんか無駄が多いというか、八尾ICから近畿道、第二京阪、阪高京都線のコースですが、久宝寺駅南口から近畿道に並行する中央環状線(r2)に出た後、北口を指呼の間に臨むエリアを通過して、旧r2などで近鉄八尾駅に至り、さらにいったんしばし戻ってからr2に至り、八尾ICへ、という行程は、近鉄八尾、JR久宝寺の両方の需要を狙ったとはいえ、r2の同じようなところから1往復半する印象です。


賛美の影に潜む懸念と看過

2014-06-26 20:27:00 | 交通
いったん国内線市場から撤退したエアアジアの再進出にあたり、楽天が出資するというニュースが流れました。ネット販売の雄の参入で、LCC戦線のさらなる激化、過激化が予想され、消費者の中には一層の「格安化」を期待する声も少なくありません。

ちなみに日本の航空法では外資規制があるため、エアアジアの出資比率は1/3が上限となり、楽天もメジャーを握るわけがないので同じく1/3が上限となるでしょう。残る1/3は国内ファンドなどに頼るのでしょうが、レガシーキャリアの系列の既存LCCと違い、レガシーと棲み分けを考えない競合路線を採用したら、レガシーと対立するスカイマークへの扱いと同様に、レガシーと懇ろなメディアが叩くのが目に見えています。

まあ、楽天はプロ球団参入の時のようにそのあたりの「根回し」に長けていますから、そうした心配はないでしょう。いや、それどころか、本業のネットショッピングで「オトリ価格」問題など様々な問題を引き起こしながら、メディアは通り一遍の報道しかしないあたり、すでに既存LCCよりも懇ろなのかもしれません。

そういう視点で見たとき、レガシー系列で提灯記事かと見まごう持ち上げ方が目に付くメディアのLCC報道がさらに昂じる懸念があるわけですが、そういうメディアの対応の影に隠れたLCC各社の「インシデント」を見ると、相当深刻な懸念をせざるを得ません。
というか、例えばスカイマークがやらかしたのなら運行停止に追い込む勢いで叩くであろう内容を「黙殺」とまではさすがに言いませんがベタ記事とか本質をぼかした報道で済ませる状況は、ダブルスタンダードというレベルを超えた「事故隠しへの加担」とも言える状況です。

社内基準に照らすと無資格の「整備士」の問題や、検査漏れなど安全の根幹の整備にかかわる問題を引き起こしている会社もあれば、複数社で機長の確保ができずに予定の便が飛ばせずに欠航するという事態を引き起こしたわけです。後者にしても、機長の人繰りが綱渡りでは、不慣れな機長の操縦だったり、ひょっとしたら基準を逸脱した乗務を行う可能性すら出てくるわけで、決して安心は出来ません。

そもそもピーチが就航早々にアームドモードでドアを開けてしまい、機構上は「不時着」となりエアシューターを作動させたように、「お初」だからと許されない安全、保安に関するミスやトラブルの発生が多すぎます。

先日も今回再進出するエアアジアを引き取ったバニラエアが、成田発台湾行きの便で現地悪天候で着陸待ちをする燃料が足らず、宮古島に引き返したという事故がありましたが、これも冷静に考えたら国際線航空機が「燃料切れ」(カラにならなくとも所定の残量を割ったら「燃料切れ」ですよ)を起こしたという航空創成期ならいざしらず、という事故ですが、メディアはマトモに取り上げず、搭乗していた人が発信したSNSで拡散した、というのは、LCCのリスク意識もさることながら、メディアの意識も強く問われる事態です。

こういう状況で再進出するエアアジアと手を組むのが楽天というところに、懸念を感じないわけにはいきません。メディア対策の影で、トラブル対応を筆頭に、売り物(「市場」の出店者、出店物)の管理など、消費者の批判が強い企業が、そのカラーをLCCで発揮した際に何が起こるのか。

経済紙誌や経済界が「マーケット」といえば博打紛いの取引でも立派な商品だと持て囃すように、「LCC」といえば少々の、いや、多少の不都合は利用者が甘受すべき、とメディアが刷り込んでいますが、上記で航空法の支配下にある、と書いたように、LCCだろうがレガシーだろうが、「公共交通」としての航空会社なのです。

「高速ツアーバス」において、(実際に悲惨な事故が発生していますが)安全を盾にして業界秩序に反する新興勢力を強制排除したのに対し、LCCにおいては、安全や保全面で相当な問題が発生し、あとは現実の事故が発生するだけ、というようなハインリッヒの法則なら29件の事故が発生したような状況でも、LCCのカテゴリーと独自の施策を容認するのも不思議なものです。

高速ツアーバスの問題やその後の貸切バス業界を巡る問題では、安ければいい、という考え方から消費者も脱却すべきだ、と主張する人も少なくないですが、ならばLCCについても同じ主張が成立するはずですが、そういう声は聞こえませんし、逆にLCCの「ローコスト」を享受、賛美する声が聞こえてきます。

スマホやキャスター付バッグの「迷惑」のように、自分にかかわるジャンルにおいては、自分を犠牲にしてまで正論を通さないことと相似形なのかもしれませんが、それが自分の議論のクオリティを下げかねないリスクだけは認識したほうがいいでしょう。


餌付けが招いた共存出来ない状況

2014-06-25 23:51:00 | ノンジャンル
神戸でイノシシの被害が相次いでいます。
確かにここ数年、それまでイノシシと「共存」していたハイキングコースなどでの被害が相次いでおり、共存関係が崩れかけてきたことは確かです。このあたりはイノシシが完全に「野獣」でなくなり、残飯や人間の食べ物を主食とするようになり、エサを獲得するために人間とコンタクトを繰り返すようになったと言うことであり、イノシシへの餌付けをしている人たちがイノシシを「壊して」しまったといえます。

一方で報道ではあたかもイノシシが住宅街を闊歩しているようになっていますが、今回被害が相次いでいる地域は「住宅街」とはいいながら、「山」の一部でもあるのです。
24日に女子中学生が襲われ、取材に来たTV局クルーが大怪我を負った現場も、「新神戸駅近くの住宅街」と書かれていますが、「葺合町蝉山」という住所が示す通り、住居表示地区を外れた「山」の一部を開発したエリアです。

先週被害が相次いだ岡本も、「岡本町○○」という住居表示地区外ではないですが、六甲山の前衛が迫り、あと少しで「山」になるエリアでの被害です。
イノシシにとって見れば、「山」のエリアの延長線と言える場所であれこれ言われても、というところですし、人間の食べ物の味を覚えさせたのも、結局は人間であり、イノシシの居住エリアに近いところの住民でしょう。

10年位前の「共存」時代の状況にとどめていれば、たまに襲うケースはあっても基本的にはお互いすれ違う、と言うような状態で済んでいたのです。
それが悪い方向に進んでしまった現在、更に昂じると人間がイノシシを大規模に駆除するような方向もありえるわけで、本人が良かれと思ってやった餌付けが、結果としてイノシシの居場所どころか命まで奪う結果になりそうです。



迂闊な行為に隠れた我侭

2014-06-25 23:50:00 | 時事
都議会の「セクハラ野次」はようやく本人が名乗り出ましたが、他にもいる、と矛を収める気配がありません。確かに名乗り出た本人も報道されている他の野次は否定しており、1人をスケープゴートにした幕引きはある意味卑怯です。

ただ気になるのは、この人の野次は議会の映像でもきちんとキャッチされていたわけですが、他にもある、というのに他の野次がメディアに出てこないのはなんででしょうか。
ネットでは「他の野次」の存在を疑う声も出ているようですが、そういう疑念を払拭するためにも「他の野次」のシーンを明らかにすべきでしょう。

まあこの議員はあまりにもヘタレというか、しらばっくれて、逃げられないと悟ると一転してしどろもどろの弁明と言う恥の上塗り、重ね塗りです。
もちろん「他の野次」はしていないと言う前提であれば、いちばんマシな「野次」なのに一緒くたにされたくないし、メディアによる魔女狩りに遭うのを恐れていた、という「好意的解釈」も可能ですが、それにしても「嘘」はいけません。

さて、今回の問題で真の問題点は、「結婚」「出産」をしない女性に対する「批判」が封殺されてしまいかねない状況になったことです。
ジェンダーだなんだと言っても、男性は出産できません。そして結婚と切り離して出産を考えることは、両親による子供の養育の責任の問題になるわけで、事実婚レベルでもいいから「家庭」を築いて子育てをする、と言う前提がある事が望ましいのです。

それに対して、結婚しない、出産しない、と言う女性はどうなのか。
「生物」として子孫を残すと言うのは「義務」とも言える話ですが、それを果たさない自由が果たしてあるのか。それでもこうした批判に対し、経済的理由や身体的理由で結婚できない、出産できない人を盾にして批判はケシカラン、といってきたのが、今回のヘタレ議員のせいで批判そのものが「悪」となろうとしています。

奇しくも政府が発表した少子化白書では、結婚に対する男女の意識差が浮き彫りになったわけです。男性は経済的事情を挙げる人がメジャーだったのに対し、女性は「自由や気楽さがなくなる」ことを嫌がって結婚をしない、というのです。

これは本来厳しく批判されるべき話であり、自分の快楽優先で子孫を残すと言う「義務」につながる「結婚」を否定する事が許されるのかどうか。本来はそこの「意識改革」をしないといけない話です。すなわち、身体的事情などの「やむをえない」人たちを前面に押し出して、自分たちは「義務」を逃れて自由に気楽にやっている、ということですから。

世代間扶養である年金制度もそうですし、そもそも社会そのものが「次の世代」を育てないと持続できません。そして「次の世代」に頼らないと人生が全うできないのに、次の世代を育てずに「誰かが生むからいいや」という「押し付け」をしているのです。

そういう意味では少子化対策を重視している、という議員が未婚の議員に対して「早く結婚」というのは、厳しく言えば当然の話です。仕事を続けながら出産、育児を出来る環境を整えるのは立法府と行政府の責任であり、議員が率先してそういうライフスタイルを示すべきです。
男性の多くが考えている経済的事情も、議員という立場ならどうか。もちろん選挙で落選したらただの無職と言うリスクがあると言えばそれまでとはいえ、非正規雇用で結婚など考えられない、と言う階層から見たら贅沢な悩みです。

今回の「野次」の問題も、正面から向き合っての批判としての野次であれば正論であり、「他の野次」とは一線を画せたのに、そうはならなかったところがその議員の底の浅さでしょう。
そして迂闊な行為が、本来厳しく批判されるべき「義務逃れ」をさらに守ってしまったのです。


厳しい現実と勘違い

2014-06-25 23:47:00 | ノンジャンル
奇跡に手が届きかけた、というところでしょうか。お膳立ては総て整ったのに、大前提となる「勝利」がならず、決勝トーナメント進出を逃しました。
勝利が前提で、かつ、という虫がいい条件だったのに、その前提がクリアされてきたわけです。そして前半終了間際に同点に追いつき、まさか、ひょっとして、と夢が膨らんだのですが、まさに夢と消えました。

攻めているように見えて、カウンターを食らうとあっという間に縦パスが通ってピンチを迎える。そして後半は立て続けに、というのを見ると、彼我の違いの大きさを痛感します。
苦労して持ち込んでも隙がない、これは今大会で何回見たことか。ようやくシュートを放っても、枠を捕えるどころか、と言う有り様です。

これが相手のプレッシャーであれば、見た目ほどチャンスではない、というわけですし、こっちの正確性の問題であれば、細かい部分の能力差が決定的な差になるということです。

コートジボアール戦では相手の主戦が出た途端に浮き足立って失点を重ねましたが、日本代表は欧州のプロチームで活躍する選手が「格の違い」を見せつけられないあたり、メディアが活躍と喧伝する彼らの「真の実力」はどうなんだろう、とも思います。

終わってみれば0勝2敗1分のリーグ4位。最下位です。
これが現実としか言いようがありません。プロは結果が総てです。


さて、日本代表の試合ですからまあ今朝の中継は仕方がないというより当然ですが、試合終了が6時50分頃で、ならば7時までにまとめて7時からは朝のニュース、と思いきや、ニュースになっても試合の模様を流すのはどうなんでしょう。

日本人は総てサッカーファンではありません。平日朝のニュースが事実上スキップで出勤と言うのもひどい話です。PVを早朝から見て出社とか、勝ったら社休日、というようなのんきな会社をメディアが取り上げていますが、本来は「平日の朝からお前らアホか」「趣味で仕事に支障するようだったら話にならない」と苦言を呈するのが相当な事例です。

まあそれでも日本代表が出るのだから、という心情は理解できますし、そこまで野暮は言いませんが、話にならないのは24日の朝でしょう。
NHKとCX系がブラジル戦を延々と流し、ニュースが始まったのは事実上7時です。選挙シーズンに選挙区でもない都道府県や地方議会の政見放送を流されるのも困りますが、政見放送は法定の広報手段ですら仕方がないのに対し、サッカー、しかも日本代表ではなくブラジルのグループリーグの試合を延々と流す意味はどこにあるのか。
何か勘違いをしているとしか言いようがない状態でしょう。