Straphangers’ Room2022

旧Straphangers' Eyeや習志野原の掲示板の管理人の書きなぐりです

一幕見で全体を語られても

2012-07-28 11:19:00 | 時事
まあ大阪市長の悪あがきと言うか、無知と言うか、まだツィッターあたりで「俺は正しい」と言って恥の上塗りをしてますね。

件の鑑賞は「夏休み文楽特別公演」となっており、3部構成で6作11段(+解説コーナー)からなっています。

第1部は親子劇場として子供にも楽しめる西遊記などに、「ぶんらくってなあに」と言う解説コーナー。第2部は古典名作コーナー、そして第3部は例の曾根崎心中です。

要は、当日のプログラムをきちんと見ていれば、古典、新作とバランスよく公演していることは分かるわけで、古典のご存じ物の部だけを見て口走るから恥をかくのです。

曾根崎心中が1955年の脚本だから伝統ではない、と言うのも噴飯で、そもそも曾根崎心中が近松によって書かれた後、上演はしましたが幕府の心中物への弾圧で上演が禁止されたんですよ。
明治維新で幕府の禁令は解けましたが、大阪と言う街の性格変化で、労働者の街になり、吉本のような刹那的で単純な笑いが席巻するようになったうえに、戦争が近付くと心中物を復活させる機運も無くなるわけです。

1955年に書かれたというのは、公式には弾圧後の復活公演と言う経緯があるんですが、それが分かっていない。明治維新からこうした作品が復活できる機運がたかまるまでここまでかかったんですよ。

ここまでひどい状況であれば、文楽を何も大阪に置く必要はないでしょう。
大阪の文化ではありますが、日本の文化として保存するのであれば、大阪に置くことはもはや許されません。より大衆性の強い落語ですら定席の復活がここ10年程度という「文化レベル」だからこそ、「パトロン」が無知で無茶を言うし、協会も補助金頼みが定着するんでしょう。


言えば言うほど恥をかく典型

2012-07-27 00:33:00 | 時事
いやいや、文楽に対する大阪市長の理解と言うものはこの程度か、と底の浅さを露呈した格好です。
文楽協会への補助金問題で、文楽に対する理解が無いと言う批判に対し、いや、文楽は大切だが協会が悪いんだ、と支持者(信者?)から反論がなされているわけですが、26日に国立文楽劇場で市長が4年ぶり(!)に鑑賞したコメントがこれです。

「守るべき古典券\だとはよく分かったが、ラストシーンでグッと来るものがなかった。」(読売)
「古典として守るべき撃セということは分かったが、ラストシーンがあっさりしていて物足りない。演出不足だ。昔の脚本をかたくなに守らないといけないのか」(毎日)

4年前というから府知事就任直後でしょう、その初鑑賞後に「二度と見ない」としていたそうで、それ以来の鑑賞ですから、要は「見もしないで批判してきた」のと一緒なうえに、今回は人間国宝の猪{源大夫による「曽根崎心中」という、まあはっきり言ってしまえば「ご存知物」です、初心者、素人にも分かるというか、文楽の入門でしょう。それを人間国宝に演じさせてのコメントがこれです。

まあ近松原作とはいえ、江戸期の演出そのままではなく、1955年の脚本ですから、それなりに時代に即したアレンジがなされていますが、歌舞伎の曽根崎心中のようにある程度の新解釈を入れるのではなく、あくまで「復活」ですし、「古典」が「古典」たる所以は基本が変わっていないということです。時代に迎合?して「グッとくる」のもいいですが、それはあくまで「新作」です。もちろん「新作」もバランスよく作ればベストですが、歌舞伎や落語などの伝統券\と違い、文楽は興業としては事実上難しく、文化財として伝統を守るのが限界です。

そういう現状を理解しないで、無茶を言うのは結局現状把握が出来ていない、そして「古典」がわかっていないのです。
そもそも古典の演目を見に行って、演出が古い、と言うコメントは無知も甚だしいです。

落語だってやはりアレンジを加えれば新作、改作として古典とは区別をします。今月のANA機内で流れている落語は立川志の輔ですが、古典落語の「しじみ売り」をアレンジしたことで「新版」を名乗っています。舞台回しは古典のままですが、オチ(サゲ)の部分のシチュエーションを少し変えた「だけ」でも「新版」と断るのが古典への礼儀です。

一方で大阪市長は古典の「曽根崎心中」を見て、古典の演出にケチをつけているわけです。
もちろん志の輔が「しじみ売り」を「新版」にしたのは、古典版でのシチュエーションがおかしい、という確固たる理由があっての話で、そういう視点での批判ならわかりますが、こちらはそんな「批評」ではなく、現代に迎合せよといってるようなものですから。

さらに、人形遣いの顔が見えているのを批判するに至っては...
幼稚園児相手の「人形劇」と勘違いしているのでしょうね。確かに「主遣い」が黒子でなく裃姿で顔を出すのは明治末期になってからですが、それだって「時代の要請」なんですよ。文楽のファンはそれを望み、受け入れられたということ。時代を取り入れる必要があるというのなら、主遣いの顔見せは肯定しないと筋が通らない。

何か一言言わないと「負け」だからと、主遣いの顔出しは伝統じゃないと聞きかじって批判してみたんでしょうが、そもそも人形遣いの技が見どころの一つなんですよ。筋立てだけなら多くの演目がトランスファーされた歌舞伎でもいいんですし。
歌舞伎だって團十郎や海老蔵、勘三郎を見に行くんであって、演じる役を見にいくことは少ないでしょう。

言えば言うほど恥をかく典型ですね。それにしてもャsュリズムに支えられた人気政治家というのは我が国の伝統文化に対する理解が斯くも無いというのはどうしてなんでしょうね。
かの小泉元首相が首相時代に宮中の新嘗祭に陪席した際、暗闇の中での神事というのに、「暗い、電気をつけろ」という趣獅フ発言をしたそうですが、文楽に対する大阪市長の態度もそれに類するものでしょう。



バスとローカル線

2012-07-26 00:09:00 | 交通
先週末、東西でローカル線のバス活用について明らかになりました。

まずは震災で甚大な被害を受けた気仙沼線のBRTによる「仮復旧」ですが、南三陸町(志津川)の町の中心部が移転したベイサイドアリーナへの停留所新設と、津波と火災で壊滅した南気仙沼に相当する停留所を県道(旧国道)沿いの市立病院入口へ移転する以外は、鉄道代行として既存駅に停車する格好です。


(ベイサイドアリーナバス停)

専用線区間は陸前階上″ナ知間の2.1kmからスタートですが、「BRT」を名乗るのは年末のようで、その際に増発等の高度化も行われますが、8月20日の運行開始時点でも柳津℃u津川で1.5倍、志津川°C仙沼で2倍の増発となっているのが特徴です。

現在のミヤコーバスによる代行は8月19日までで、20日からは本吉以北で路線バスと並存する震災前と同じ形態になりますが、このあたりは「鉄道代行」の建前はあるにしろ、もう少し柔軟な対応はとれないのか。


(本吉駅にて)

特に本吉以南では、ベイサイドアリーナ以外の新設停留所はないわけで、例えば津波の被害を受けなかった南三陸町荒町地区といった、ミヤコーバスは客扱いをしていた地区はどうなるのか。津波で壊滅的被害を受けただけに、街(駅)がない高台集落にこそ移動需要があり、実際、荒町地区からは志津川への通学需要もあるだけに、BRTは素通りで、別途コミバス等、というのは無駄と言えます。

さらに、柳津以南の扱いもどうするのか。
増発されたBRTに対し、現状の7往復や震災前の8.5往復でしか受けないのであれば利便性も何もあったもんじゃありません。柳津以北は8月20日の時点で15往復、年内のBRT運行開始時にはさらに増発されますが、柳津で段落ちでは洒落になりません。

鉄道での増発がまず考えられますが、柳津乗り換えと言う不便が残りますし、柳津線区間も含めてBRTにするのが妥当ですが、これでも前谷地¥ャ牛田間をどうするのかという問題が残ります。
また、R45がつかず離れず並行する柳津以北と違い、ここから前谷地の間は並行道路が微妙にないわけで、特に次の御岳堂との間で北上川を渡る手段がない(登米か豊里でしか旧北上川の右左岸は連絡していない)のをどうするかと言う問題があります。

一方でこれを公共交通の「復権」と絡めるのであれば、ちょうど三陸道と出会う柳津で、桃生横山ICから高速に入り、石巻河北IC経由で石巻駅、石巻新市街地を結べば非常に有効に機能するはずで、前谷地方面への鉄道連絡便以外は石巻方面に直通と言うのがベストでしょう。

まだまだ課題が多いですが、それだけに「仮復旧」となるのかもしれません。それでも軌道と言う固定物を設置しない分、フレキシブルに対応が出来るのは大きいです。

さて、西のほうは三江線です。
増発による利用変化の確認をしたくても交換設備の撤去で増発もままならず、ならばバスで増発と言うことですが、運賃などの条件を鉄道、バスと合わせて、きっぷ等の共通化というと、かつて名鉄美濃町線で実施された実験を思い出します。


(潮駅)

貴重な「イコールフッティング」での調査ですが、あの時はバスと電車でアコモに大差があったこともあり、バス志向が強く出たため、どうもあの実験は軌道系を推進する側から「封印」された格好です。

もともと不通時はワゴンタクシーで代行していただけに、バス転換の実証実験では、という声もありますが、適材適所の交通モードで利便性の高いサービスを確保することがまず必要です。

三江線の場合は、まず路線が流動と合っていないことをどう改善するかであり、本来は一足飛びに流動にあった公共交通網の再編から入るべきところです。
特に浜原、粕淵以東(以南)は顕著ですが、旧瑞穂町(出羽)を経て北広島町(大朝)へと、安訣sc市(高宮、美土里、千代田)を向いており、広島起点の高速バスへ継送する格好で整備すべきエリアです。


(吉田営業所にて)

あと、ここも細々とコミュニティ系の路線バスが走っており、こうした石見交通、備北バスの路線との競合をなくし、効率的に出来ないものか。
ただ、市町村合併と、公費投入の関係で、以前よりも県境、市境を強く意識した路線になっており、三江線沿線と中国道を結ぶと言う意味では、かつて存在した路線がぶつ切りになって、県境、市境では路線消滅となって久しく、復活させて公共交通誘導と言うのは困難かもしれません。
(邑南町からは旧瑞穂町出羽から大朝を通り広島行きとか、旧羽須美村から高宮を通り吉田行きといった路線が2000年代に入り廃止されている)


乗り降り二の次への不満

2012-07-25 01:45:00 | 交通
先日、CX系の朝の情報番組を見ていたら、朝からガッツリめしという特集をしていました。
夏バテ防止ということもあっての特集ですが、そこに東京駅のエキナカの「グランスタダイニング」の各店が出ていました。

まあ各地の名店が並ぶ様は楽しいのですが、エキナカの賑わいばかり追求されても困ります。
山手線の某駅利用の知人の話ですが、その駅は設計ミスではないか、と言うレベルの構造でESと通路が追加されたため、コンコースとホームの間の移動に分単位で時間がかかり、朝夕はホーム上やコンコースに長蛇の列が出来、1列車、下手をしたら2列車分を空費します。

お急ぎの方は旧通路へ、という何のための新設か、と言う状況ながら、新旧通路間のエキナカだけはしっかり整備されており、肝心な乗降は不便極まると言う本末転唐ネ設備投資です。

その某駅、通路をなにやら囲って工事をしており、これも狭い乗り換え通路が広がるのか、と思っていたら、申し訳程度の拡幅と、残りは「駅のコンビニ」が出来たそうです。
毎度の混乱を経てようやくコンコースに上がると、コンビニ新規開店の呼び込みをしていたそうで、近くのビジネスマン2人連れが「そんなものを作る間があったら階段広げろよな」と吐き捨て、相方も大きく頷いていたそうですが、その気持ちは十分分かります。

日頃利用する津田沼駅もコンコースになにやら仮囲いが出来て工事をしていますが、まさかエキナカ関係の追加でコンコースが狭くなるのか、と言うのは被害妄想といわれそうですが、東京駅の地下1階通路が見事にエキナカ化され、混み合う地上通路のバイパスとして楽な移動が出来ていたのが一転して、右往左往する買い物客にまともに進めない状況となってしまったように、電車に乗る、降りる、改札を出る、といった基本動作を妨げてでもエキナカ優先という状況には、利用者の不満も高まっています。

このあたり、エキナカビジネスを賞賛する経済誌紙やバラエティ、経済番組をベースに鉄道会社の経営はかくあるべき、という「経済テツ」や社会派諸氏も多いですが、結局独占であるがゆえに本業である鉄道利用にストレスがたまるような構造が許される特殊な商売という背景があるわけで、その会社特有の事情を生かす経営は確かに大切ですが、客が不満を抱いても逃げられないと言う特殊環境でのビジネスモデルは、普遍的なものでは無いことを理解しているのでしょうか。

ちなみにエキナカの名誉のために申し上げれば、冒頭の番組に出てきた「グランスタダイニング」の各店舗、「ガッツリめし」の特集に出てきただけあって内容は良く、お値段も600円台から700円台と良心的です。
こうしてみると、ジャーナルの書評で批判した「北斗星」の和朝食の貧相さが余計に際立ちますね。

そして、早出の際には無理に家で食べずに、エキナカで食べてみても悪くは無いな、と思います。ただ、朝から混んでいるのが難点ですが...


ジャーナル2012年8月号

2012-07-24 01:02:00 | 書評
完全に月遅れになりましたが、8月号の書評です。

特集は学園都市線電化をキーにした札幌の通勤電車。
近代的な高架複線を51型客車くずれのPDCが闊歩するという奇景も6月から電化され、10月には完全電車化で終了するのですが、この機会を逃せば特集されるかどうかも怪しい学園都市線(札沼線)がメインと言う、これもある意味異色な特集です。


(PDCが闊歩する:新琴似にて。2011年)

札幌近郊の各駅探訪と合わせて、普段あまり取り上げられない視点での特集なので読みごたえがありました。ただ、強いて言えばJRがメインなので地下鉄などへの言及が薄く、決して軽くはないバス交通が事実上オミットでは地域の交通と言う意味では一部をなぞったにすぎません。

「通勤電車」ということでやはりロングシート礼賛がお約束ですが、仙台地区での701系からE721系へのクロスシート回帰を踏まえたらどう評価すべきか。混雑を考えると、ロングシートで詰め込みの対応になびきたくなるのでしょうが、快速「エアメ[ト」でも混雑が著しいという現状は、輸送力不足そのものであり、それを詰め込みで対応するというのは数年前の留萌本線での「濡れ衣」積み残し事件とその後の対応と相似形です。

ロングシートを正当化する基準もどんどん甘くなっており、今号ではロングシートでも構わない乗車時間が30分を超えてきました。
札樽間のように観光需要が少なくないところに詰め込み主義では、本来定時性、速達性とも劣る高速バスに一定のシェアを残すことになるでしょう。
要は混雑時の遅延対策と言う意味ではデッキ付と言う問題「だけ」をまず除去すればよかったのであり、721系8次車のようにデッキ無し転クロという選択肢がなぜ取れないんでしょうね。


(721系8次車。2011年)

近郊駅乗り歩きについては、銭函で張碓海岸の断崖を越えたここまでが小樽市と言う「怪」も解説してほしかったですし、銭函とセットでほしみ止まりへの言及も、ほしみ開業前は星置発着(ただし銭函中線折り返し)と、銭函で折り返すが制約上1つ手前まで、と言う機械的延長をもっと強調して見てはどうだったか。
江別の寂れっぷりにしても、元急行停車駅と言いながら、そもそも「かむい」と夜行急行だけ停車という中途半端な状態でした。
あとは新千歳空港の観察はよく見ている印象ですが、Kitakaを前面に押し出すのはステマっぽいですね。東京から取材できたんだったらSuicaを持ってるでしょうから、わざわざカードを購入せずとも、手持ちのSuicaで乗れますから。

吉見氏の「札幌都市圏の交通」は地元北大大学院の教授らしい視点ですが、やはりというか軌道系への過度の評価もあるわけで、LRT構想への過分な期待と、道路整備へのネガティブ評価はいただけません。それと、新千歳のハブ化については、トランジット需要だけで賄えない限り、新千歳発着の国際線、それもビジネスクラス以上の需要がしっかり根付いていないといけませんが、観光需要だけでは話になりません。

ちなみに紹介事例の中の地下鉄福住駅の交通広場設置計画ですが、同駅にはもともと立派なバスターミナルがあり、地域・気候上の問題から内地のような交通広場でなく、密閉型のバスターミナルでの対応が主流の札幌都市圏において、何をしたいのでしょうか。


(地下鉄駅直結の福住バスターミナル。2011年)

そして結論での一極集中への反論ですが、北海道だけでなく北東アジア全体で見よ、と言うのは開き直りでしょう。その伝で行くと、東京だって世界全体で見たら、と一極集中のさらなる進行を肯定できますし。

特集以外はまずお馴染みの曽根教授による「鉄道技術のあり方を問う」ですが、技術論もさることながら、サービスの画一化、高速性能の追求低下への厳しい批判が目立ちます。
要は経営第一の「安全運転」と技術進歩、サービス向上が二律背反の関係にあることに他ならないのですが、鉄道が使われているとはいえ、通勤や用務利用がメインで積極的選択に見えないことに危機感を感じているわけです。

新幹線については経済性を重視した700系批判がメインですが、500系に押し付けた座席数の縛りにしても、300系以降の新しいルールに他ならないわけで、こうした一時点を基準にするということは、それ以降のイノベーションの放棄に容易につながるわけで、ホームドアの導入が下手をしたら1944年の63系のドア位置で将来も固定化してしまうようなものでしょう。

次いでのと鉄道能登線。2005年の廃止区間の訪問ですが、個々の列車を見たら2連、3連としっかり利用がついていたのに廃線の憂き目と言うまさかの結末を迎えた路線です。


(縄文真脇駅。2004年)

結局、七尾線区間も含めて金沢からのアプローチが乗り換えてさらにフィーダーにと言う面唐ュささが先に立つことと、地道に侵食している北鉄バスの特急バスがそれなりに整備されていることも理由にあるはずですが、そう言った考察はしていないようです。


(帰りは宇出津・真脇特急バスで金沢まで2時間20分。2004年)

最後に、悪文で読む気もしない「日本縦断ローカル線」ですが、観光列車「いさぶろう」「しんぺい」の紹介も良いんですが、「普通列車」ですから地元利用も少ないですがあるはずです。文中では「時たまある」と言う乗務員の弁を紹介していましたが、指定券がないと木のベンチシートにご案内、ということに何の疑問も抱いていないのはどうなんでしょうね。


(簡易お座敷車になっていた「いさぶろう」 1999年)

これってJR九州の観光列車施策の一番の歪みが出ているシーンだと思うんですが。
同名の列車がキハ31で設定されていた時は、一般列車を観光仕立てにしただけで、そういった弊害もなかったんですけどね。